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戦争に関するfukushima-nobuyukiのブックマーク (8)

  • 79年前に終戦の詔書が出された日 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇今日は79年前に終戦の詔書が出された日。朝イチで上京して、靖国神社に同志の松原仁衆議院議員や宮下繁明千曲市議らと参拝。その後は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花。地元に戻って、茨城県護国神社で終戦詔書奉戴記念祭に参列し、NHKラジオに合わせて黙祷。先日には笠間市戦没者追悼式で献花。 国会議員として戦争の記憶を絶対に忘れないためにも、こうした慰霊の場にはできる限り参列するようにしております。戦後はまだ終わっていません。私が国会でペリリュー島の遺骨収集の加速化を求め続けているのも、空襲被害者救済法案に携わっているのも、ただひたすら戦争の惨禍に遭われた先輩方に申し訳ないという思いからです。 今日、この瞬間もパレスチナやウクライナロシアなどで戦争の惨禍に見舞われている人たちがいます。特に多くの子どもたちが巻き込まれていることに、強い憤りを感じます。ある気鋭の国際政治学者が、「これから2、30年の世界は

    79年前に終戦の詔書が出された日 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • ガザ地区における人道状況の改善と速やかな停戦の実現を求める決議 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇衆議院では政府提案の審議は終わり、会期末に向けての終局モードとなりました。そのような中、今日の会議で「ガザ地区における人道状況の改善と速やかな停戦の実現を求める決議」が採択されました。有志の会は会派として賛成しましたが、私はやむを得ず反対をいたしました。 まず、タイミングが致命的に遅い。ガザ地区の現状は、支援物資が届かず飢餓が進み、今なお多くの子どもや女性を含む一般市民が犠牲となる地獄絵図の状況となっています。もう遅きに失しています。年明け早々から、私はさまざまな超党派の議連を通じて、停戦決議案を国会で採択することを訴えてきましたが、自民党だけでなく、立憲民主党からも消極的な対応が続いてきたのです。 案文も、元々の決議原案に「イスラエルは、ハマス等によるテロ攻撃に対し、国際法に従って自国及び自国民を守る権利を有する」とわざわざ書き込むなど、露骨にイスラエル寄りの立場に立っていました。採

    ガザ地区における人道状況の改善と速やかな停戦の実現を求める決議 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 空襲議連の活動 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇空襲議連の活動を報道してくれています。私も映っています。 news.tv-asahi.co.jp もう来年は戦後80年。この議員立法の法案に賛成でまとまっていないのは自民党だけですが、空襲被害者がご存命のうちに何とか法律を成立させたいと平沢勝栄先生、松島みどり先生が、当に粉骨砕身頑張ってくださっています。選挙区事情では関係のない鈴木宗男先生も、ご熱心です。こうした問題への対応で、政治家の真価がよく見えます。 私も、微力ながらお支えしてまいります。

    空襲議連の活動 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • ガザ地区の停戦実現と人道支援を求める緊急提言 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇日パレスチナ友好議員連盟として、上川外務大臣に「ガザ地区の停戦実現と人道支援を求める緊急提言」を申し入れてまいりました。 緊急提言では、 ①ラファハへの軍事攻撃を回避するようイスラエルに求めること ②持続可能な停戦に向けて外交努力を粘り強く積極的に継続すること ③UNRWAへの支援再開も含め、現地のニーズを踏まえたパレスチナ難民への人道支援を実施すること ④「二国家解決」の実現に向けて積極的に貢献すること の4点を、超党派で政府に求めています。 私からは、上川大臣に、イスラエル国内でも世論は一つではないこと、ユダヤ人問題を抱えない日の行動をアラブ社会などが注目していることを認識して、主体性を持った日外交をやってほしいと申し上げました。 上川大臣からは、「この問題は複雑で難しくYes、Noではっきりとできるものではないが、UNRWAへの支援再開も含めなるべく早く意思決定していきたい」

    ガザ地区の停戦実現と人道支援を求める緊急提言 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • パレスチナ・ガザ地区、ナセル病院での活動報告 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇「超党派人間の安全保障外交の推進を考える議員有志の勉強会」で、国境なき医師団日会長の中嶋優子先生から、昨年11月から12月にパレスチナ・ガザ地区のハンユニスにあるナセル病院での活動報告をいただきました。 聞いていて、あまりの惨状に聞くのも辛くなってしまいました。世界各地の紛争地域で医療支援に当たった百戦錬磨の中嶋先生でも、派遣を終えて心身に重いダメージを受けたと語っていました。「戦争のもたらす圧倒的な破壊の前に、人道援助はあまりにも無力」という言葉は、あまりにも重いものです。 攻撃を受けたアル・アウダ病院で亡くなったマフムード・アブ・ヌジャイラ医師は、病院の掲示板に「最後まで残った人は伝えてください。私たちはできることをした。私たちを忘れないでください」とメッセージを書き残していました。中嶋先生が派遣されたナセル病院も、2/19の読売新聞での弟の記事にあるとおり、2/15にイスラエルの

    パレスチナ・ガザ地区、ナセル病院での活動報告 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • ガザ地区 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇私の弟のイスラエルからのレポート。ここに出てくる方は、知り合いの知り合い。 www.yomiuri.co.jp 【一家は真っ暗な道を約10キロ南のラファへ向かって歩き始めた。道沿いの家々は破壊され、道端に死体が転がり、異臭が漂う。「私と家族はずっと泣きながら歩き続けた。ホラー映画の中にいるようだった」。ラファに到着しても避難する場所はなく、道端に座り込んで仮眠した】 涙無くしては、読めない。今、ガザ地区は、人類史上最悪レベルのジェノサイド状態にある。日のメディアは欧米メディアほどこの問題を報道していないので、日ではまだそこまで深刻には受け止められていない。 日の国会でも停戦を求める決議をしたいと思っているのだが、与党は政府に追従し、野党にも外務省からの注射が入っていてなかなか進まない。そして日国政府は米国に忖度し、私が外務省に日国は何を理由に国連パレスチナ難民救済事業機関(UN

    ガザ地区 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • 水戸歩兵二連隊並びにペリリュー島守備部隊関係戦没者合同慰霊祭 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇昨日は新嘗祭。古来よりいわれのある祭日には、日の丸を掲げてお祝いいたしますが、町内では我が家だけです。例年、この日には茨城県護国神社で「水戸歩兵二連隊並びにペリリュー島守備部隊関係戦没者合同慰霊祭」が開催されます。私は、浪人中にペリリュー島に政府の遺骨収集団の一員として行き、水戸歩兵二連隊・ペリリュー島慰霊会の顧問も務めているため、毎年参列しております。 ここで何度も書いておりますが、先の大戦で茨城県出身の兵士たちを中心とする水戸歩兵二連隊は、現在のパラオ共和国ペリリュー島の地で当初4日で陥落すると言われていた島を2ヶ月以上にわたって守り抜き、生存できたのは約10,000人のうちわずか34名という壮絶な戦いを行いました。 当地には、今なお数千柱のご遺骨が残されています。戦後80年以上が経とうとする中で、一日も早くすべてのご遺骨を祖国にお戻しするために、国会に戻って以降この間も何度も政府と

    水戸歩兵二連隊並びにペリリュー島守備部隊関係戦没者合同慰霊祭 - 福島のぶゆきアーカイブ
  • この国の行く末を考える日 - 福島のぶゆきアーカイブ

    〇今日は先の大戦を偲び、犠牲となられた御霊を慰め、この国の行く末を考える日。早朝に自らハンドルを握って上京し、松原仁衆議院議員や同志の折龍則千葉県議らと共に靖国神社に昇殿参拝。地元に戻って、茨城県護国神社に参拝。境内にあるペリリュー島守備部隊鎮魂碑にも頭を垂れてきました。 全国戦没者追悼式での尾辻参議院議長の追悼の辞は、ご遺族としてのまごころがこもった心を揺さぶるものでした。天皇陛下の「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」というお言葉も、承詔必謹すべきでしょう。 戦争は一部の指導者の独走のみで始まるものではありません。私が今年の通常国会で岸田首相に読むべきことを直接訴えた永野護の『敗戦実相記』では、無謀な戦争と敗戦の原因は、上から下まで日社会特有のサイエンティフィック・マネージメントの欠如にあると喝破しています。その日の宿痾は、今の日社会で

    この国の行く末を考える日 - 福島のぶゆきアーカイブ
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