10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎議員の行動について、明治時代に天皇に直訴した田中正造になぞらえる向きもある。元衆院議員の田中は1901年、足尾銅山(栃木県)の鉱毒に苦しむ農民を救おうと明治天皇の馬車に走り寄り、その場でとらえられた。 「田中正造における憲法と天皇」の論文がある熊本大の小松裕教授(日本近代思想史)は、(1)田中は直前に辞職し個人で直訴したが、山本氏は議員の立場を利用した(2)明治天皇には政治権力があったが、今の天皇は象徴で何かできる立場ではない、という点で「同一視できない」とみる。 山本氏には「公人の立場を考えるべきだった」と指摘しつつ、政府内の批判にも違和感があるという。天皇陛下が出席した4月の主権回復式典を踏まえ、「政府の方こそ利用しようとしており、あれこれ言う資格はない」。 一方、栃木県の市民大学「田中正造大学」の坂原辰男代表(61)には、環境や住