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ブックマーク / tot-main.hatenadiary.org (2)

  • 2007-08-03

    日常生活に神が居ないって思想 日人は宗教を「日常生活」へ持っていくのが苦手っていうか風土的にいつも宗教と共にいないって行動様式です。 神道で言うところの「ハレ」と「ケ」と言いますか……。「ケ」の部分には宗教とは無縁な世界。逆に「ハレ」の日は宗教を信じるというか「その時だけ神が(我々の前に)存在する」って信仰方針という感じ。だから、「ハレ」の日、クリスマスや正月、バレンタインに夏祭り、と言った日にち毎にお祭りになる。んで、非常に神道的な思想から「神様そっちのけでお祭りになる」って訳ですよ。だから「キリストの誕生日に何で恋人同士でいちゃつくんだよ!」って叫ぶのは日人的じゃないわけ。「まあそうだけど、いいじゃん!」って言われるだけです。 江戸時代と宗教 歴史的に見て、一番繋がりがある近世である江戸時代において日人の宗教観ってのは固定された気がします。 まず「宗門改め」という現象。思想的に江

    2007-08-03
    fuktommy
    fuktommy 2009/07/04
    西欧でもキリスト教会が役所や国内の統治ネットワークを兼ねてたりとか、日本でも仏教受容以来そんな感じだったとかいう話もあるよなあ。
  • 泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々) - 違いのわかる様になる話し。

    哲学と思想が違うように、また、科学と似非科学が違うように、宗教と人生論が違うように、と言うような話し―― 哲学とは 思想ではない 近所の屋(少々大きめ)では、「哲学・思想」ってコーナになっています。明確に違うけど親戚程度には近い存在という分類方法ですね。琴子の考えでは思想ってのは哲学から「考える部分」を抜いた物を思想っていいます。 ちょうど、酒粕みたいなもの? 考える部分が「アルコール」とするなら、哲学ってのはちょうど日酒のように風味や酒の色や香りなんて部分もひっくるめた物をいいます。それでもなお、考えるべき部分が残るのが日酒。同じ酒造最適米から作られれいても、酵母(Sacaharomyces sake)の種類(協会601号とか1401号とかね)に応じていろいろな種類が出来るのと同じように。土壌とか風土に応じて考え方の基礎が異なるわけですよ。 だから、色んな思想が生まれるわけ。そして

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