宮台真司説にせよ、丸山真男説にせよ、 「亜インテリ論」は妥当かと問われれば、 我輩は“否”と答えざるを得ない。 そもそもインテリゲンツィア、知識階級と呼ばれるものすら、 抽象過ぎてその実体性は疑わしいものである。 宮台氏の「田吾作」発言に至っては 単なる罵倒語としてしか理解出来ない。 農業人口が一割を切っている今日では、 農民や百姓すら死語に近かろう。 インテリゲンツィアはいまだかつて階級ではなかったし、もともと階級にはなりないものである。かれらはその成員を社会の全ての階級から寄せ集めてきた中間層であったし、現在も依然として中間層である。過去の時代には、インテリゲンツィアは、貴族やブルジョワジーのあいだから、部分的には農民のあいだから、そしてごくわづかの程度においてのみ、労働者のあいだから募集している。が、いかなるぐあいにもその成員を集めてこようと、またかれらがいかなる性質を有していようと