京都市街の中心部を東西に走る御池通に立つと、8月の日差しは強烈だが、生い茂った街路樹のまぶしい緑と開けた視界が盆地に溜(た)まりがちな熱気を緩ませる。 この片側4車線ずつに街路樹と歩道をそなえた広大な道は、実は78年前に終わった「あの戦争」の記憶を京都で最も強く喚起する場所のひとつだ。 京都市内は幹線道路であっても幅員の狭い道路が多いが、例外的に広いこの御池通や五条通は、戦時中の1944年に空襲対策の防火帯として強制的に家屋が撤去され、幅員が拡張された道路なのである。 だがしかし、京都に対する空襲は他の大都市と比べて格段に少なかった。1945年になると小規模な空襲が5回行われはしたものの、東京をはじめとする当時の大都市が軒並み焼き払われたと形容すべき被害を受けたのに比べると、京都の受けた被害ははるかに軽微なものだった。 京都への大規模空爆が避けられた事情については、「神話」が長年通用してき
![アメリカと日本の「神話」とぼんやりとした支持 | | 白井聡 | 毎日新聞「政治プレミア」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/667ef529e6e60059594217b78238106a1f936b2a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2023%2F08%2F08%2F20230808pol00m010001000p%2F0c10.jpg%3F1)