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ブックマーク / chikyuza.net (2)

  • 関係論としての「国家神道」論 - ちきゅう座

    一 はじめに 日思想史の研究者として知られる子安宣邦が、『現代思想』誌上で国家神道論の連載を始めたのは、二〇〇三年七月号であった。この連載は翌二〇〇四年四月まで続き、その後、『国家と祭祀――国家神道の現在』(青土社、二〇〇四年)として単行化された。その「批判」の対象とされた近代神道研究者からは「誹謗中傷に近い」[1]とも評されたその筆致と内容は、それらの人々に少なからぬ衝撃を与え、反発や批判を呼ぶことともなった。このに端を発する子安の議論への批判については現在、すでに一通り出揃った感があり、今やアップトゥデートなテーマではなくなりつつあると言ってもよいだろう。 筆者はしかし、その議論の成り行きに若干の不満を持っている。こので子安が提起しようとした問題の広がりが、その反論・批判において正当に受け止められているように見えないからである。論文は、そのような問題意識を出発点に据え、「国家

  • 悲惨を極める原子力発電所事故―終焉に向かう原子力(第11 回)講演 - ちきゅう座

    <小出 裕章(こいでひろあき):京都大学・原子炉実験所> Ⅰ.チェルノブイリ事故から25年   原子力発電が抱える危険の大きさ 原子力発電とはウランの核分裂反応で生じるエネルギーで蒸気を発生させ、それでタービンを回す蒸気機関です(図1参照)。蒸気機関であることを取り上げれば、それは 200年前の産業革命で生まれた技術で、原子力発電のエネルギーの利用効率はわずか 33%しかありません。今日標準的となっている100万kWの原子力発電所は毎日 3kgのウランを核分裂させ、そのうち1kg分だけを電気に変換し2kg分は利用できないまま環境に捨てる装置です。広島の原爆で核分裂したウランは 800gでしたから、1基の原子発電所は毎日広島原爆 4発分のウランを核分裂させていることになります(図2参照)。そしてウランが核分裂してできるものは核分裂生成物、いわゆる死の灰です。1年間の運転を考えれば、広島原爆

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