ブックマーク / politas.jp (3)

  • 『つぶしてやる』と言われた側の論理(藤井誠二)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    作家の百田尚樹氏が発した自民党青年局での「沖縄の2紙はつぶれればいい」とか「普天間は田んぼだった」という言葉は無知丸出しで恥知らずの発言だが、絶対に看過してはいけない。というのは、そういった発言に喝采を送ってしまう議員たちを選んでいるのは私たちだからだ。多くの自民党政治家たちは、沖縄のメディアに対して百田氏のように口にはしないだけで、同じような思いを抱いている。 「沖縄の反基地の運動はどうせ共産党だ」 とくに沖縄タイムスと琉球新報の2紙については、とりわけ政治的に偏向しているという恨み節はかねてよりあった。例えば、森喜郎元首相が「沖縄には3の赤い旗がたっている。1共産党。あとの2は地元紙の赤い旗だ」と言ったことは有名な話だ。小池百合子議員は沖縄担当相のときに、「沖縄の新聞はアラブに似ている」と言った。つまり「沖縄版アルジャジーラ」だと言いたいわけだ。こうした「沖縄の新聞は偏向して

    『つぶしてやる』と言われた側の論理(藤井誠二)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
    fugufugu
    fugufugu 2015/07/23
  • 「変われない沖縄」が生まれ変わるために(樋口耕太郎)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    戦後70年の節目となる慰霊の日に、沖縄がどのような社会になっているのか、振り返ってみたいと思う。 Photo by 柴田大輔 クラクションという「地雷」 沖縄を訪れる観光客は、どれだけ道が混雑していても、誰もクラクションを鳴らさないことに気がつくと、「沖縄の人たちはなんて優しいんだ」と感動する。世界中どこの都市でも街の音と言えばクラクション。那覇市は人口あたりの街の騒音が最も低い都市のひとつではないかと思うくらいだ。ところが、沖縄で暮らして何年か経過すると、これはクラクションを「鳴らさない」というよりも、「鳴らせない」状態に近いということを理解しはじめる。 沖縄社会で「加害者」のレッテルを貼られることほど最悪なことはない 車を運転している私が、往来の激しい国道で、違法に右折しようとしている車を見つけてクラクションを鳴らすと、周囲は違法運転している前の車ではなく、一斉に私のことを見る。違法運

    「変われない沖縄」が生まれ変わるために(樋口耕太郎)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
    fugufugu
    fugufugu 2015/07/13
  • 原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非

    原発をめぐる議論で「倫理」がなぜ問われるかといえば、それは使用済み核燃料の処理技術が確立されていないからである。「トイレのないマンション」とも揶揄されるように、現在の原発は、使用済み燃料の処理を、長期間保管しその危険性が自然に減衰するのを待つか、あるいは後世の技術開発の可能性に委ねることで成立している。いずれにせよ、いまここで処理できないものを、いつかだれかがなんとかしてくれるという「他人任せ」の態度のうえで成立しているのは疑問の余地がない。 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるか 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるかどうか。原発の倫理的問題は結局はそこに集約される。日では福島第一原発事故を機にはじめて関心を向けたひとが多いが(筆者自身もそのひとりだが)、この問題は質的に事故の可能性とは関係ない。

    原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非
    fugufugu
    fugufugu 2015/06/24
  • 1