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ブックマーク / chez-nous.typepad.jp (3)

  • 「言葉の劣化」に抵抗すること

    先日久しぶりに会った知人が何の前置きもなく「君もたいへんだなぁ」としみじみ言うので、いったい何のことかと訊ねたら、国は大学には人文社会科学、とりわけ文学部なんてもう必要ない、という方針なんだろう? 自分は大学の事情はよく知らないが、ニュースで大々的に報道されているからみんな知ってるよ、講義で学生たちに「ぼくたちどうなるんですか?」なんて聞かれたらどう答えるの? と。つまりぼくが文学部の教授であることを知っているので、心配してくれたわけだ。 実はこのような問いは、講義の後すでにある学生から質問されたことがある。それでぼくはどう答えたかというと、「文学部がなくなったって、ぜんぜん大丈夫」というものだった。ちょっとヤケクソに聞こえるかもしれないけど、その時はなぜかそうとしか答えられなかった。質的な問題は「文学部」とか「何々学」などという制度の存続ではないし、自分が今たまたまそうした制度の中で仕

    frothmouth
    frothmouth 2015/08/20
    民族責任論
  • 「権力が芸術に介入する」

    愛知県美術館の「これからの写真」展に展示されている鷹野隆大さんの写真作品が匿名の通報によって訪れた警察によって「わいせつ」と判断されたことに対して、反対する署名を求められた。 署名といってもネット上の署名である。正直、ネットでの署名なんてどっちでもいいと思ってるけど、絶対しないと決めてるわけでもない。その時の気分でしたければするし、親しい人から回ってくるとついしてしまう。優柔不断だが、まあその程度のものだと思う。署名したことなんてすぐ忘れてしまうし、そのことで自分が何か社会的な意思表明を行ったなどとはあまり思えない。 この程度のものを取り締まるなんて、いくら何でもやり過ぎだと思ったから署名はした。でも、ちょっと気になることもあった。それは「権力が芸術に介入する」みたいな言い方である。こうした問題において、「芸術」を何か特権的なものであるかのように扱うと、話がややこしくなると思うからである。

    frothmouth
    frothmouth 2014/08/23
    タイトルみて「むかっしからそうやん・・・」と思った。これではいかん、と啓蒙されるべきなのかな?
  • 坑道のカナリア—弱さの意味について— - tanukinohirune

    「坑道のカナリア(canary in a coal mine)」というのは、いまはもう使われることのない安全対策に由来する言葉です。炭坑で働く男たちが、カナリアの入った鳥かごを携えて坑道に入って行く。ご存じのように炭坑労働には多くの危険が伴いますが、そのひとつに一酸化炭素などの有毒ガスが知らない間に充満していて、気が付いた時にはもう遅く、身動きがとれず死に至るということがあります。カナリアは人間よりガスに敏感なので、まだ人間の身体には害のないような僅かな量の有毒ガスにも反応し、騒いだり気絶したりする。それを見て危険を察知し避難することができるというわけです。 現代ではおそらく、カナリアよりももっと敏感な有毒ガス検出器を持って行くので、こんなことは行われません(いや、別に確かめたわけではありませんが、ないと思います)。けれども比喩としては、「坑道のカナリア」はまだ使われているようです。なぜか

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