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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (103)

  • 事象が社会と接続される - レジデント初期研修用資料

    秋葉原の無差別殺人事件を見ていて思ったこと。 青年が「巖頭之感」という遺書を残して華厳の滝に飛び込んだ、昔の事件を思い出した。 個人と社会とを切断することに失敗して、事件が社会に接続されてしまった例として。 行動規範が一人歩きする その人が亡くなった理由がよく分からなくて、何だか哲学的な遺書が残って、 メディアだとか、権威だとか、いろんな人達が、遺書の解釈だとか、評価だとかを 行った結果、単なる自殺は社会に接続されて、自殺という行為それ自体が、 新しい行動規範を生み出してしまった。 「悩める青年は、自殺という手段を通じて、自らの悩みを世に問うべきだ」みたいな ロールモデルが一人歩きした結果、そもそも死ななくてもいい人が、「死ぬべき」なんて 社会の気分を受け入れて、ずいぶんたくさん亡くなったのだと思う。 最近になって、あの人が自殺したのは、当は恋煩いみたいな個人的な悩みが原因であったなんて

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    footwork_x 2014/09/29
    “特別な連中が、社会の特別な人達に対して暴力を行使しても、市民はそれを見守るだけで、 「観客席」から動く必要を感じない”
  • 歩き出す技術について - レジデント初期研修用資料

    広告: 「内科診療ヒントブック」の改訂版が11月下旬に発売されることになりました。病棟業務に携わる方々に役に立つものになったのではないかと思います。手にとっていただければ幸いです。以下文。 大きな問題と対峙した新人は、頭のいい抜け道を探そうと試みる。同じ状況でベテランは、ただまっすぐ歩き出す。 どこか遠くに行こうと思ったら、空を飛ぶ修行をはじめるよりも、歩いたほうがたいてい速い。あたりまえのことなのだけれど、歩いていける距離を飛ぶために、歩かずに修行をはじめる人はけっこう多い。 分割すると遠くにいける 単行の文字数はだいたい10万字で、大抵の人にはたぶん、この目標は遠くに思える。ところがTwitter の界隈を見渡せば、140文字のつぶやきを1000回以上重ねている人はそれほど珍しくない。 盛り上がったおしゃべりを30分間行なって、それをテキストデータにベタ打ちすると、たしか新書1冊ぐ

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    footwork_x 2014/09/24
    “「何をやりたいのか」ではなく、決められた枠の中で「何ができるのか」を考えると、物事は前に向かって動き出す”
  • 魂消える演劇というもの - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 演劇を見るのもやるのも恥ずかしかったのは小学生の頃。 作り話を楽しまず、斜に構えるのはかっこいいことだった。空気の読めない子供はせっかくのライブ演劇(昔は3ヶ月に1回ぐらい、体育館に劇団が来てくれた)を楽しまず、奇声をあげたり歩き回ったりして、教師の人を困らせていたらしい。 演者と観客とのお約束 実世界に仮想空間を作り出す演劇を楽しむには、劇団と観客との間には守らなくてはならない「お約束」がある。 背景がなぜ手書きの絵なのか。俳優の人は、なぜああも大げさな動作をするのか。無粋な突っ込みはいくらでも入れられる。それでもそんなことをしてはいけない。演劇は、突っ込むよりも楽しんだほうがずっと幸せになれる。空気が読めない子供には、素直に演劇を楽しむこ

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    footwork_x 2014/09/01
    “演劇は公平だ。観客と劇団側の条件は対等になる。どちらの住処も実世界である以上、観客にも演者にも、実世界のルールが適用される。演者の動作が観客の想定を外れたら、そのときは常に演者の勝ちだ”
  • 研修医の潰しかたを考えよう - レジデント初期研修用資料

    平和を実現したいのならば、戦争に関する学習が欠かせない。 平和を願うのは大切かもしれないけれど、戦争のやりかたを知らないと、攻める相手をどうすれば止められるのか、相手の軍隊に動きがあって、それに対してどう応対すれば、そこから戦争につながる道筋を断てるのか、問題解決のやりかたが発想できない。ひたすらに平和を願う人達は、平和を願った結果として、相手の軍隊に間違ったメッセージを送ってしまう。会話が成立しないから、コミュニケーションが破綻した結果として、学習抜きの平和祈願は、むしろ戦争を近づける。 失敗を防ぐには陥れかたを考える 「平和を欲するのなら戦争を学べ」の論理が正しいとして、たとえば失敗を防ごうと思ったのならば、「失敗させるやりかた」を研究するのがひとつの方法なのだと思う。 どうすれば失敗を防げるのかを考えるのは大事だけれど、どうやれば相手を陥れることができるのか、暗黙にプレッシャーをかけ

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    footwork_x 2014/07/19
    “「指差し確認」とか「ダブルチェック」みたいな、間違ってこそいないのに、失敗につながる緊急事態には必ず省略されてしまう手続きが、平時の手順を複雑にしてしまう。”
  • 暴力の工学的な側面 - レジデント初期研修用資料

    顧問の体罰が集中して、キャプテンの学生が亡くなった事例は、あれは「暴力を用いた統治」というものを考えると、ひどい事例とはいえ、工学として理にかなっているようにも思えた。 暴力は疲れる。暴力を行使する側は、「統治」という目標を達成するために投じる暴力量は、できることなら減らしたいだろうから、そこには「効率」の考えかたが入ってくる。説得みたいなやりかたは、暴力を好む人には甘すぎるように見えるだろうから、たぶん最初から選択肢に入らない。 選択枝を持たない人を探す 生徒を死に追いやった顧問の先生は、キャプテンに対して体罰を集中したらしい。 暴力を統治の道具として行使するときには、「選択枝を持たない」人間を選ばないと意味が無い。暴力というのは不快なやりかただから、その人に付き従う以外の選択肢がある人に暴力を振るったところで統治は達成できないし、警察に通報されれば詰んでしまう。 「いつでもやめられる」

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    footwork_x 2014/06/30
    “暴力の工学的な側面を考えるのは不謹慎だけれど、顧問のやりかたは工学としてよく考えられたものでもあって、こうした事例を「頭のおかしな顧問が招いた犯罪」であると切断処理してしまうと、再発は防止できない”
  • 陰謀論と理解 - レジデント初期研修用資料

    子供の頃、テレビ漫画で描写される政治家の姿はといえば、「馬鹿」であったり「無能」であったり「金の亡者」であったり、いずれにしてもろくなイメージではなかったような気がする。何もできない子供だったくせに、政治家をどこか「見下して」いたものだから、ニュースで何が報じられても「そんなもんだ」とばかりに、そもそも政治報道に興味が持てなかった。 最近のニュース、特にネットのそれは、ずいぶんと政治報道が増えた。政治家のありとあらゆる振る舞いが報じられては、「あれは○○国を利する陰謀だ」とか、けっこう若い人が盛り上がってる。昔はネットがなかったものだから、そもそも体験の比較に意味がないのだけれど、「若い人たちが政治の話をしている」この状況そのものが、個人的には世の中がずいぶん変わったな、という感覚につながっている。 見下すことの意味 「相手を見下す」のは悪いことだけれど、肯定的な効果もあるのではないかと

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    footwork_x 2014/06/20
    相手の事情を知って見下せなくなり、それで「社会が悪い」みたいな結論に至る人も基本「いい人」なのかもしれない。
  • 強すぎる相手との戦いかた - レジデント初期研修用資料

    blog より転載した記事。ちょうど「維新の会」が選挙で圧勝した頃。 橋下知事の勢いを「機動戦士ガンダム」に誰とえたら、戦いとは「ガンダムが負ける状況を作ること」だという指摘をいただいた。橋下知事に選挙で惨敗した、そういう意味でまだ戦いを始めてもいない可能性がある。 ガンダムは恐ろしい ジオン軍の「普通の兵士」から見たガンダムは、理不尽で恐ろしい。勢いに乗った超人は、その人の視点に乗っかる分にはまだしも人間として理解できるけれど、超人と同じ場所にいる普通の人から見たときには単なる自然災害であって、あれを同じ人間相手の戦いだと考えると、理不尽に過ぎて話にならない。 市長に当選した橋下知事には勢いがあって、これからしばらく、恐らくは暫定的な無敵状態が続く。人にどんな攻撃を仕掛けたところで揺らがないだろうし、市長の弱点に見えた何かを叩いたところで、それが弱点であってもなお、返り討ちにされるリ

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    footwork_x 2014/06/18
    “超人と同じ場所にいる普通の人から見たときには単なる自然災害であって、あれを同じ人間相手の戦いだと考えると、理不尽に過ぎて話にならない。”
  • 一本勝ちは強いのか? - レジデント初期研修用資料

    ボクシングだとかレスリングみたいに、「相手が自分と同じ技量を持っている」 ことを前提に技が作られている競技と、合気道みたいに、「相手がこちら側の技を知らない」ことを前提に している競技とがあって、柔道もどちらかというと、「技をかけられる側の無知」を前提にしている気がする。 柔道の授業で習ったこと 柔道の授業では、最初に受け身の練習があって、お互い試合を始める前に、 「これだけはやるな」という教えを受ける。 投げるときは、絶対に足を曲げちゃいけないこと。投げられたら、粘らないで素直に受け身に入ること。 「これ守らないと、死ぬぞ」とか、一番最初に注意される。 投げるときに足を曲げると、受け身とれないまま、後頭部から床に落ちるし、 投げられるときに粘ろうとすると、投げられたとき、2人分の体重が腕にかかったりして、骨が折れてしまう。 お相撲の「河津掛け」みたいなことすると、だから当に危ないだとか

  • 制約が楽しさを作り出す - レジデント初期研修用資料

    面白さというものは、「上手な制約の押し付け」が生み出すものなのだと思う。 ユーザーに行なってもらうのは「作業」だけれど、単純作業にルールや制約をかぶせることで、作業をした当人は、それを「判断」とか「学習」、あるいは「成果」だと錯覚する。それが「面白さ」の正体なのだと思う。 戦車の模型とジオラマの関係 小学生の大昔、戦車の模型を組み立てて、ジオラマというものを自分でも作ってみたくて、模型を前に途方に暮れた。子供なりに、模型をどれだけ一生懸命作ったところで、それはよくできた模型ではあっても、その先にジオラマは見えなかった。 田宮模型の出版物だと記憶しているのだけれど、ジオラマの作りかたを探しているうちに、「板に紙粘土を敷き、そこに戦車の模型を置いたら、それはもうジオラマなんです」という文章が目に飛び込んで、あれで前に進めた気がした。板に紙粘土を盛って、そうして作った真っ白な「地面」に模型を置い

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    footwork_x 2014/05/22
    ”「自分ならこうする」という発想は、学びの成果そのものなのだと思う。それを言うためには、講義の意図を自分なりに汲み、理解できていないといけない。”
  • 集まりや盛り上がりを支えるもの - レジデント初期研修用資料

    エジプトの市民革命は、ピーク時には数万人もの人々が広場に集まって、集会は20日間近く続いて、大統領を退陣に追い込んだ。 ああいう大きな人の流れは、もちろん政府当局に対する市民の怒りがあったのだろうけれど、あれは「数万人規模の人々を20日間、広場で生活してもらう」という、イベント運営の側面もあって、兵站や補給の側面から今回の革命を見直すと、とてもよく考えられていたなと思う。 エジプトのデモ広場を案内する記事を見ると、水場やトイレどころか、病院から幼稚園まで準備されていた。テレビで放映されたデモの映像には、人々が集まった真ん中に正円形のテント村が写っていて、集まった人がなんとなく作ったものにしてはずいぶん整った形をしていたのだけれど、実際に現場で行われていたことは、想像をはるかに超えていた。 べて休まないと動けない 学生時代に手伝い要員として参加したイベントでは、集まった学生を「生活させる」

  • 頻度の非対称性について - レジデント初期研修用資料

    「どうしようもない人にぶつかる頻度」というのは、サービスを提供する側と、 サービスを受け取る側とではどうしても異なるけれど、救急車というサービスは、それが極端すぎる気がする。 救急車を邪魔する人は多い 患者さんを他の病院にお願いするときとか、 救急車に1 時間同乗していると、だいたい2 回ぐらい、死にそうな目に遭う。 救急車は、サイレンを鳴らして止らず走る。交差点に行き当たれば、 当然信号を無視して突っ込むし、自分の車線が渋滞していれば、 対向車線にはみだして、そのまま走行を続けたりする。 もちろんそれは、救急車両の特権として認知されたやりかたで、 行き当たる車の99 %までは、きちんと交差点で停止してくれたり、 対向車線でも道を譲ってくれるのだけれど、そうでない車が1台でも混じっていると、大変なことになる。 交差点にサイレン鳴らして進入したら、真横から猛スピードで車が突っ込んできて死にそ

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    footwork_x 2014/02/24
    “「1000台に1台」クラスのひどいドライバーがその道を走っていれば、 救急車はもちろん、1時間に1回づつ、怖い思いをする羽目になる。”
  • NHK 特集 「戦場 心の傷」 - レジデント初期研修用資料

    戦争が兵士に負わせる心の傷を特集した番組。大雑把に、前編は男性の、後編は女性の、 それぞれ心に負った傷に焦点を当てて、番組が作られてた。 以下覚え書き。 リアルな舞台での訓練 アメリカの新兵訓練施設には、周囲の風景だとか建物、通行人の風俗みたいなものまで 再現した「イラクの街」が作られていた。「テロリストを建物に追い詰める」だとか、 「救援物資を届けたら爆弾テロに巻き込まれる」だとか、状況ごとにシナリオを作って、訓練を受けていた 訓練に使う道具は極めてリアルだった。兵士の装備や武器はもちろん物、建物だとか、 「テロリストが爆破した車」なんかもまた、当に爆破した車を使ったりして、「物みたい」を 通り越して、「そのもの」をそのまんま使っていた 番さながらの訓練を積むことで、「ぶっつけ番」の混乱を避けることができたり、 人が人を殺す、人間が来持っているためらいみたいなものを乗り越える

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    footwork_x 2014/01/16
    ”正義の力比べは、要するにお互い背負った「正義のイカレ具合」を比較しているに過ぎないわけだから”
  • 腐った立ち位置のこと - レジデント初期研修用資料

    「かっこわるさ」というラベルにはすごい力があって、一度「それはかっこわるい」というラベルを貼られた考えかたは、 たとえそれが正解であっても忌避されてしまう。 「正しい」のに「かっこわるい」、そんな何かをみんなが避けると、それはもしかしたら、破壊的な結果を招くことになる。 昔の「左翼」はかっこよかった 今60歳ぐらいの人達が大学生だった頃は、左翼の考えかたは進歩的な立ち位置で、 左翼思想とか、あるいは集団組んでデモ行進することであるとか、それは「かっこいい」ことだった。 市民団体とか住民参加、今は否定的な意味でしか使わない「プロ市民」なんて言葉も、 最初はたしか、肯定的な意味。どこかの市長さんだったか、「これからの市民は、 積極的に住民参加するプロであってほしい」だとか、そんな流れで使われた言葉。 「左翼」や「市民」はかっこよくて、だからずいぶん広まったけれど、いつの間にかそれらは腐って、

  • ルールを解説してほしい - レジデント初期研修用資料

    ニュース番組が、最近はもう政治一色で、自民党のやりかたがけしからんだとか、今こそ政権交代をだとか、 ニュースキャスターや、政治評論家の人は、どのチャンネルをつけても同じことばっかり繰り返す。 たとえば将棋番組の解説者みたいな、その状況を、素人目にも面白く解説してくれるような、 政治番組の世界にも「解説者」に相当する職種を用意して、「評論家」とは別に、「解説者」の 談話を報道する番組ができたら、ニュースは今まで以上に面白くなるような気がする。 政治というルール 政治家の人はもちろん、「国益」のために、「有権者の皆さん」に政策を考えるのがお仕事だけれど、 「政治というゲーム」には、もちろんいろんなルールがある。 政策を考えることだとか、地元の有権者に、自らの考えかたを分かりやすく説明することというのは、 あれは政治というゲームにおいては「技」に相当するものであって、ルールとは違う。たとえば政治

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    footwork_x 2014/01/14
    ”違ったルールで戦っているプレイヤーに対して、「真実の報道していない」なんて叩くのは、 総合格闘技を戦っている選手に対して、「相手を蹴るのは男らしくない」なんて、 観客が文句をいうような”
  • 「下向き」の想像力について - レジデント初期研修用資料

    頭がいい人が、「上」に向かって想像力を働かせて、それまで誰も考えなかったようなサービスを作る方向と、 同じく頭のいい人が、「世の中には想像を絶する馬鹿がいる」という信念の下に、 カモをコントロールするやり方を模索する方向と、想像力には「上」と「下」みたいな方向性がある。 上向きの想像力が生み出すプロダクトはすばらしいけれど、世の中を回しているのは、 むしろ下向きの想像力なんだと思う。 振り込め詐欺のこと 振り込め詐欺の人達が使う手口はあまりにもあからさまで、どうしてあんなものに大勢が引っかかるのか 不思議でしょうがないけれど、あの人達の秘訣というのは、「たくさんの人に電話をかける」、 それが全てなんだという。 「普通」が好きな、常識的な人達は、たぶん「こんな話に騙される人が世の中にいる」、 そのこと自体を信じられない。信じられないから、そもそもああ言うことをやろうなんて思わない。 振り込め

  • 理想には情が足りない - レジデント初期研修用資料

    大雑把に「理」と「情」というものがあって、情報の送り手と受け手との間で、 「理」と「情」と、両方が揃わないと、人は動かない。 情報の送り手が「理」と「情」両方を用意するときもあるし、提供のやりかたを 工夫することで、送り手は「理」を提供して、それに反応した受け手から、 「情」が引っ張られるやりかたもある。恐らくはその逆も成り立つ。 梅田望夫氏の書評を読んで、個人的に考えたこと。 書評のこと 企業家の梅田望夫氏が、書評を書いた。 たぶん氏にとってはとても大切な内容が書かれているで、抑えた文体で内容をほめて、 「全ての日人が読むべきだと思う」なんて書かれていた。 その文章に、あんまり肯定的な反応が返ってこなかったからなのか、 普段冷静な梅田氏が、珍しくいらだった調子で、Twitter に「はてなブックマークのコメントには、 バカなものが当に多すぎる」なんてつぶやいていた。 こういうのは、

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    footwork_x 2014/01/07
    ”大雑把に「理」と「情」というものがあって、情報の送り手と受け手との間で、「理」と「情」と、両方が揃わないと、人は動かない”
  • 自然というエンジニアのやりかた - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります なぜコードを最適化するのですか? 「……そこにコードがあるから。」 エンジニアは常に最適な設計を目指す エンジニアは、たとえ見返りが無くても最適解を目指す。このモチベーションこそが、人間社会をここまで繁栄させた原動力だ。 一方、自然界の生き物を作ってきた「エンジニア」は、そう考えない。 自然界は、とりあえず、他の競争者よりも少しだけ優れたものを作って送り出し、さっさとシェアの拡大に走る。 人間のエンジニアというのは誠実だ。彼らが設計したものは、たいていの場合に信頼できるもので、どんな状況においても優れた性能を発揮する。社会に送り出された製品も、日夜改良を続けられ、バージョンアップされる。 自然はそんなことはしない。作りっぱなしで、進化の袋

  • 「もしも」の運用 - レジデント初期研修用資料

    あえて遠回りな問いを立てることで、より近い回答を得るやりかたについて。 たとえば「素人が3分間で朝青龍に勝てるやりかたを教えてください」なんて、格闘家の人にインタビューを行ったところで、たぶんたいした返事はもらえない。 それはそもそもが無理な問いだから、「無理」だとか「逃げろ」なんて返事ならまだいいほうで、「死んだ気で戦え」だとか、「素人でも余裕です」だとか、どうせ冗談にしか聞こえない、こんな問いには、いいかげんな答えしか返ってこない。 ところが「もしもあなたの息子さんが、今から3分後に朝青龍と戦わなくてはならなくなったら、あなたは3分間で何を伝えますか?」という質問を、いろんな格闘家に答えてもらったら、もう少し面白い返事がもらえるのだと思う。 「もしも」の状況に陥った息子さんに対して、たとえば格闘家としての自分のありかたを説く人もいるだろうし、とことん逃げるやりかた、「勝ち」というものの

  • 大きなものの作りかた - レジデント初期研修用資料

    この1年ぐらい、自分なりに大きなものを作ってきて思ったこと。 何かやりたいこととか、明確な目的があって、そんな骨格に肉をつけていくように、一つのプロダクトが仕上がっていくことは、むしろ少ないんじゃないかと思う。プロダクトというものは、たぶん最初に「制限された迷走」を行う時期があって、目的とは無関係な制限に、膨らんだ発想がぶち当たるぐらいまで大きくなって、そこではじめて、目的みたいなものが見えてくる。目的が生まれて、価値のものさしが生まれて、膨らんだ何かは今度は削られて、一つの骨格に基づいたプロダクトというものが生まれるんだと思う。 何か「これ」というものを書く、作るときにはたぶん、「こうしたい」なんて漠然とした願望はあっても、実際問題作ってみないと、「こうしたかった」という、具体的な何かは見えてこない。 「こうしたかった」は、下手すると手を動かしている人にはついに見えることがなくて、「こ

    footwork_x
    footwork_x 2013/11/07
    “予算無制限、締め切りなし、各界のすごい人材を集めたところで、旗を振る人に「こんなものが作りたい」という願望や、目標が固まっていないと、プロジェクトはやっぱり迷走してしまう。”
  • 平凡なものをたくさん作る - レジデント初期研修用資料

    「すごいもの」を目指した物作りは最初の段階で行き詰まって、たいていの場合、上手くいかないような気がする。 「すごい」は相対評価だから、そこにはたぶん「平凡な」先客がいるはずで、 あとからそこに入り込むのは難しいし、その場所が狭かったなら、相手に打ち勝ってやっと手に入れたその場所は、 手に入れたときには価値がずいぶん下がってしまって、恐らくは投じた労力を回収できない。 量は質に転化する ある状況だとか、ルールがあって、同じ土俵で比較できる相手がいる場所で、 相手より、漠然と「すごい」ものを目指そうとすると、どうしても、アイデアの出現閾値が下がってしまう。 アイデアだとか、プロダクトにおいては、「量」を「質」に転化することはできるけれど、たぶん逆は難しい。 たくさんのアイデアを出すことで、偶然すばらしいものが生まれることもあるし、 質の不足を量で補うこともできるけれど、質の高いアイデアを出そう

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    footwork_x 2013/10/17
    ”「量」を「質」に転化することはできるけれど、たぶん逆は難しい。”