天竜川は赤石・木曽の両山脈に挟まれており、夏季の多雨と冬季の降雪によって年間を通じて水量は豊富で、かつ中流部の長野県飯田市から静岡県浜松市天竜区、旧天竜市付近に至る約80キロメートル区間は天竜峡などを始めとして険阻な峡谷を刻む急流となる。このため水力発電を行う上で理想的な河川であることから、大正時代より水力発電開発の構想が持たれていた。 佐久間ダム完成までは天竜川最大の発電用ダムであった平岡ダム 最初に水力発電所が建設されたのは、福澤桃介が設立した天竜川電力による大久保ダム・大久保発電所(出力1,500キロワット)であり[7]、1927年(昭和2年)に完成した。続いて南向ダム・南向発電所(2万4100キロワット)が1929年(昭和4年)、泰阜ダム・泰阜発電所(5万2500キロワット)が1937年(昭和12年)にそれぞれ完成、天竜川の水力発電事業は加速して行く。 しかし、1939年(昭和14