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ブックマーク / yoghurt.hatenadiary.com (6)

  • カフェでよくかかっているJ−POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生/渋谷直角 - 未来の蛮族

    帯には「誰かをバカにするマンガと思ったら大間違いだ!」という久保ミツロウ先生の力強いお言葉があるし、著者である渋谷直角氏はあとがきで「彼らに対して、こちらの何かの一つの価値観や上から目線をもって小馬鹿にしたり、それじゃダメだ、と断定して描いているのではなく」とはっきりと記していて、それはけっして嘘ではないのだろうけども、この作品を読んで感じたのは、やはり強烈な悪意、だった。小さな世界でもがくサブカル民を単に馬鹿にするのではなく、ある種の愛情をもって描いていることは、特攻の拓の天羽セロニアス時貞に匹敵するほど感動的な宮沢賢治使いをみても明らかなのだけど、散りばめられた固有名詞の群れからは、それを上回るほどの悪意を感じてしまう。 「バンプオブチキンと空の写真ばかりアップしているブロガーの恋」や「ダウンタウン以外のお笑い芸人を基認めていないお笑いマニアの楽園」は、そもそもタイトルに固有名詞が入

    カフェでよくかかっているJ−POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生/渋谷直角 - 未来の蛮族
    frivolousman
    frivolousman 2013/09/05
    「サラリーマン生活によって心を失ったおれには、もはや揶揄されて傷つくような固有名詞などはひとつも残っていなかった」
  • 生きていくのはたいへんだ - 未来の蛮族

    生きていくのは、たいへんだ。 学生のころ想像していたほど、社会は厳しくなかったけれど、想像していたよりもずっと、おれには根性がなかった。 だからやはり、生きていくのはたいへんで、小説や、音楽、写真、漫画、そういったものはおれを助けてはくれなかった。 それは、彼らのせいではなくて、単に自分がそうしたものに救われるような種類の人間ではなかったということだ。 おれの父母は、この世の不正義にたいして、まっすぐに怒ることのできる人間だったけれど、おれはそうした人間でもなかった。 真・善・美のいずれにも興味がない。なにもかもがどうでもよいのだった。おれには損得勘定しかないのだった。 おれに心の平安を与えられるのは、預金通帳の残高だけであった。 しかしながら、意識の低いサラリーマンのであるおれの稼ぎでは、臆病なおれの心を安心させるだけの残高をつくることはできなかった。 株に手を出したのは、少しでも早く安

    生きていくのはたいへんだ - 未来の蛮族
  • せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族

    TVでは、芸能人が我々に呼びかけている。「デマに騙されないようにしよう」ずいぶんと難しいことを言ってくれる、とおれは思う。デマに騙されようと思って騙される人間はいない。みな、正しいことをするつもりで間違えるのだ。 芸能人たちはこんなことも言っていた。「被災者の気持ちになって考えよう」確かにこれは大事なことだ。けれど、難しい。とりわけおれのような人間にとっては。おれは頭が悪いから、福島の原発について、土地を奪われた人間の気持ちをほんとうには想像することはできない。ただ、自分に置き換えて考えてみることしかできない。 もしも、自分の住む街に原子力発電所があったらどうだろう? 自分の故郷が、放射性物質に汚染されてしまって、二度と帰ることできなくなってしまったらどうだろう? しかも、その原子力発電所は遠く離れた東京に電気を供給するための施設なのだ。なぜ、自分たちだけが、東京の犠牲にならなければならな

    せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族
  • なぜ、安心しているのか? - 未来の蛮族

    不安に陥る、という表現がある。ちょっと前のおれを表すのに、これ以上適した言葉はないだろう。おれは確かに不安に陥っていた。もちろん、不安の源は原発だ。で、今のおれがどういう状態にあるかっていうと、これはなかなか表現が難しい。おれはいま、安心している。それは確かなのだけど、それはやはりただの安心とはちょっと違う。今のおれの状況を、できるだけ正確に表現しようとするならば、これはもう「安心に陥る」とでもいうほかないのではないか、と思う。なぜって、おれは理性では…もちろん、おれにそんなものがあるとしての話だが…理性では、まだまだ安心するような時間じゃない、という判断しているからだ。だってそうだろう。不安を感じていたころに感じていた不安はだいたい現実化してしまっているし、事態が好転する兆しもない。不安はより強まっていて然るべきだ。にも関わらず、おれは安心してしまっている。自分の意に反して、安心感だけが

    なぜ、安心しているのか? - 未来の蛮族
  • 静林の如く、女を語れ! 第二章 ともさかりえ - 未来の蛮族

    はじめに断っておくが、僕はともさかりえに恋したことはない。それどころか、僕は彼女について、何一つ語るべき言葉を持っていないのだ。かろうじて、顔がうつみ宮土里に似ているナア……というような感想を持つくらいである。僕にとって、ともさかりえは「語るもの」ではなくて、常に「語られるもの」だった。椎名林檎は、彼女を評して、「きれいで儚い人」だと語った*1。伊集院光は、「微妙な顔なのに美人扱い」「顔が曲がっている」といったような、かなりひどいことをラジオで喋っていた。(深夜の馬鹿力でそのようなことをよくネタにしていたように記憶している)。そのどちらも、僕にはいまいちピンと来なかったのだけれど、不思議に心の隅にひっかかってしまって、今日に至るまで忘れることができなかった。ともさかりえ自身よりも、ともさかりえについて語る彼らのことが気になっていた。僕には、彼らがともさかりえにかこつけて、他の何かを語ろうと

    静林の如く、女を語れ! 第二章 ともさかりえ - 未来の蛮族
    frivolousman
    frivolousman 2009/02/25
    ともさかりえは鏡である説。/たしかに「椎名林檎光」も99%反射するしな。女優体質
  • 親の愛が社会をガチガチにする - 未来の蛮族

    だいたいね、もう21世紀になって何年もたっているんだからさ、その辺のおっさんやおばさんだって、それは相当に自由な考え方を身に付けているはずなのである。はるな愛や椿姫彩菜といったような人々がお茶の間の人気者になるような時代だ。そうじゃなくっちゃ嘘だろう*1。 隣人がどのような生き方を選択していても、いちいち口を騒ぐような必要はないし、法律や制度だってもっと様々な人たちの権利を認めていくように変えてしまって構わない。そのように考える人は、20年前よりもずっと多くなっているはずだ。にも関わらず、僕らの暮らすこの社会は、まだそれほど自由なものにはなっていない。最近、また、息苦しさが増してきているような気さえするほどだ。それは何でよって話しよ。ひとりひとりは、自由な考え方をもっているはずなのに、何で社会は自由でないのって話よ。 結局のところ、それは未だ僕たちがそれほど自由ではないからなのだと思う。と

    親の愛が社会をガチガチにする - 未来の蛮族
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