ブックマーク / suumo.jp (19)

  • 練馬歴30年超『酒のほそ道』の作者・ラズウェル細木がこの先もずっと練馬で暮らしたい理由(上井草~石神井公園) - SUUMOタウン

    インタビューと文章: スズキナオ 写真: 関口佳代 連載開始から30年を迎える長寿グルメマンガ『酒のほそ道』。酒と肴を愛してやまない会社員・岩間宗達とその仲間たちが、その日その時の酒席を堪能する様を、なんとも美味しそうに、また楽しそうに伝えてくれるこの作品は、多くの酒好きや通たちを魅了し続けてきた。 ©️ラズウェル細木/日文芸社その作者であるラズウェル細木さんは、故郷の山形県から大学受験の浪人生時代に上京して以来、東京を拠点に生活している。大学入学以降、都内のあちこちで暮らしてきたが、30代の半ばからは東京都練馬区に住まいを定め、ご人いわく「ここから引越すことはないでしょうね」と、現在の居場所に強い愛着を感じているという。 そこで今回は、ラズウェル細木さんのお住まいの周辺を散歩しつつ、お気に入りのスポットや街の魅力などについてたっぷりとお話を伺ってきた。 ラズウェル細木さんと上井草か

    練馬歴30年超『酒のほそ道』の作者・ラズウェル細木がこの先もずっと練馬で暮らしたい理由(上井草~石神井公園) - SUUMOタウン
    fu_kak
    fu_kak 2024/06/24
  • 離婚後、町田で私は「一人でも大丈夫」と思えるようになった|文・吉玉サキ - SUUMOタウン

    著: 吉玉サキ 離婚しても、私たちは相変わらず町田で遊んでいる 離婚してそろそろ一年になる。 私は2015年から町田の団地に住んでいる。町田といっても、町田駅から近いわけではない。どこの駅からも遠い、日当たりのいい部屋だ。 離婚後は夫がこの家を離れ、私は引き続き住み続けることになったため、部屋の名義を夫から私に変更した。ここ数年、家賃は私が払っていた。というか、夫は働いておらず、生活費はすべて私が払っていたので、名義が私でないことが不思議なくらいだった。 離婚しても町田に住み続けるのは、単純に、町田とこの家が好きだからだ。洗濯物を干すときに、ベランダから丹沢山地の稜線(りょうせん)が見えるのが好き。団地内を歩いていると、お散歩中の保育園児の列とすれ違うのが好き。団地はペット禁止のはずなのに、広場には犬の散歩をしている人がたくさんいるのが好き。 私はここが好きで、ここで過ごした日々が好きだか

    離婚後、町田で私は「一人でも大丈夫」と思えるようになった|文・吉玉サキ - SUUMOタウン
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    fu_kak 2024/03/12
  • 「日本一ウザい店」と呼ばれる中東料理店ザクロが生まれた理由と谷根千散歩【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 日暮里にある「日一ウザい店」と呼ばれるザクロをご存知だろうか。中東(イラン・トルコ・ウズベキスタン周辺)料理の店なのだが、一番のウリ(?)が店主のウザさ。 そんなザクロ店主の娘であるアリサさんとたまたま知り合ったので、あの店はどうしてああなったのかをご家族にじっくりと聞いてみた。そして日暮里育ちのアリサさんに、谷根千(谷中・根津・千駄木)周辺の魅力を教えてもらった。 これがザクロの名物店主、アリさんだ ザクロでウザいのはイラン出身のアリさんによって畳みかけられる冗談であり、料理自体は安くておいしくて量が多い。 どんな冗談なのかというと、例えば母と娘のお客さんが来たとしたら、「ヤバ~イ、どっちが私と付き合いますか? ママが私を紹介すると彼氏になるけど、ママを私に紹介したらパパになるよ~」みたいなやつ。なかなか文法が難しい冗談である。 ジャンケン大会をしている店主のアリさん

    「日本一ウザい店」と呼ばれる中東料理店ザクロが生まれた理由と谷根千散歩【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
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    fu_kak 2024/03/08
  • 列島を1万キロ歩くモドさんがNYタイムズに盛岡と山口を載せた理由。東京と廃墟ラブホから見える日本 クレイグ・モド(Craig Mod)インタビュー

    列島を1万キロ歩くモドさんがNYタイムズに盛岡と山口を載せた理由。東京と廃墟ラブホから見える日 クレイグ・モド(Craig Mod)インタビュー 2023年11月下旬、初雪が降った日の盛岡。筆者はどうしても来たくなり、高速バスに揺られた。 理由は2つある。一つは、筆者がかつて心を打たれた街を、もう一度味わいたくなったから。 そしてもう一つは、作家・写真家のクレイグ・モド(Craig Mod)さんにインタビューさせてもらったからだ。ニューヨークタイムズ紙に「盛岡」を強く推薦し、同紙の「2023年に行くべき52カ所」で、その2番目に盛岡を抜擢させた張人。 インタビューでモドさんが語った盛岡の姿が頭から離れず、バスに乗ったのだ。

    列島を1万キロ歩くモドさんがNYタイムズに盛岡と山口を載せた理由。東京と廃墟ラブホから見える日本 クレイグ・モド(Craig Mod)インタビュー
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    fu_kak 2024/01/26
  • 普通の会社員がたまたま多摩川の野草を好きになり、会社を辞めて野草で食べていくようになった話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「365日野草生活」を掲げているのんさんは、ちょっとしたきっかけからどこにでも生えている野草の魅力に目覚めて、観察する時間がもっと欲しくなり、思い切って会社員を辞めて野草でべていくと決意したそうだ。 そこまで野草にハマっていったいきさつ、野草観察のポイント、そして好きなものを趣味から生きる糧へと変えていった貴重な経験談を伺った。 きっかけはペットのウサギがべられる野草探しだった 野草愛好家としてテレビやラジオなどに多数出演しているのんさんだが、意外にも野草を好きになった時期は、かなりの遅咲きだった。 のんさん(以下、のん):「生まれたのは青森です。父が転勤族だったので、五歳くらいで山形へ引っ越して、中学校からは横浜、大学時代は東京。社会人になってからは多摩川の近くに住んでいます」 ――野草好きだけに、山形に住んでいた頃は野山を駆け回るタイプだったのですか。 のん:「そ

    普通の会社員がたまたま多摩川の野草を好きになり、会社を辞めて野草で食べていくようになった話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
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    fu_kak 2023/07/05
  • 「相続地獄」を経験した森永卓郎さんに聞いた、親の生前に最低限しておくべきこと - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    親の死後、子どもに降りかかる遺産相続の問題。相続税は死去から*110カ月以内に申告・納付する必要があり、資産が多い場合や相続人が複数人いる場合などは、やるべきことが山積みです。 「うちには大して資産がないはずだから、関係ない」と思っていても、親が当にどれだけの資産を保有しているかは、意外とわからないもの。 2015年からは相続税の基礎控除の金額が大幅に引き下げられており、もはや相続は一部のお金持ちだけの問題ではなくなっています。 そこで、2011年に父親を亡くし、10カ月にわたる「相続地獄」を経験した経済アナリストの森永卓郎さんに、相続にまつわる作業や手続きで大変だったこと、相続する側が事前に準備しておくべきことなどを伺いました。 どれだけあるか全くわからなかった父親の資産 ――森永さんは2011年にお父さまを亡くされ、それから10カ月にわたる「相続地獄」を体験したと伺いました。相続にま

    「相続地獄」を経験した森永卓郎さんに聞いた、親の生前に最低限しておくべきこと - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
    fu_kak
    fu_kak 2023/01/25
    おれは保有してる口座や証券、保険、ついでに加入しているサブスク、サービス、寄付、アカウント情報も含めてぜんぶテキストをメモアプリで妻に共有してるし念のためプリントアウトして渡してある。遺言やるか。
  • 能登半島の海と過ごした最高の夏休み。石川県志賀町に1軒の古民家を買った男は、集落の未来も買おうとしていた(文・玉置 標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 (撮影:宮沢豪/玉置標) 日海に突き出た能登半島の左側、石川県羽咋郡志賀町(はくいぐんしかまち)の赤崎(あかさき)という海沿いの集落に、立派な古民家を買った友人がいる。彼、佐藤正樹さんは東京在住で、その家を民泊「TOGISO」として貸し出しつつ、自身の多拠点生活の場としても活用している。 古民家のおもしろい使い方だなと遊びに行ったら、どんどん空き家が増えている赤崎で、買える家のすべてを買い取りたいという謎の野望を話してくれた。 まあまあ遠い石川県羽咋郡志賀町赤崎の古民家までやってきた 赤崎の古民家へは同行いただいたカメラマンの車で訪れたのだが、埼玉県東部の我が家からは約530km、夜中に高速道路を移動して8時間とまあまあ遠かった。 金沢駅からでも車で1時間半の場所。羽咋駅からバスを乗り継ぐというルートもあるようだが、羽田空港から飛行機でのと里山空港へ飛び、予約制のふる

    能登半島の海と過ごした最高の夏休み。石川県志賀町に1軒の古民家を買った男は、集落の未来も買おうとしていた(文・玉置 標本) - SUUMOタウン
    fu_kak
    fu_kak 2022/08/30
    めっちゃ良いな
  • 鷹の台に『ノルウェイの森』はなかった | 文・地主恵亮 - SUUMOタウン

    鷹の台という街がある。東京都小平市にあり、西武国分寺線が走り、江戸時代に玉川兄弟がつくった玉川上水が流れている。武蔵野美術大学や津田塾大学があって学生街に思えるけれど、実際は緑の多い静かな住宅地だ。 武蔵野美術大学は羽海野チカさんのマンガ『ハチミツとクローバー』の舞台のモデルとされる大学で、津田塾大学は村上春樹さんの小説『ノルウェイの森』のヒロイン・直子が通った大学のモデルといわれている。そんな「青春が詰まったような街」に、大学生の私は住んでいた。 美大生になって、上京するまでのこと 私は高校に入学したころから「美大に行こう」と決めていた。今となってはなぜそんな目標を定めたのか、よく思い出せない。映画や写真、絵画が好きだったからだとは思う。地元・大分の普通科の公立高校に入学したけれど、勉強には向かないようだったので、一般的な大学入試は無理だと考えてそのような進路にしたのだろう。 この記事を

    鷹の台に『ノルウェイの森』はなかった | 文・地主恵亮 - SUUMOタウン
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    fu_kak 2022/07/16
    良い
  • 土岐麻子さん「渋谷という街は私の人生に出てこなかった。Cymbalsに入るまでは」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 田中宏 写真:関口佳代 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆◆◆ 今回お話を伺ったのは、歌手、ナレーション、ラジオDJなど“声のスペシャリスト”として八面六臂の活躍を見せる土岐麻子さん。 代々木上原で生まれた土岐さんは、千歳船橋で青春を送り、早稲田大学入学後にバンド・Cymbalsを結成。Cymbalsはその音楽性から「ポスト渋谷系」と呼ばれました。また、自身の楽曲「BOYフロム世田谷」の歌詞では、「一方通

    土岐麻子さん「渋谷という街は私の人生に出てこなかった。Cymbalsに入るまでは」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
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    fu_kak 2021/10/14
    すごく良い
  • おれ、死ぬまで練馬がいいや。老若男女が「ちょうどよさ」に溺れる街 - SUUMOタウン

    著: 安田理央 西武池袋線、都営地下鉄大江戸線を擁する練馬駅 埼玉県浦和市(現・さいたま市)育ちの筆者にとって、練馬区といえば、子どものころ、親に連れて行ってもらった豊島園遊園地(としまえん、2020年8月に閉館)だった。 としまえん以外のかかわりができたのは、高校時代。当時組んでいたバンドのメンバーが江古田周辺に住んでいたことから、江古田に足繁く通い始めた。ドラマーの実家の離れに毎週のように集まり、昼間っから音楽の話や女の子の話を延々と交わしていた。 その流れで高校卒業後、一人暮らしをする時も、迷うことなく江古田に住んだ。 江古田は「将来を考えていない若者」に優しい 最初に住んだのは家賃2万円、風呂なしトイレ共同、絵に描いたようなオンボロアパートだった。地震があったら窓が開かなくなり、もう一度地震があったら開くようになった、と言えば、そのボロさが分かるだろうか。それでも毎晩のように友達

    おれ、死ぬまで練馬がいいや。老若男女が「ちょうどよさ」に溺れる街 - SUUMOタウン
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    fu_kak 2021/07/15
    良い
  • 青物横丁で見つけた一人っきりの空虚【街と音楽】(文:ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ)) - SUUMOタウン

    著者: ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ) 自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ 2002年、社会人一年目。夢にまで見た東京での暮らし。 埼玉の実家から東京までの通勤は片道一時間半もかかっていたし満員電車でしんどい。家にいて親から小言を言われたくない、朝から晩まで音楽制作に没頭したい、なにより自分の力で生活してフリーダムな毎日を送りたい。 会社員として働き始めて半年ほど経ち、そんな思いがふつふつと湧いていたある日。私は専門学校時代に出会った同級生と結託し、東京でルームシェアをすることに決めたのだった。 親元を離れ、初めての自給自足の生活。掃除、洗濯、自炊などの家事はお互いそこそここなすことができて、それほど不自由は

    青物横丁で見つけた一人っきりの空虚【街と音楽】(文:ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ)) - SUUMOタウン
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    fu_kak 2020/10/22
    良い
  • 父が倒れてしまったあの日、ぼくにとって「塩竈」はかけがえのない街になった - SUUMOタウン

    著者: 五十嵐 大 ぼくの父は、強面で身体が大きく、とても真面目な人だった。塗装工として休みなく働き、家族をしっかり養ってくれた。 でも、あまり感情を表に出さずぶすっとしている父は、ちょっと怖い。幼いころのぼくは、父が少し苦手だった。 「大ちゃん、お父さん、倒れたの! これから緊急手術だって!」 そんな父が倒れてしまったと連絡が入ったのは、ぼくが編プロでライター修行をしていたころ。いまから7年前のことだ。 病状は、くも膜下出血。電話をくれた従姉妹は、これから手術が行われること、家族は急いで病院に集まるように言われたこと、手術が成功するかどうかはまだ分からないことなどをまくしたてていた。 でも、その声がどんどん遠ざかっていく。 嘘だろ……。ぼくの耳は、電話の向こうで起きている現実をなかなか受け入れようとしなかった。 「だから、いますぐ帰ってきて!」 耳元で従姉妹が狼狽しながら叫ぶ声を聞き、ぼ

    父が倒れてしまったあの日、ぼくにとって「塩竈」はかけがえのない街になった - SUUMOタウン
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    fu_kak 2020/01/12
    良い
  • 時間がまだらに積み重なる街、熱海 - 住んだことのない街に、一週間住んでみる -(寄稿:pha) - SUUMOタウン

    著: pha 「もしもし」 「はい」 「前に『SUUMOタウン』で、『住んだことのない街に、一週間住んでみる』って企画やったじゃないですか」 「千駄ヶ谷のやつですね」 「あれが好評だったのでまたやりませんか?」 「やります。人の金で行けるんだったらどこにでも行きます」 「どこか住んでみたいところはありますか」 「そうっすねー、海の近くに一度住んでみたかったんですよね。あと温泉があるといいな。温泉に入って海を眺めて毎日ぼーっと暮らしたい」 「じゃあ熱海とかどうですか。海も山も温泉もありますよ」 「いいですね」 そんな感じで、突然熱海に一週間住んでみることになったのだった。こんな仕事ばかりやって生きていきたい。 5月26日(日):男二人で花火を見る というわけで熱海に着いた。 「おう、久しぶり」 熱海駅の前で大学時代の友人のSと合流した。Sがたまたま熱海に旅行に来ているというので会うことになっ

    時間がまだらに積み重なる街、熱海 - 住んだことのない街に、一週間住んでみる -(寄稿:pha) - SUUMOタウン
    fu_kak
    fu_kak 2019/07/18
    良い
  • 僕には八王子という“距離”が必要だ - SUUMOタウン

    著: pato 八王子は遠い。遠いのだ。 都心で活動する人の多くがそう感じるだろう。八王子は遠いのである。東京の最果て、ほとんど山梨、そんなイメージを抱いている人もいるんじゃないだろうか。僕の住む八王子はそんな場所である。 概念として遠い街、八王子 友人との飲み会や打ち合わせ、都心で行われるそれらの活動の後に「八王子まで帰る」と宣言すると、その場にいた人に必ずこう返される。 「めちゃくちゃ遠くないですか?」 それは全くもって異論がないところだ。八王子は遠いのである。 中央線の快速なら新宿から37〜47分ほど、京王線の特急なら39~46分ほど。車だったら1時間くらいはかかるだろうか、直線距離で40キロくらいの道のりだ。確かに遠い。ただ、実際の遠さ以上に遠いと感じる人も多いんじゃないだろうか。きっと、八王子は概念として遠いのだ。 「都心に出ることが多いんだから、都内に住めばいいのに」 そんなこ

    僕には八王子という“距離”が必要だ - SUUMOタウン
    fu_kak
    fu_kak 2018/09/26
    これを妻に見せたら八王子への引越しを再考してくれるだろうか
  • 酒と欲望の街「五反田」に編集者として生まれ育って - SUUMOタウン

    著: 中道薫 五反田は、私を編集者にしてくれた街だ。 一部上場企業に入社し、丸の内OL(当は八重洲側だけど)として働いていた私は、入社2年目で編集プロダクション・ノオトに転職した。 出版業界にいた大学の先輩から「編プロなんて月に何回家に帰れるか分からない。どブラックなところだよ」と忠告を受け、覚悟の上の転職だった。やりたい仕事だから働き詰めでも構わないと思った。早いもので、あれからもう5回目の冬を迎えている。 実際に入社してみると、徹夜を強いられるどころか社長自ら「早く帰りなさい」と声をかけられる労働環境。それでも、編集どころか原稿の書き方すら分からない自分を早くなんとかしたくて、がむしゃらにデスクにかじりつき、走って最終電車に滑り込むこともあった。 当初オフィスは高輪台にあったが、入社半年で隣駅の五反田へ移転した。時期を合わせるように実家から引越したのは、都営浅草線で1駅先の戸越。徒歩

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    fu_kak 2018/03/15
    都々井、春に復活するの?!やったーーー!!!
  • 関内と関外と〜横浜の「境界」を歩く〜 - SUUMOタウン

    著: 黄金頭 関内かと思ったら関外だった。おれにはそれが面白くてたまらなかった。だからおれは自分のブログの名前を「関内関外日記」とした。「かんないかんがいにっき」と読む。おれの名前は黄金頭。ゴールドヘッドと読もうがどうしようがそれはあなたの勝手だ。ゴールドヘッドはすばらしいサラブレッドだった。 話は源義経が腰越状を書いたころにさかのぼる。おれの勤めている会社が、藤沢から横浜に移転することになったのだ。横浜横浜はすばらしい。すばらしい横浜。日に誇る大都会。古より人々が見上げてきた横浜ランドマークタワー。ナウなヤングでひしめくイセザキ・モールにはメリーさん。今日もスーパーカートリオが横浜スタジアムを駆け回る……先発は欠端光則。 その行政的な中心地である関内。藤沢は藤沢でダイヤモンドビルやフジサワ名店ビルなどがあるすばらしい街ではあるが、関内というのはさらにすばらしいに違いない。おれはそう思

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    fu_kak 2017/06/23
  • ほんのり漂う物悲しさが心地よい。我が道をいく下町「尾久」(寄稿:ほそいあや) - SUUMOタウン

    著: ほそいあや なんていうか、駅舎から好みだ。 上野からJR高崎線もしくは宇都宮線に乗って、次に停まる尾久。 この駅はとにかく地味で、23区内のJR駅とは思えない陸の孤島のような雰囲気がある。どれくらい地味かというと、23区内のJR駅の中では、京浜東北線の上中里駅と京葉線の越中島駅に並ぶ地味さだと思っている(余計分かりにくい)。 この尾久駅周辺は、散策するとけっこう楽しい。私は田端に住んでいるが、普通はそのあたりの人なら谷根千か上野、あるいは池袋方面に遊びに行くことが多いと思う。でも天気のよい休日なんかは、自然と尾久方面へと足が向いてしまう。何もないのは分かっているのだが、“何もなさ”を楽しみたい気持ちになるのだ。 今日は尾久の魅力について語らせていただこうと思う。 * まず、尾久がだいたいどのあたりにあるのかを説明しよう。上野と赤羽の間といっても広いし、たまにしか高崎線や宇都宮線に乗ら

    ほんのり漂う物悲しさが心地よい。我が道をいく下町「尾久」(寄稿:ほそいあや) - SUUMOタウン
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    fu_kak 2017/04/27
    昔西尾久に住んでたからずっとおぐってよんでたよ、好きだなぁ
  • 家族が過ごしやすい街「辻堂」 小島アジコ&801ちゃん家の日常と「辻堂」の魅力 - SUUMOタウン

    マンガと文章: 小島アジコ 横浜以南で子育てに便利な街、辻堂 小島アジコです。2人の男児の育児中です。今日は、家族でよく行く街、辻堂についてご紹介します。 辻堂駅前は近年再開発が行われているエリアで、特に、2011年に「テラスモール湘南」がオープンしてからは非常に便利な場所になりました。 とくに「テラスモール湘南」がすごい! テラスモール湘南の中には、他にも、子ども向けの教室があったり、写真撮影のできるスタジオがあったりと、買い物や事だけでない、さまざまな店舗が入っています。映画館もあり、休日を過ごすには最適です。 はビル外のお店が並ぶ小道にあるBiggyというパン屋さんや、モール1階「湘南マルシェ」の澤光青果、肉の石川が特に好きなようで、辻堂に出ると必ず袋を下げて帰ってきます。 次男が辻堂の病院に入院したときのこと この後、次男(プーちゃん)は無事退院しました。辻堂は医療施設も充実し

    家族が過ごしやすい街「辻堂」 小島アジコ&801ちゃん家の日常と「辻堂」の魅力 - SUUMOタウン
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    fu_kak 2017/03/16
  • 田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか【群馬県前橋市】(寄稿:朽木誠一郎) - SUUMOタウン

    著: 朽木誠一郎 2浪1留で6年制の大学を卒業したら27歳になっていた。不覚である。 大学は群馬県の前橋市というところにあった。人生の4分の1相当の時間をそこで生活したことになる。当時、僕は前橋が嫌いだった。 前橋市内の風景(画像:PIXTA) 前橋にも、そもそも群馬にも、縁もゆかりもなかった。受かった大学に入ったというのが正直なところだ。 赤城山と榛名山と妙義山に囲まれた市内には、大学と県庁くらいしかめぼしいものはない。遊び場は自遊空間かラウンドワンで、車社会だから飲み屋に行くにも運転代行が必要だった。 隣の高崎市は新幹線の停車駅で、セレクトショップやクラブがあり、郊外にはイオンモールもあった。週末はそこいらで過ごしたりしたけれど、そういうのもだんだん面倒になって、仲間内でもっぱら宅飲みをしていた。 内向的な性格というわけではないものの、次第に田舎らしいムラのようなコミュニティーが生まれ

    田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか【群馬県前橋市】(寄稿:朽木誠一郎) - SUUMOタウン
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    fu_kak 2016/11/24
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