たぶん通じないと思うが。 今頃見たのでちょっと。 ⇒2006-11-02 : おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日 という断定は、どう読んでも、あくまでもfinalventさんの主観でしかない。主観と言って適切でなければ、思い入れ、あるいは熱い想い。そういうところから、「私は彼らの思いをどうくみ取ってその裔に伝えるだろうか」というfinalventさんの吐露がでてくる。 主観云々のところは、まあ、なんというか、長い議論になるので割愛。 「存在の規定」からも、もっとはっきりわかります。そこから出発して、そのような規定を(いわば勝手に)父祖に当てはめつつ書き手の熱い想いを託している。あるいは熱い想いがあるからこそ父祖にまでさかのぼって想像した上で詠嘆する。なるほどfinalventさんの立ち位置はここにあるのだ、ということがよくわかるわけです。 で、これはすごい誤解だなぁ、しかし、