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2019年4月11日のブックマーク (5件)

  • ガンプラと歩んだ40年、ガンダムの生みの親・富野由悠季が語る「“おもちゃ屋スポンサーは敵”という被害妄想」

    アニメの金字塔、『機動戦士ガンダム』の第1話が1979年4月7日に放送されてから、日で40周年を迎えた。長きにわたって愛され続けるガンダムシリーズにおいて、その礎となったのは1980年代前半のガンプラブームだ。では、当時の狂騒的な盛り上がりを、“ガンダムの生みの親”である富野由悠季氏はどう感じていたのか。そしてバンダイが見抜いた、ガンダムという“固有名詞の意味”とは? ガンダムとガンプラが共に歩んだ40年、その舞台裏を富野氏に聞いた。 ガンダムという“固有名詞の意味”を見落としたクローバーと、“世界観”を見抜いたバンダイ ――『機動戦士ガンダム』は40年にわたって愛されてきましたが、ガンプラの果たした役割もあったかと思います。 富野由悠季ガンプラの影響力は“決定的”です。もはや、プラモデルというジャンルさえも「ガンプラ」という名前に切り替えさせてしまったくらい、強力な“事業”になった

    ガンプラと歩んだ40年、ガンダムの生みの親・富野由悠季が語る「“おもちゃ屋スポンサーは敵”という被害妄想」
  • 文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死:朝日新聞デジタル

    仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。 04年に博士(文学)に。05年、月額45万円の奨励金が支給される日学術振興会の特別研究員に選ばれた。 実家で両親と暮らしながら研究に打ち込み、成果をまとめた初の著書が評価されて、09年度に若手研究者が対象の賞を相次いで受賞。恩師は「ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と振り返る。 だが、特別研究員の任期は3年間。その後は経済的に苦しい日が続いた。 衣住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。 安定した職がないまま、両親は老いていく。14年、苦境から抜け出そうと、ネットで知り合った男性との結婚を決めた。だが同居生活はすぐに破綻。自らを責めて心を病んだ。

    文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死:朝日新聞デジタル
  • 中高年ひきこもり

    友達がこれなんだよ。 7年前に勤めていた会社が廃業になってそれからずっと無職。実家で母親の年金を頼りに暮らしている。 どうしたら力になれるのか、ずっと考えてる。誰かわかるなら教えて欲しい。 失業してから半年ぐらしは職安行ったり面接に行ったりしてたみたいだけどすぐにそれも無くなった。 会うたびに「ちょっとゆっくりしちゃったけどそろそろ気で仕事探そうかと思うんだ」と言う。 でもしない。 高齢の母親の面倒を見なきゃと言うのが最大の言い訳だけど、でも寝たきりでも病気でもないじゃん。 出かけたりもほとんどしない。家とスーパーを往復するだけ。 で、「最近ちょっと出不精で」と言う。 派遣にでも登録してみたら、と言うと「そうだよね。登録してみようかな」と言うけどしない。 在宅の仕事とかもあるよ、と言うと「そうそう、そういうのいいなと思ってたんだ」と言うけどしない。 次に会うと結局何も変わっていなくてまた

    中高年ひきこもり
  • オレは大学を引きこもりで休みまくって周りから心配されまくった経験があ..

    オレは大学を引きこもりで休みまくって周りから心配されまくった経験がある。友達の気持ちは少し分かる。 ココから引きこもりの考えとして書くことは、俺が引きこもり時代を振り返って書くことだからな。 あなたには居場所を作ってあげてほしい。 あなたみたいな友達に誘ってもらえるっていうのは、引きこもりにとってすげー嬉しいのよ。親や社会の目を気にしてビクビクしながら生きていく肩身の狭い身において、ほぼ唯一の安らぎなのよ。 だからこそ、楽しみたい。そんなときくらいは楽しみたい。 友達との楽しい飲み会がいつのまにか「この引きこもりの仲間をどうするか真剣に考える会」になってるっていうのは良くある。あれはめちゃくちゃ辛い!気持ちがありがたい分、辛い! だからあなたと会ってるときくらい、楽しくいさせてやれ。 働いてないからといって哀れむのを止めてやれ。 相手がポロッと心を言えるような環境を作ってやれ。 もしそれ

    オレは大学を引きこもりで休みまくって周りから心配されまくった経験があ..
  • デビュー30年を迎えた筋肉少女帯・大槻ケンヂが明かすロック界の恐ろしさ「バンドマンがモテた時代なんて1ミリもなかった」 - エンタメ - ニュース

    メジャーデビュー30年を迎えた筋肉少女帯。(左から)城聡章、大槻ケンヂ、内田雄一郎、橘高文彦 大槻ケンヂがヴォーカルとして率いるバンド・筋肉少女帯が、昨年2018年6月にメジャーデビュー30年を迎えた。 同年10月には19枚目となる、30周年記念アルバム『ザ・シサ』をリリースし、現在、全国ツアーを開催中。また大槻ケンヂ自身はソロプロジェクト大槻ケンヂミステリ文庫をスタートさせ、ラウドロックな筋肉少女帯とは一味違ったファンキー&ジャジーなサウンドを展開。12月にはアルバム『アウトサイダー・アート』をリリースしている。 目下、賑わいを増し続ける筋肉少女帯。大槻ケンヂを直撃し、30年を振り返ってもらいバンドマンとしての心境を語ってもらった。 * * * ――現在、筋肉少女帯はメジャーデビュー30周年イヤーということで、ライブなど、精力的にご活動されていますね。 大槻 そうですねー。いやー、も

    デビュー30年を迎えた筋肉少女帯・大槻ケンヂが明かすロック界の恐ろしさ「バンドマンがモテた時代なんて1ミリもなかった」 - エンタメ - ニュース