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仮想的有能感に関するfudaのブックマーク (4)

  • vanillachips – Tシャツ印刷のレインボーショップのスタッフブログです

    私の友達は今後、2ヶ月ほどですが義理のお母さんとの同居をすることが決まっています。 というのも、友達は今妊娠をしていて、後一ヵ月後に出産予定になっています。 友達の実家の母親が、調子が悪く私が初産と言う状況ですが、里帰りも出来ず、さらに、今住んでいるところも新しく引越しをしてきたところなので、周りに知り合いもいず、そのような状況を大変だと思ってくれた旦那さんのお母さんが来てくれることになったのです。 もちろん、好意はありがたいですし、育児を初めて体験する友達としては、一人よりも誰かがいた方が安心というのもあります。 ですが、なんといっても、友達の義理の母親です。 気を使います。 さらに、友達が普段使っている台所を使われることになりますし、掃除の方法だって違うと思います。 洗濯に関しても、どういう風にされているか分かりません。 また、今までは1人で自分のペースで家事をしていたのですが、それが

  • [を] 他人に注意することの喜び

    他人に注意することの喜び 2006-05-30-6 [書評・感想][Blog] 茂木健一郎著「脳の中の人生」[2006-03-21-1]より: 最近の研究によると、ゲームのルールを破った人に対して注意を与える人 の脳では、うれしいことがあったときに活動する部分が活性化しているこ とがわかった。すなわち、その人は注意することで快感を感じているので ある。(p.93) 他人を注意することは利他的行為であるが、利己的行為でもあるらしい。 ネット界隈でこういう行動が活発なのは当然のことなのかもしれませんね。 快感ですよね。すかっとする。しかし!!!→[2005-07-15-3] ま  た  そ  れ  か  ! Referrer (Inside): [2008-06-09-1] [2006-03-21-1]

    fuda
    fuda 2006/05/31
    『他人を見下す若者たち』の話とも多少関連するかも。
  • [V]:真正罵倒芸とエセ罵倒芸

    ブログ界隈で日々行われている言論を見ていると、罵倒芸とでも云われているようなスタイルの文章にしばしば出くわします。しかしながら、こうしたスタイルの書き方にも二種類あることに気づきました。一つはまさしく芸と呼ぶにふさわしい真正罵倒芸と、もう一つは単に罵倒のスタイルを取っているだけのエセ罵倒芸です。 真正罵倒芸の特徴は次の通り。 罵倒する相手は、その議論のテーマにおいて発言力のある人やオーソリティー。相手は特定されている(相手の名前を明示していない場合でも誰を指しているか読み手にわかる)。 (自分の意見への賛成者・反対者に関わらず)第三者である読み手の視線を意識し、読み手を楽しませようとするサービス精神がある。 罵倒しながらも論理展開は確かで、情報・知識に基づき、議論に説得力がある。 それに対して、エセ罵倒芸の特徴は次の通り。 罵倒する相手はその人自身が自分より立場が下だと思っている人。ニート

  • 教育改革以前の問題 :Heartlogic

    教育改革以前の問題 ねえ、 日が可及的速やかに、しなきゃいけないことはなんだと思う? 私は絶対教育改革だと思う。 小娘が何か言ってます。 いわゆる「教育」改革じゃ遅くて、むしろ育児改革かもしれんね、という話。ざっと概要メモにて。 日の高校生の意欲が低いのは自己評価が低いからだろう、という話こんな記事が出ているのだが、 日の高校生は意欲足りない 日米中韓で意識調査(asahi.com) この元データが財団法人日少年研究所なる組織のサイトで公開されていて、これを読むといろいろと面白い。 例えば、テストで良い成績をとったとき父母がとても喜んでくれる、というアンケートでは、父母ともに日の親は最低。日の高校生は親の期待も感じていなければ褒められも叱られもしていない(ただし、母親に叱られるのだけは4国ともほぼ同じ割合)。教育に力を注がれてもいなければ、趣味に反発もされず、一人前の大人として

    fuda
    fuda 2006/03/09
    「仮想的有能感」というのは簡単にいって、「自分に肯定的評価をできない自己評価の低い者が、他者をこき下ろすことによって相対的有能感を得る」という現象のこと。
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