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ブックマーク / tihara.hatenadiary.org (26)

  • サイバー大学に関する雑感。 - IHARA Note

    サイバー大学という大学がある。これはインターネットの大学の総称ではなく、例えば早稲田大学とか東京大学といった名称と同様に、固有名詞である。私は現在そこで授業補助のアルバイトをしており、結構面白い特質を持った大学だと思ったので雑感を書く。 私がサイバー大学に来てからの印象は、とにかく学生がよく勉強するというものである。学生は社会人が多く、全体の半分以上を占めているのだが、もしかしたらそのせいかもしれない。おそらく、私の出身校の電気通信大学や、そのほかの多くの有名でない国立大学の学生よりはよほど勉強していると思う。 ほとんどの授業が「講義」と「演習」の対になっており、単位をそれぞれ同数くらいずつとらなければならない。おおむね、耳と目で理論を習うのが講義であり、手や電卓などで計算をしたりプログラムを書いたり文章を書いて提出したりするのが演習である。もっと簡単にいうと、インプットが講義でアウトプッ

    サイバー大学に関する雑感。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2010/01/30
    おお。「先生」じゃん。
  • 「何かが欠けている音声認識研究」についての話。 - 2009-12-26 - IHARA Note

    12月21日から22日にかけて、東京大学で「第11回音声言語シンポジウム」という学会が開かれ、その初日に東工大の古井貞煕先生が「何かが欠けている音声認識研究」という題名で講演をした。日の日記はその講演に対する感想である。 (ところで日の日記は下書きの段階で一度消したのであるが、音声研究者3名が読みたいというのでゴミ箱から引っ張り出してきた次第である。その際、加筆修正をした。) 私の感じた結論を最初に書いておくと、「欠けている何か」を補うのは他分野の人か、博士課程に進学しない修士の学生なのではないかと思っている。そしてその人たちは論文ではなくブログを書くべきだと思っている。と書いてもなんのことか分からないと思うので、これから順をおって書く。 古井先生の話は「音声認識技術の進歩が止まっている」というところから始まった。古井先生は国内外で有名な音声認識工学の研究者である。日音声認識界で知

    「何かが欠けている音声認識研究」についての話。 - 2009-12-26 - IHARA Note
  • y=5x。 - IHARA Note

    大学教員の研究と教育のあり方についての話が話題になっている。大学教員は大抵、「研究:1、教育:1、雑用:8」くらいの時間の使い方をしていると思うので、雑用が減れば問題の八割が解決されることだろう。 でも、日の日記で書きたいのはそういうことではなく、私の日記を見に来るような人たちの多くが忘れているだろう人たちのことである。私自身も、これから語るような人たちのことを忘れていた。 知人に還暦を過ぎた主婦の方がいるのだが、その人に対して私は笑い話として、中学一年のときの数学の先生が出したひっかけ問題のことを話した。数学の先生は、定期考査で「比例反比例のグラフを描け」という問題を出した。問題は三問あり、y=3x、y=-2x、y=x/6のような感じだった。正確な数値は憶えていない。ほとんどの生徒が最後の問題をy=6/xと勘違いし、反比例のグラフを描いた。私も反比例のグラフを描いた。まさか、反比例が一

    y=5x。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2009/08/12
    この文章のわかりにくさは狙ってるのだろうか。狙ってそうだなあ。
  • ブザー音に関する妄想。 - IHARA Note

    音声波形は周期的に同じ形を繰り返す。けれど、厳密に同じ形が繰り返されているわけではなく、周期ごとにわずかに形を変えている。では、一周期分の波形を切りとってそれだけを長く接続していったらどうなるのか。結果としては、どのような波形であってもブザー音に聞こえる。「びー」とか「ぶー」とかいうブザー音である。たとえ「あ」の波形を切りとっても全く同じ波形が続けばブザー音となる(ここまでは事実である)。 ブザー音とはいったい何なのか。日の日記は仮説とすらいえない私の妄想である。決して信じないように。 脳みその話から入る(というところからして胡散臭い)。脳みそは多数のニューロンでできているが、その仕組みは簡単で、要するに複数の入力の重み付け和が閾値を上回れば発火するし下回れば発火しないというただそれだけであるらしい(伝聞)。これが前提のその一である。 それから、聴覚に関係する脳みその部分は、周波数ごとに

    ブザー音に関する妄想。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2009/04/15
    確かにブザー音は自然界にはないような気がするから、脳にそれ用の回路があってもおかしくないかもなあ。または、プログラミングでは二値論理が意外と使えなかったりするし、脳は二値論理じゃないのかもしんない。
  • 的確な質問をしようとすると空回りする。 - IHARA Note 2008-10-22

    日の日記は親しみのわく教員の例。の補足でもあり、もっと当たり前すぎて教えてもらえなかった研究のこと. - いまだに落ち着きのない三十路(アラフォー)のコメント欄に関連することでもある。 どの大学にも「分からないことがあったらなんでもいいので質問をしてください」と無茶なことを言う先生や先輩は存在する。そう、これは無茶である。昔から言われていることではあるが、質問ができるのはある程度分かっているときだけであって、まるで分からないときには無理なのである。でも、そのまるで分からないことを質問する方法は存在する。 結論を端的に言えば、「何が分からないのかが分からない」ということを質問の形式で伝えればよい。以下、具体例を書く。 例えば、大学の研究室で卒業研究のテーマを与えられたとしよう。そして、そのテーマもその説明も理解できなかったとしよう。そして、教員が「分からないことがあったらなんでもいいので質

    的確な質問をしようとすると空回りする。 - IHARA Note 2008-10-22
    fuktommy
    fuktommy 2008/10/25
    この人は助けてくれる人だ、とか、わからないと言っていいんだという意識が持てるようにすればいいんだよな。僕の場合はそういう意識を持てるようになったのは就職してからだなあ。
  • こんなのでいいんだ感。 - IHARA Note

    昨日予告したとおり、日の日記では、ネット上の人のつながり方に始まり手軽な自己表現にまつわる考え方で終わる話を書く。 内容としては昨日の日記とはつながっていないが、まず昨日の日記のことを書く。先日、AVIRG(視聴覚情報研究会)という研究会に行き、講演を二つ聴いて、そのあとの小規模な飲み会に行ってきた(私は身体的な都合により酒もウーロン茶も飲めないのでオレンジジュースだったが)。飲み会で二時間くらい喋ったうちの半分ほどを昨日の日記に書いた。日の日記の内容はもう半分である。まとまりにはやや欠けるかもしれないが、酔っ払いの話なのでそのあたりは許してほしい。主に、多摩美術大学のデザイン系の人との話である。 話はその日の講演の内容から始まった。講演の内容を強引に短くまとめてしまえば、「現実の世界の人間関係をネットの世界に反映させてみよう」という話だった。よく小学校の前を歩いているがこの小学校では

    こんなのでいいんだ感。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2008/10/19
    よくわからんが雰囲気はわかる。
  • 確かに「文章は接続詞で決まる」と思う。 - IHARA Note 2008-09-21

    光文社新書から「文章は接続詞で決まる」というが出た。最近の新書は中身よりも題名に価値のあるものが多いが、これは中身も役に立つと思う。読み物として面白いとは言い難いが、自然言語処理をするアマチュアやプロの人は一度目を通しておいてもいいかもしれない。辞書的な用途で使えるような気がする。ちなみに、私にとって自然言語処理は隣接分野であって専門分野ではない。 文章は接続詞で決まる (光文社新書) 作者: 石黒圭出版社/メーカー: 光文社発売日: 2008/09/17メディア: 新書購入: 24人 クリック: 122回この商品を含むブログ (86件) を見る 構成としては、まず接続詞の定義などについての前置きがあり、次に接続詞が丁寧に分類され(ここにページ数が割かれている)、そして接続詞の実践的使用法への言及へと展開していく。全体的に用例が豊富であり、理解しやすい。 このを文系の言語学の人たちがど

    確かに「文章は接続詞で決まる」と思う。 - IHARA Note 2008-09-21
    fuktommy
    fuktommy 2008/09/21
    接続詞の使い方がおかしい人が、どういう風におかしいのかに興味がある。なにか規則があるかも。これ的な意味で→http://d.hatena.ne.jp/potasiumch/20070815#1187155376
  • The Use of Overlapped Sub-Bands in Multi-Band, Multi-SNR, Multi-Path Recognition of Noisy Word Utterances - IHARA Note

    電子情報通信学会の英論文誌に、私が博士課程のときの後輩(当時修士課程)の論文が出た。The Use of Overlapped Sub-Bands in Multi-Band, Multi-SNR, Multi-Path Recognition of Noisy Word Utterancesである。彼と最も頻繁に最も長い時間ディスカッションしていたのが私なので、私の名前も第二著者として載せてもらっている。後ろの二人は先生である。 技術とは関係のない話からすると、彼は非常に勤勉だった。頭も使っていたし、手もよく動かした。また、英語は日常会話ならば全く問題なく流暢に喋ることができた。体力もあった。できる学生の典型像である。できる学生というのは、決して「たまにふらっと研究室に来てものすごい手際のよさで研究を終わらせていく」学生ではなく、「長時間研究室に滞在してねばり強く問題の解決にあたっていく

    The Use of Overlapped Sub-Bands in Multi-Band, Multi-SNR, Multi-Path Recognition of Noisy Word Utterances - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2008/06/01
    めでたい。
  • 大半の疑似科学は技術である。 - IHARA Note

    id:dlitさんが疑似科学についてこのように書いている。 この「いつかは証明されるかもしれないでしょ」という言い方は、疑似科学関連のやりとりではよく見かける。 打席に立とうとしない人々 - 誰がログ 私は正確にはサイエンスの人ではなくてエンジニアリングの人なので(学位が)、エンジニアとしての観点から見ることが多い。一人の工学者としては、大抵の疑似科学を「使えない技術」と見なしている。 科学はなんらかの現象を「説明できる/できない」で語るものだ。他方、技術は「使える/使えない」で語るものだ。まるで文脈が異なる。ニュートンが万有引力という概念を発表した際には、「これで現象を説明することができる」と結ばれていたはずだ。決して「これは使える」とは書かれていなかっただろう。一方で、エジソンが白熱電球を作った際には、「これは使える」と宣伝されたはずだ。白熱電球は、何かを説明するための概念ではない。

    大半の疑似科学は技術である。 - IHARA Note
  • 天才という言葉からの解放。 - IHARA Note

    天才というのはかなり厄介な単語である。そこから想起される人間像があやふやなのだ。 引用元のエントリには、小学生のときに天才と宣告されて、それゆえに苦しんだという独白が綴られている。このエントリの最後の方に、次のような文が出てくる。 だから僕は、残念ながら自分は天才としては偽物だったけれども、天才を最も理解した凡人の経営者になろうと思った。 長文日記 この人にとって、天才の反対語は凡人なのだろう。人によって天才の反対語は異なると思うが、とにかくこの人にとっては凡人なのである。凡人というのは「普通の人」という意味であり、この人にとっての天才というのは(語義とは異なるが)「普通でない人」だったのだろうと思う。「特別な人」と言い換えてもいいが、「特別」を辞書で引くと「普通一般とは違うこと」と出てくる。このあたりにこの人の苦しんだ原因がある。 普通と違うことを求められて普通と違うところを目指すという

    天才という言葉からの解放。 - IHARA Note
  • なぜなら科学だから。 - IHARA Note

    先日見た「爆笑問題のニッポンの教養」の感想を書く。2008年3月25日のこの特番の中で、太田は「金星は(金星という星は)生きているかもしれない」という発言をした。もちろん、太田もこれが常識的ではないことくらい分かっている。もしもそういう発言をしたとして、科学者はどう受け止めることになるのかということを聞くための発言である。 この発言に対する京都大学の先生方の反応はとりあえず置いておこう。数年前の私がこの発言を聞いたら、「証拠を見せろ」と言ったことと思う。「その発言は科学的ではない」という趣旨のことを長々と語ったかもしれない。今の私は、この発言を聞くと悩む。科学的な考え方ではないことは確かだが、科学的でない発言は切って捨てるべきなのか、と悩む。 科学というのは、それまでの体系の再構成だと思っている。それまでの理論のどうにも収まりが悪く見える部分を分解して合成し直すのが、いわゆる学術的な研究作

    なぜなら科学だから。 - IHARA Note
  • Googleのアドレスと統語法。 - IHARA Note

    唐突にアドレスを書く。 http://www.google.com/search?q=IHARA+Note&hl=ja&lr=&start=10&sa=N これはgoogleで「IHARA Note」を検索したときの2ページ目である。こういう少し入り組んだアドレスを見ていると、人間が使っている自然言語にどことなく似ているような気がする。 最初の方を見ると、「命令」が宣言されている。「これをgoogleで検索しろ」といったふうである。「?」以降にはその細かい条件が記述されている。IHARA Noteをhl=jaでlr=という条件で探したときの10番目からsa=Nという条件で表示せよ。 面白いと思ったのは、これは私の勝手な解釈だが、自然言語と同様に「格」が存在しているように見える点である。「=」の左側に「格」を定める文字列があり、右側にはそれに対応する具体的な引数がある。 考えてみれば、情報を

    Googleのアドレスと統語法。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2008/03/28
    http://www.nicovideo.jp/watch/nm2662108 のように「動詞/目的語」っぽいのもあるよな。cf. http://ja.wikipedia.org/wiki/REST
  • 博士の就職難が意味すること。 - IHARA Note

    私には関係のない話で恐縮だが、高学歴ワーキングプアに関して思うところを書く(特殊な事情により、この話題には関係がないのだが、そのあたりのことに関しては4月あたりに書くかもしれないし書かないかもしれない)。 企業が博士を採りたがらないということに関して、ことの真偽を私は知らない。私の周りでは博士号をとれずに退学していった人も就職はしているし、博士のときに業績がよくなかった人も就職をしている。これは私の知り合いに情報工学系の人が多いからなのかもしれないが、私には高学歴ワーキングプアの実感がわいていない。だから、これから書くことは、「私の知らないところで企業が博士を敬遠している」ということを前提とする。 企業が博士を採らないのは、少なくとも二つの理由があるだろう。一つは年齢が高いということ。もう一つは博士に保証されている能力を企業が必要としていないということ。 年齢が高いことに関してはここでは語

    博士の就職難が意味すること。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2008/03/12
    僕が採用されたのは瞬発力を買われたのかなあ。長期的な思考能力なのかなあ。謎だ。
  • 「自然な疑問」の作り方。 - IHARA Note

    卒業研究の肝は、正解がない問題(正解を誰も知らない問題)を観察した事実や構築した理論に基づき論じるという点にある。 「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習 卒業論文の指導にあたり、最初の「問い」が立てられない学生について教員が嘆いている。どうやらこの嘆きは多くの先生方の共感を呼び、そして、少なからぬ学生たちの戸惑いを招いているようである。私としては、先生方の共感はどうでもよく、むしろ学生たちの戸惑いに対して応えたい。上記エントリはいわゆる「最近の若者は」論に分類されると思われ、そういう議論も問題提起としてとても大事なのだが、それと同じくらいに回答例を具体的に示しておくのも重要だと思う。柔軟性を要求する部分には型を作りたくないと考える教員もいるとは思うが、そういった理想を追求すべきかそれとも一度結果を出させてみるべきかは決着のつかない議論だと思う。 さて、上記記事を読んだ

    「自然な疑問」の作り方。 - IHARA Note
  • 学術的な面白さと研究。 - IHARA Note

    卒業論文を書く人へのアドバイスということで、以下のような記事があった。私も書かれている命題には同意する。 とにかく論文たくさん読んでください。 卒論話のついでにこれから卒論を書く人へ勝手に偉そうなアドバイス(一部言語系限定) - 誰がログ あなたは、面白い現象に出会った時に、それが面白いと気付ける自信がありますか?また、それが言語学的に面白く、論文で取り上げる意義があるということを説明できそうですか? 卒論話のついでにこれから卒論を書く人へ勝手に偉そうなアドバイス(一部言語系限定) - 誰がログ この部分だけを引用しておけば記事の内容はだいたいつかめることだろう。要約してしまえば、「言語学的に面白い論文を書くための近道は論文をたくさん読むことである」という記事である。私の専門は音声工学であるが、私の分野でもそのとおりであると思う(音声工学と言語学というと近そうに思えるかもしれないが、私は理

    学術的な面白さと研究。 - IHARA Note
  • 「ポップリサーチ」に関するメール。 - IHARA Note

    先日、学問の世界にもプロとアマチュアがいていいのではないか、ということを書いた。音楽にはクラシックからポップスまで様々な親しみやすさのジャンルがあり、絵画にも抽象画からポップアートまで様々なものがある。だとしたら、学問にも重いものから軽いものまであっていいのではないかと書いた。軽い学問を「学問」と呼ぶことに抵抗があるのなら、「ポップリサーチ」とでも呼べばいい。そういうことを書いた(http://d.hatena.ne.jp/tihara/20071003#p1)。 その記事に対して、とある有名大学の教員からメールが届いた。 まず、アラン・ケイが計算機科学のポップカルチャー化に対して否定的見解を示しているとの情報をいただいた。ただし、メールをくださった方は、ポップリサーチという概念に対して否定的な印象を持っているわけではなく、ただ、「とある有名な人はその傾向を歓迎していない」ということを教え

    「ポップリサーチ」に関するメール。 - IHARA Note
  • 博士号の取り方。 - IHARA Note

    日、博士論文の公聴会を開いた。そして、博士号取得がほぼ確定した(これから事務的な手続きがあるのでまだ覆る可能性はないとはいえない)。十二月に修了である。規定の三年間では取得できなかったので、決して簡単だったなどと言うことはできないが、予想よりははるかに簡単だった(予想では私の能力では六年くらいかかるのではないかと思っていた)。もう一度別の研究分野で博士号を取れと言われたら、さらに楽に取れそうな気がする。以下、情報工学系の博士号の取り方を考えてみる。 博士号が取れるか取れないかは、情報工学系の場合、ひとえに「論文誌に論文が載るか載らないか」にかかっている。つまり、「博士号=論文を載せる能力」である。簡単に博士を取るためには、簡単に論文を載せる必要がある。 論文を書くときに気をつけなければならないのは、論文誌の空気を読むことである。当該論文誌に載っている論文の中で、「よくあるテーマ」を探すこ

    博士号の取り方。 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2007/11/02
    おめでとう。
  • 2007-10-28 - IHARA Note 人の進路にアドバイスをしたら怒られた。

    昔は「博士後期に進む=死亡フラグ」じゃない時期があったんですか? http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20071027/1193520052 という問いに対して、そろそろ博士号をとりそうな私が僭越ながら見解を述べようと思う。ただ、一般的には大学院がそもそもいかなるところかということが知られていないと思うので、そこから簡単に書く(はてなユーザはなぜかこのあたりに詳しいのだが、大学院進学を全く視野に入れなかった人にとっては大学院の存在そのものが知られていない)。小学校は六年間あり、中学校は三年間あり、高校も三年間あり、大学は四年間あり、そしてその上に大学院というものがある。大学院は大抵の場合、修士課程二年間と博士課程三年間に分かれている(修士の次が博士)。今問題になっているのは、この三年間の博士課程に進むとかえって就職先が狭まるという話である。なお「修士課程」を「博士

    2007-10-28 - IHARA Note 人の進路にアドバイスをしたら怒られた。
  • 学問の閉鎖性と「ポップリサーチ」。 - IHARA Note

    2007年9月28日のことである。私は、「爆笑問題のニッポンの教養」というテレビ番組の特番を視聴し、「NLP若手の会第二回シンポジウム」という学会に出席した。時間的順序はテレビ番組の方があとなのだが、先にテレビ番組について語る。 「爆笑問題のニッポンの教養」というのは、毎回、様々な大学教員たちの研究室を爆笑問題の二人が訪問し、専門的なことについていろいろと喋るという番組である。この番組を私は毎回楽しみに見ているし、おそらくこれからも見続けるだろう。その日の特番では、慶応大学の研究者たち(塾長含む)9名と他の大学の研究者3名と爆笑問題の2名によるトークが放映されていた。 私が気になったのは、塾長の語りだった。すでに記憶が曖昧になっているのだが、学問は面白いものであるということを語っていたように思う。それを二つの段階に分けて語っていたと思うのだが、細かくは憶えていない。ただ、学問の面白さに疑い

    学問の閉鎖性と「ポップリサーチ」。 - IHARA Note
  • 冒険の書が消えた世代 - IHARA Note

    私の親は団塊の世代で、その下には新人類が存在する。また、私よりも下にはゆとり世代がいる。にもかかわらず、私たちの世代に名称が着いていないのは寂しいと思う人は結構いるようである。 朝日新聞は我々に「ロストジェネレーション」という名前をつけた。私たちは何をロストしたというのだろう。動詞のみで目的語をつけないのは日人の悪い癖である。オシムの「考えて走るサッカー」という目的語なしのフレーズをもてはやすことくらい(朝日新聞は)何も考えていないように思える。 団塊の世代というのはよいネーミングだ。団塊の世代の親たちがたくさん子供を産んだのだ。新人類というのも、当時の大人たちが新入社員たちをどのような目で見ていたのかがよく分かる。ゆとり世代も、その年代に大人たちが何を与えたのかがよく分かる。要するに、世代のネーミングというのは、大人たちからの視線が感じられなければならない。世代の主語は当人たちではなく

    冒険の書が消えた世代 - IHARA Note
    fuktommy
    fuktommy 2007/09/14
    おめ。