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ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (8)

  • ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか - 擬似環境の向こう側

    こんなタイトルのエントリを書くというのは、正直、悩ましい。 というのも、ぼくは社会学の正規教育は受けておらず、自分が社会学者だとはちょっと名乗れないからだ(制度的な理由で学位は「法学」だ)。 とはいえ、社会学部に勤務しているのは確かだし、社会学的なものに親しみもある。以下の文章は、あくまでそういう中途半端な立ち位置から書かれた「個人の感想」だということをまずは述べておきたい。 ネット上での社会学の評判はよくない。大変によくない。 実のところ、ネット上で積極的に発言をしている社会学者の数はさほど多くないと思うのだが、通常は社会学者だとはカテゴライズされない人も、「政治社会に関する発言をしており、かつ多くの人びとから反発を買っている人文社会系の学者」は「社会学者」とみなされてしまうことが結構ある。 それではなぜ、ネット上で社会学者はこんなにも嫌われるのだろうか。 社会学者が嫌いな人からは当然、

    ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか - 擬似環境の向こう側
    frothmouth
    frothmouth 2020/09/14
    🙂 今回の炎上?は研究の一環だった可能性が...
  • ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について - 擬似環境の向こう側

    在日コリアンの方々に罵詈雑言を投げつけていた男性に関する記事が話題になっている。これだ(記事タイトルを一部改変)。 ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【前編】 ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【後編】 力作である。著者の安田浩一さんのルポライターとしての力量を見せつける迫真のレポートと言っていい。 この記事で取り上げられている男性については、そのツイートがたまにリツイートされてくることもあり、ぼくも以前から知っていた。その内容は当に酷く、まさにヘイトスピーチと呼ぶよりほかにないものだった。それゆえ、この男性が安田さんの取材によって追い詰められていく様子に、ある種のカタルシスを感じたことは否定しがたい。 その一方で、この記事を読んで微妙な居心地の悪さも感じた。それは安田さんが男性の正体を探り当てる手法に起因している。男性のネットへの書き込みから

    ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について - 擬似環境の向こう側
    frothmouth
    frothmouth 2014/11/20
    安田の記事とあのブログの合わせ技で鬼女手法が「ハテナでは」市民権を得たってことかな/カルトの進捗みたいで見てて面白いと思います
  • 「政治的なもの」を飼い慣らす(2) - 擬似環境の向こう側

    (前回)「政治的なもの」を飼い慣らす(1) - 擬似環境の向こう側 ご存知の人も多いと思うが、「出羽の守」という言葉がある。 「イギリスでは…」「アメリカでは…」というように外国がいかに優れているかを強調する。返す刀で日がいかに駄目かをこき下ろす人物のことだ。 海外の情報を仕入れることが難しかった時代には、この手の出羽の守の出番は多かった。ところが今や、情報が簡単に国境を超えるネット時代。出羽の守はかなり減ったけれども、それでもたまに健在ぶりを見せつけてくれることもある。 他方で、「逆出羽の守」のような存在が目立つようになってきたにも思う。外国での政策の「失敗」を殊更に強調して、日が同じ轍を踏まないよう警告する人たちのことだ。それぞれの国の政策にはそれぞれの文脈があるわけだから、それらを一切無視して「失敗」事例として片付けるというのはどうにも乱暴だが、ネットではこの手の「逆出羽の守」の

    「政治的なもの」を飼い慣らす(2) - 擬似環境の向こう側
    frothmouth
    frothmouth 2014/06/02
    hmhm
  • 「話せばわかる」という欺瞞 - 擬似環境の向こう側

    ぼくが電話回線を使ってネットに初めて接続したのは、いまからもう20年近く前の話だ。日でインターネットの商業利用が開始されてからまだ数年しか経っておらず、当時のぼくにとってネットはそれほど面白いものではなかった。 むしろ、ネットに接続するついでに加入したパソコン通信のほうがずっと楽しかった。若い人だと知らない人も多いかもしれない。ぼくが参加していたのはASAHIネットだったが、そこでは様々なフォーラムが用意されていて、関心のあるフォーラムに入れば見知らぬ人と特定のテーマで意見を交換することができた。画像のやり取りはできないので、完全に文字だけのコミュニケーションだ。 実にこっ恥ずかしいことをぼくもいろいろと書き込んだりしていたのだが、そこではどうしても参加者間の衝突が起きた。ASAHIネットでは実名でのやり取りが前提だったが、それでもかなり激しいやり取りが行われることがあった。最大規模を誇

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    frothmouth 2014/05/31
    (距離を)離せばわかる
  • 子どもを産まないというモラル - 擬似環境の向こう側

    <ずっと前に別のところに書いた文章に加筆、修正> 「だいじょうぶよ」というのが、その頃のの口癖だった。つづく言葉は、「なんとかなるって」。そう言って、いつも疲れてはいるけれど屈託のない笑みを浮かべるのだった。(中略) だが、いまのは、めったに「だいじょぶよ」とは言わない。「なんとなるって」が「なんとかするわ」に代わってから、もうずいぶんたつ。(中略) 「俺、7時半に帰ればいいよな」 「だいじょうぶ?」 「なんとかなる」 私もこんなふうに言っていたのだ、確か、昔は。 (出典)重松清『ナイフ』新潮文庫、p.302およびp.378 子どもを産まない理由として、しばしば挙げられるのが経済的要因だ。つまり、「子どもを育てるのにはお金がかかる」というものだ。 ここから、子どもを産まない人々のモラルの欠如を批判する声が噴出することがある。「今の恵まれた日社会で『お金がかかる』などとは理由にならない

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    frothmouth 2014/04/16
    不景気が主に悪い
  • 「世界最悪の事態」を迎えた人びと - 擬似環境の向こう側

    安部首相が現在の日中関係を第一次世界大戦前の英独関係に例えたということが話題になっている。 今年は第一次世界大戦が勃発してからちょうど100年目ということもあり、何かと話題になることも多い。そこで、このエントリでは、当時の人びとが第一次世界大戦をどのように迎えたのかということを少し書いてみたい。もっとも、ぼくは専門家ではないので、大したことは書けないのだが。 ウォルター・リップマンは、20世紀の前半から半ばにかけてアメリカを代表するジャーナリストだった。第一次世界大戦が勃発した1914年夏、リップマンは偶然にもヨーロッパに滞在していた。イギリスでの仕事を終えてスイスへと向かう途中、リップマンはベルギーのブリュッセルでオーストリアがセルビアに宣戦し、ヨーロッパ情勢が急激に緊迫してきたことを知る。リップマンはその日の日記にこう走り書きしている。 ヨーロッパ戦争近し。ブリュッセルはパニック状態。

    「世界最悪の事態」を迎えた人びと - 擬似環境の向こう側
  • リベラルなナショナリストに勝ち目はあるか - 擬似環境の向こう側

    前回のエントリが意外なことに結構多くのブックマークを集めた。ブックマークのなかには「リベラル・ナショナリズム」について言及しているものもある。そこで、このエントリではリベラルなナショナリズムを取り上げてみたい。 …のだが、まずはぼくの個人的な体験談から。 あれはぼくがまだ大学院生だったころの話。友人と飲み会のあり方について議論をしていたときのことだ。ぼくは以前のエントリでも書いたように、アルコールに弱いこともあり、一気飲みなどで盛り上がるのが好きではない。たとえそれほど盛り上がらなくても、個々人が好きなように飲めば良いではないかという立場だ。それに対して友人は、飲み会で重要なのは場のノリなのであって、そういう空気を乱す行為は良くないと主張していた。 そこでぼくが思ったのは、思想の左右と集団主義的な思考というのはあまり関係ないのではないかということだ。というのも、思想的に見ればその友人はぼく

    リベラルなナショナリストに勝ち目はあるか - 擬似環境の向こう側
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    frothmouth 2013/12/29
    水平リベラルは牧の舟か?
  • リベラルのことばが届かない - 擬似環境の向こう側

    ネット上では「サヨク」や「リベラル」を嘲笑し、罵倒する言葉に溢れている。 そもそも、誰が「サヨク」で誰が「リベラル」なのか、いまいちはっきりしないのだが、たとえば『朝日新聞』でよく見るような意見の持ち主を指すと考えていいんじゃないかと思う。護憲、歴史修正主義に反対、国際的融和の重視、反ナショナリズムといった主張がそれにあたる。他方で、格差や貧困の是正や社会保障の拡充などは典型的な左翼的主張だとも言えるが、この点についてはそれほど批判されない。 いずれにせよ、ここではそうしたリベラルの「ことば」が届かないという事態について考えてみたい。まず、12月25日の『朝日新聞』に掲載された星野智幸さんの論説を一部紹介しておこう。 それにしても、不思議に思う。あれほど政治や社会を熱く語ることを毛嫌いし、冷淡だった人たちが、今にしてなぜ、こうもナショナリズムに入れ込んでしまうのか。(中略) ナショナリズム

    リベラルのことばが届かない - 擬似環境の向こう側
    frothmouth
    frothmouth 2013/12/26
    水平リベラル
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