石川県石川郡美川町(現白山市)の生まれ。早くに父・常吉(回漕業)を海難事故で亡くし、母・みつの実家で育つ。母の実家は金沢市内の茶屋街(西廓)で貸座敷も営み、この環境が島田の文学と性格に影響を与えた。幼いころから芸妓街で嫌々客をとらされる芸者たちや貧乏ゆえに恋愛も許されない若者を身近に見ながら育ち、他方、政治家・官僚などがまともな政治を行わずに貧民が日本に多くいることへの憤りを募らせたことが、代表作となる『地上』[1]の執筆動機となる。 1911年(明治44年)、野町小学校尋常科を優秀な成績で卒業し、石川県立金沢第二中学校(現・石川県立金沢錦丘高等学校)に進学。ここでも良い成績をおさめていたが、教師に対して反抗的な態度をとることも多く停学処分を数回受けている。13歳の時には「自分の天才が世に認められない」との理由で自殺を図った。未遂に終わったものの、自ら「天才に学校の器が合わない」と感じ、1