ブックマーク / www.honsagashi.net (10)

  • 人生を生きなおす/墓前に供える文章/長友佑都『日本男児』を読んだ:メジャーで闘う心構え

    人生を生き直す】 今朝は五時過ぎに起床。モーニングページを書きながら自分の中の優先順位を再確認。ついつい雑務から片付けようとする私がいる。朝後、小説の読み直し。少しずつ直して行く。読み直しながら、私は小説を書くことで自分の人生を生き直しているんだなと思った。これは多分、以前から変わらないことで、うまく書けない時期からずっとそうだったんだと思う。とにかく前向きに、面白く書く、というふうに自分の中で決めてから、作風はだいぶ変わった。去年の暮れに書いた中編は「との出会い」というようなことがテーマだと思う。主人公は10歳くらいか。今回の小説は…ネタバレになるので詳しくは書かないが、12歳~13歳といったところが主人公。自分の10代の経験とか考えたことをかなりぶち込んであることは確か。自分の人生を生き直すことで、自分にとって理想の人生を考えるということがテーマなんだなと思った。それが読む人にど

    fujipon
    fujipon 2011/06/17
    この『日本男児』の感想の「的確にまとめる能力」はすごいなあ、脱帽。
  • 燻っていること/バラ園と無添加/題名は大事だ/楽しむ間口を広げておくこと

    【燻っていること】 昨日。横浜にバラを見に出かけた。時間に遅れそうになったので久しぶりに京浜急行の快速特急に乗る。ただ、東海道線とどちらが当に速かったのかは分からない。以前この沿線に勤めていたので懐かしいようなイヤな思い出が蘇ってくるような複雑な心境だったのだが、もうやめてから12年経つことに気づいてちょっと愕然とした。自分の中でまだまだ燻っている部分があることからもう12年以上たっているのか、というか考えてみれば前世紀のことだ。いい加減こういうのも終わりにしないといけないと窓からの風景を見ながら思っていた。 【バラ園と無添加】 横浜で相鉄線に乗り換えて横浜バラクライングリッシュガーデンへ。場所はちょっとわかりにくい。行ってみると入場料の割には少し物足りない感じがした。自然を強調したイングリッシュガーデンならもう少し起伏を付けるとか、一望には出来ない工夫をするとか、もう少し回遊する楽しみ

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    fujipon 2011/05/17
    この題名の話、なかなか興味深い。
  • メディアリテラシーという概念を疑え/「想定外」はどう想定されたのか/佐々木俊尚『キュレーションの時代』を読む

    佐々木俊尚『キュレーションの時代』現在68/311ページ。面白い。このの見返しや目次を読んで目を引くところは何箇所かあったのだけど、特に印象に残ったところは二つ。一つは、第4章の冒頭の小見出し「情報の真贋なんてだれにもみきわめられない」という言葉。これは一瞬「えっ?」と多くの人が思うだろうと思う。巷間いわれていることと正反対だからだ。それはメディアリテラシーという概念だ。 簡単にいえばメディアリテラシーとは、情報を吟味し情報を取捨選択する能力だ。この情報の氾濫する時代にあってこのリテラシーが重要だということは口を酸っぱくして言われてきた。逆にいえば、「情報を取捨選択して「正しい」情報のみを選り分けることは可能である」、というメッセージがこの概念にはある。佐々木はここに疑義を唱えているわけだ。考えてみれば当然なのだが、今回の原発事故の情報にしたって、政府の出してくる情報、東電の出してくる情

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    fujipon 2011/04/22
    この佐々木俊尚さんの「メディアリテラシー」についての話、僕もすごく印象に残りました。
  • 映画『ノルウェイの森』を見た。

    有楽町に出て友人と別れ、さてどうしようかと考えて交通会館のビルの梅花亭で子福と柚子を買い、物産館で天然酵母パンを買った。銀座をぶらぶらしたあと、やはり『ノルウェイの森』を見ることにして、また日比谷に逆戻り。宝塚劇場の地下のスカラ座で4時20分の回に入ることにした。この映画、もともと見るつもりはあまりなく、DVDになってからTSUTAYAで借りてみればいいくらいに思っていたのだが、ツイッターで村上隆氏が絶賛の嵐だったので、どういうものなのか一度見てみようという気になったのだ。今日はたまたま日比谷に来ることになったので見る気になったら見ようくらいに思っていたのだけど、まあ今日を逃したらいつ見るか分からないなと思って結局見た。 私は原作小説は読んでいない。読んでいる人と読んでいない人とではそれなりに感想は違うと思うし、特にあのラストに関してはきっといろいろ意見があるだろうなと思う。 しかし私

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    fujipon 2010/12/27
    『ノルウェイの森』について、すごく印象に残った感想。
  • 忌野清志郎の使命感/小川洋子の通過したイニシエーション/オバマ前の世界、オバマ後の世界

    昨日。昼過ぎに「Blue」が聞きたくなり、出かける。自分が清志郎についてどんな思いを持ってるか、自分でもまだ当にはわかってない。人に説明するなんてことはもっと無理だ。こんなふうに、自分の思ってること、感じてることを書くことは出来ても、相手が納得するように話すことは無理だ。 『Blue』、山野楽器ならあるだろうと思って銀座に出かける。ポップスのア行を探しても出てこないので店員に聞いたら特設コーナーがあった。でも大体は最近のアルバムばかりで、てんで馴染みがないものばかり。さすがにラプソディーとシングルマンはあったが、『Blue』はなかった。なんだかブルーになり、山野楽器をあとにする。 ヤマハならあるかな、と思い外堀通りへ。店内に入ると、クラッシックのものばかりが目立つ。ようやくポップスのところを見たが、これはないなという感じ。ああ、と思いながら外堀通りを渡り、ビックカメラにでも行って見るかと

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    fujipon 2009/05/11
    小川洋子『妊娠カレンダー』の書評がすばらしい。
  • 安宅と勧進帳/村上スピーチ再論/有明の月 : Feel in my bones

    謡曲『安宅』読了。なるほど歌舞伎の『勧進帳』とは富樫の位置付けがまったく違う。歌舞伎では富樫は基的に自分のハラ一つですべてを飲み込んだ上で一行を通してやる「いいヤツ」なのだが、能では弁慶たちの迫力に押されて一行を通してしまう情けないヤツで、しかも通した後でお詫びだといって酒を飲ませて召し取ろうとするこすいヤツでもある。能の方が義経主従の危難が浮かび上がって悲劇性が高まるが、歌舞伎は富樫の役者にかなり大きな花を持たせる演出なのだ。義経の位置付けも違う。能は子方でそう重要性がないわけだが、歌舞伎の場合はかなり重要な役者が演じる格の高い役だ。まあスター総出演的な、華やかな大衆性を持った演出にしたのが歌舞伎の『勧進帳』の成功のもとだろうし、富樫の「武士の情け」、義経の貴種の魅力というものを称揚しわかりやすく描く幕末明治以来の新しい価値観が現れているということなんだろうと思う。作能された時代には「

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    fujipon 2009/02/19
    興味深かった
  • ブログと文章

    物を書くことを生活のリズムの中に組み込むことは自分できちんとペースをコントロールすることであり、物を書くモードをうまく作り出してそれに自分を乗せることが必要だ。ブログを書くと言うことはブログを何のために書くかということが問題であって、今まではとにかくそのものを書くペースを作るために書いていたのだけど、そういう無目的的なものになるととかく惰性になりやすい。人間には習慣力というものがあって、何かをはじめるとそれを習慣にすることはそんなに大変なことではなく(ものによるが)、それをやめること変えることの方が往々にして難しいものだ。何かをはじめるときにとりあえず何かをはじめなければならないという危機感ではじめてしまった場合、とりあえずはじめることに成功したその次の目標を見失うことが往々にしてある。毎日とにかく何かを書く中で何かを見つけていくためには、とりあえず何かを書くというだけではどうにもならない

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    fujipon 2008/09/05
  • 『テレプシコーラ』とネットの中傷書き込み/競争心のある人ない人

    昨日帰京。今日は午前中に集合住宅の雑排水管の清掃に立ち会わなければならないので、夜のうちに帰京した。体調はあまりよくなく、郷里では下を二枚履きしていたが、甲府を過ぎたあたりで熱くなって脱ぐ。冬は寒いのが当たり前だが、寒いといろいろなことが起きて困る。 地元に着いて、地元の教文堂で『テレプシコーラ』の3,4巻を買って帰る。少女たちのバレエ漫画なのだけど、1、2巻でもいじめの問題や児童ポルノの問題がエピソードとして含まれていてハードだと思ったのだが、3、4巻もなかなかどうして。おっとりした性格で天然の主人公が、周りの援助を受けつつ順調に、でもそれは「それなり」のレベルを越えられはしないのだが、成長していくのに対し、勝気な姉は素晴らしい才能を発揮しつつあちこちで困難にぶつかっていく。いじめやインターネットの中傷書き込み。さらに母と祖母の嫁姑問題や間に挟まれて父がおろおろするところなど、作品の中

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    fujipon 2008/02/02
    「考えてみたら本当に負けず嫌いなら泣いたりはしない気もする」
  • 諏訪哲史『アサッテの人』 : Feel in my bones

    諏訪哲史『アサッテの人』(講談社、2007)読了。感動した。ぼーっとした。しばらく余韻に浸っていた。読み終えたら忘れないうちに感想を書くようにしているのだけど、このは感想を書いてしまったらその余韻が消えてしまうような気がして、なかなか感想を書くのに取り掛かる気になれなかった。読み終えて、しばらく転寝して、テレビを見て、散髪に行って、それから書いている午後4時。 私にとってバイブルといえるは今まで何冊かあった。主にマンガなのだが。高野文子の『絶対安全剃刀』など。そういうものに匹敵するのではないかという気がする。最近は同じものを何度も読むということもなかなかないのだけど。考えてみれば『NANA』がそういう感じになってるけど。 どもりだった叔父がある日突然どもりを脱したとき、言葉の罠に捕らえられていることに気がつく。私なりの読み方でいえば、言葉というのは表現部分(音とか文字とか、表象と言って

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    fujipon 2007/08/14
  • 朝三暮四:ケーキの苺をいつ食べるか/自分の本質を考える

    インターネットラジオ第8回配信しています。 *** 昨日。またほぼずっとネットの作業にかかっていた。夕方、地下鉄で出かける。パスモが使えるようになっているので、スイカを使ってみる。地下鉄でこれができるのも何だか楽しいといえば楽しい。 結局今でもスイカを持っているので、あらたにパスモを使う気にならないのだけど、しかしスイカのチャージはJRの駅でなければ出来ないから、パスモに乗り換えてしまう可能性もあるなあ。南砂町のような小さい駅でもパスモの販売機やチャージの機械が導入されていて、営団、もとい東京メトロの気度を感じる。そうしないとわたしのようにスイカをそのまま流用すればいいやと思うやからが多いに違いないからだ。 自分の性質というものについてまた思い返していて、最近ある指摘に思い当たるところが強くあるものがあり、それは自分が今まであまり認めないようにしていたところが多く、それでもその指摘からは

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    fujipon 2007/03/20
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