ブックマーク / fujinkoron.jp (5)

  • 96歳アマチュア写真家、個展は超満員。23歳で結婚後、趣味を持たずに働き続け、74歳で夫と永遠の別れ。その後出会った写真の面白さ 76歳で始めた写真、気づけば20年以上夢中に 70代からの挑戦|健康|婦人公論.jp

    東京・神田で、カメラを首から下げて歩く小川ゆきよさん。実は個展も開催しているアマチュア写真家です。聞けば、写真に目覚めたのは76歳のときだとか。以来、「東京の今」を独自の視点で撮り続け、96歳の現在も、日常の《一瞬》と出合うために街を歩きまわります(構成=福永妙子 撮影=藤澤靖子) 76歳、日光旅行でカメラの面白さと出会う 「ちょっとそのあたりまで」というときも含めて、ほぼ毎日カメラを持って外に出ます。自宅のある神田を中心に、東京駅、皇居周辺、日比谷、銀座など、家から近い場所、歩いて行ける場所がほとんどです。 愛用しているのは、ソニーのデジタルカメラ。近くも遠くも撮れて、扱いやすい。コンパクトで軽いから、私のような身長140センチのちっちゃなおばあちゃんでも、持ち歩いたり、構えてシャッターを押したりするのに負担になりません。このカメラを首から下げて、予備の電池を入れた小袋、貴重品を入れたシ

    96歳アマチュア写真家、個展は超満員。23歳で結婚後、趣味を持たずに働き続け、74歳で夫と永遠の別れ。その後出会った写真の面白さ 76歳で始めた写真、気づけば20年以上夢中に 70代からの挑戦|健康|婦人公論.jp
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    ftq 2022/05/20
  • いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp

    芸歴37年、女優・タレント活動を続けながら、大学院へ通う学生生活を送っている、いとうまい子さん。45歳で大学進学を決意した経緯と、現在の日々について聞いてみると――(構成=内山靖子 写真提供=いとうさん) 夫の言葉に背中を押されて 芸能生活25周年を迎えたころ、社会に対して何か恩返しがしたいと思うようになりました。18歳でデビューして以来、この世界で仕事を続けることができたのも、長年、私を支えてきてくれたスタッフや仕事関係者、ファンのおかげ。周囲の方々に、何らかの形でお返しをしたかったのです。 でも、高校を卒業してすぐに芸能界に入った私は、恩返しの術を何も持っていなかった。そこで、まずは大学に入ってさまざまな知識を身につけ、自分にできることは何かを考えてみたいなと思って。 とはいえ、ドラマやバラエティ番組の仕事をしながら大学に通うのは時間的にかなり厳しい……。なかなか踏ん切りがつかないまま

    いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp
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    ftq 2021/02/26
    凄い!研究の成果を駆使して若返り、またアイドルとして活躍するいとうまい子さん…ってのも夢ではないかも。
  • 山口もえ「恋愛スイッチはオフだった私が、彼との再婚を決意した瞬間」 「ああ、私たちは家族になれる」|芸能|婦人公論.jp

    「子育てと仕事に追われていた私の“恋愛スイッチ”は、長らく完全にオフ状態。彼と共に過ごす時間は心地良くて幸せだった。にもかかわらず、それが恋愛とは結びつかなかったのです。」(撮影:大河内禎) 日9月15日の『徹子の部屋』で、再婚5年目の今を語った山口もえさん。ともに離婚経験のある2人が再婚、一方は初めて父になる──。芸能人ならずとも難しそうな再婚までの道のり、山口もえさんの背中を押したのは、子どもたちの「家族になりたい」気持ちの強さでした。4年前、爆笑問題の田中裕二さんと再婚について語ったインタビューを再配信します。(構成=平林理恵) 恋愛スイッチは完全オフ。ママ業最優先の日々に 2015年10月、「爆笑問題」の田中裕二さんと結婚しました。以前からお付き合いをしていたのに、それを明かすわけにいかず、とても心苦しく思っていました。結婚の意思を固めたのはもうずいぶん前です。でも、万が一にでも

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    ftq 2020/09/16
  • 男社会で揉まれてきた私が…高齢出産で授かった2人の息子の育児に降参です! 干からびたワカメ、キャップのない油性ペンが床に転がって|読者体験手記|婦人公論.jp

    読者が自らの体験を綴る、『婦人公論』の恒例企画「読者ノンフィクション」。100篇を超す投稿のなかから、編集部が選んだ作品を紹介します。日は、「高齢出産」した森田可奈さん(仮名)の手記です。2人の息子の暴れっぷりに爆笑必至! 男社会の職場でもまれ、乗り越えてきた私が……。まさか、血肉を分けたわが子が手におえないなんて! 「女は船に乗せねぇ!」と船長にどなられたことも 白旗をあげよう、降参です。畳を叩こう、参りました。明らかに私の認識違いでした。 現在育休中だが、私は大手建設コンサルタントの下請け会社で自然環境調査の技術者として20年近く働いている。まだまだ男社会であり、おもにおじさま方と肩を並べて仕事をしてきた。海の現場では「女は船に乗せねぇ!」と船長にどなられて、腕を掴まれ船から下ろされそうになったこともあったし、泊まりがけの現場の宿では、女湯におっさんがいたこともあった。 ほかにも、ダ

    男社会で揉まれてきた私が…高齢出産で授かった2人の息子の育児に降参です! 干からびたワカメ、キャップのない油性ペンが床に転がって|読者体験手記|婦人公論.jp
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    ftq 2019/12/24
    こんな長文を書く余裕があるなら大丈夫!ってわけではないな。書くことで少しでも癒されるなら、たくさん書き溜めて欲しい。そして息子さん達が大きくなったら読ませてあげて欲しい。
  • ダイアモンド・ユカイ「免許返納に納得しないおふくろ。オレがとった最終手段は」 するかしないかで大ゲンカ|芸能|婦人公論.jp

    85歳までは車であちこち出かけていたダイアモンド・ユカイさんの母。説得を始めてから免許返納に至るまで5年かかったという、ロックンローラー親子のバトルはいかに──(構成=平林理恵 撮影=大河内禎) 「あんた、何言ってるの?」強く正しいおふくろ うちは両親とも公務員、自分は共働き家庭の一人っ子として育ちました。親父は体が弱いながら、遠い職場まで通い家族のために頑張ってくれていたのですが、オレが21歳の時に亡くなりました。一方おふくろはバリバリ働き、役所では課長にまで昇進して、キャリアウーマンの走りだった。 四十何年勤め上げて定年退職してからは、もう羽を伸ばしちゃってね。まさに第二の人生を謳歌していました。家庭菜園を始め、そこで育てた野菜を使ってむちゃくちゃ手の込んだ料理を作る、世界各国を旅行する、行きたい所へはどこにでも自分で車を運転して出かける……。 おふくろは、2年前に90歳で亡くなりまし

    ダイアモンド・ユカイ「免許返納に納得しないおふくろ。オレがとった最終手段は」 するかしないかで大ゲンカ|芸能|婦人公論.jp
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    ftq 2019/12/03
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