タグ

2019年2月3日のブックマーク (5件)

  • ロシア検察、60年前の「ディアトロフ峠事件」を再調査 雪山で9人怪死の謎(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

    【AFP=時事】ロシア検察は1日、1959年に雪深いウラル山脈(Ural Mountains)で9人の登山グループが謎の死を遂げた「ディアトロフ峠事件」を再調査していると明らかにした。 1959年2月1日夜、イーゴリ・ディアトロフ(Igor Dyatlov)氏率いる経験豊富な登山者9人がウラル山脈で死亡した。60年前に起きたこの事件は旧ソ連時代に解決されず、死因について遺族を悩ませているほか、宇宙人説から核実験の失敗説まで、さまざまな臆測を呼んできた。 空からの1週間にわたる捜索の後、放棄され、切り裂かれたテントが発見された。それから、山腹のあちこちで、ひどく傷ついた9人の遺体が見つかった。刑事事件として2月26日に捜査が開始されたが、3か月後に打ち切られた。事件は1970年代まで機密とされていた。当時のソ連の捜査当局は、殺人ではないとして捜査を打ち切ったが、9人の死因についてそれ以上説明

    ロシア検察、60年前の「ディアトロフ峠事件」を再調査 雪山で9人怪死の謎(AFP=時事) - Yahoo!ニュース
  • 複数のクレジットカードで決済できないトラブル | NHKニュース

    2日夜、クレジットカードの決済システムに障害が起き、カードの決済ができなくなるトラブルが起きました。このシステムは複数のカード会社が利用しているということで、商品の購入などに広く影響が出ているものとみられます。 会社によりますと、カード決済のシステムを運営している「日カードネットワーク」のシステムに何らかの障害が起きたということです。 「日カードネットワーク」は、複数のクレジットカード会社が共同で設立した会社で、小売店などの加盟店とカード会社との間で決済データをやりとりするシステムを運営しています。 JCBによりますと、この会社のシステムは複数のカード会社が利用しているということで、クレジットカードを使った商品の購入などに広く影響が出ているものとみられます。

    複数のクレジットカードで決済できないトラブル | NHKニュース
  • ”殺人犯”を見たくて裁判に行ったら、びっくりするくらい”普通のおじさん”で殺人者に対する考えが変わった話

    ジロウ @jiro6663 そうそう。殺人者といえば。学生時代に「人を殺した人を生で見てみたい」という当に無責任な好奇心の物見遊山気分で、高裁の傍聴に行って見つけたあるひとつの殺人事件の裁判にずっと通っていたことがあるのだけど。 ジロウ @jiro6663 父親から継いだ小さな町工場を切り盛りしていた社長。そこで数十年間、音信不通だった兄がヤクザになって戻ってきて金欲しさに勝手に工場を売り払おうとした。何か月も揉めて、最後に弟(社長)が兄(ヤクザ)を刺し殺してしまった事件だった。

    ”殺人犯”を見たくて裁判に行ったら、びっくりするくらい”普通のおじさん”で殺人者に対する考えが変わった話
    french_salad
    french_salad 2019/02/03
    事件を起こすような人には見えないみたいなコメントよくあるよね
  • 弟子が語るドラえもんの知られざる“黒歴史”(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

    国民的漫画『ドラえもん』は来年で生誕50年。その愛され続ける理由とは。『藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道 ドラえもん達との思い出編』を描いた漫画家のえびはら武司氏に聞いた。 この記事の写真を見る ■“黒歴史”を乗り越えて人気勝ち得た ──リオ五輪の閉会式、次の東京五輪のPR映像でも「ドラえもん」は重要な役で登場しましたね。 作者の「藤子不二雄」とは藤弘(後に、藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(同、藤子不二雄A)の合作ペンネーム。『オバケのQ太郎』でブレークしました。ただ僕が2人の「藤子スタジオ」に弟子入りした1973年にはもう合作はやめていて、ドラえもんは藤先生と僕のほぼ2人で描いていました。 ──『ドラえもん』の詳細はチーフアシスタントさんが決めたとか、いろんな裏話が出てきます。案外そんなノリで進めていくものなんですか?  手が回らないときは助っ人を呼んで代筆を任せる

    弟子が語るドラえもんの知られざる“黒歴史”(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
  • 加害者証言抑止装置としての「戦友会」 - 読む・考える・書く

    都城23連隊兵士の陣中日記をめぐる騒動 先日、南京戦当時のカメラの値段について書いたが、話の発端となった朝日新聞の記事は、南京戦に従軍したある兵士が書いた陣中日記を紹介したものだ。 朝日新聞(1984年8月5日): 南京虐殺、現場の心情 宮崎で発見 元従軍兵士の日記 日中戦争中の昭和十二年暮れ、南京を占領した日軍が、多数の中国人を殺害した「南京大虐殺」に関連して四日、宮崎県東臼杵郡北郷村の農家から、南京に入城した都城二十三連隊の元上等兵(当時二三)の、虐殺に直接携わり、苦しむ心情をつづった日記と惨殺された中国人とみられる男性や女性の生首が転がっているシーンなどの写真三枚が見つかった。 (略) この日記は、縦十九センチ、横十三センチで約四百ページ。昭和十二年の博文館発行の当用日記が使われ、元日から大みそかまで毎日、詳細に記録されている。(略) だが、十五日には「今日、逃げ場を失ったチャンコ

    加害者証言抑止装置としての「戦友会」 - 読む・考える・書く