おおよその結果は「縄文式土器」6割、「縄文土器」4割となりました。年齢を同時に聞いたアンケートではなかったので推測でしかありませんが、比較的回答者の年齢が高めだったのかもしれません。 なぜ「式」が取れたか 職場の古い資料をひもとくと、1974年に第2版が発行された「角川日本史辞典」では「縄文式土器」。それが88年の「日本史用語集」(山川出版社)では「縄文土器」となっています。70年代が転機になったことがうかがえます。教科書が変わったのはそれよりしばらく後ですが、中学歴史教科書を確認した限りでは、今は全て「縄文土器」でした。 ではなぜ変わったのでしょう。考古学者の故・佐原真さんが唱えたそうですが、その佐原さんが編集に携わった「日本考古学事典」(三省堂)の「弥生土器」の項にこうあります。 弥生式土器を細分した遠賀川式土器や須玖(すく)式土器などの呼称も生まれ、「式」には、縄文式土器と弥生式土器
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