「クリスチャン」と呼ぶべきか、それとも「キリスト者」と呼ぶべきかという議論は、私が学生だった二十年以上前にも繰り返し行われていたものです。記憶はかなり怪しくなってはいますが、その当時私のまわりで「クリスチャンではなくキリスト者と言うべきだ」と主張していた人々の多くは、旧日本基督教会系の人々(いわゆる改革派・長老派の流れをくむ人々)だったと憶えています。 なぜ彼らがそういうことを言っていたのか、その理由までは憶えていませんが、クリスチャン(Christian)がともかく英語であることだけは確かなことですから、アングロサクソン的な背景を感じさせる言葉であることは間違いないわけで、「鬼畜米英」(不快語、すみません)とか言っていた世代の人々が、軍部から禁止されていたカタカナを使わずに「基督者」と書いていたころの“伝統”を重んじたい人々がそういうことを言っていたのではないだろうかと、今となっては思い