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ブックマーク / sankei.jp.msn.com (70)

  • 子猫が電車止めちゃった JR京浜東北線22分遅れ - MSN産経ニュース

    1日午前7時ごろ、JR京浜東北線鶴見-川崎駅間を走行中の磯子発大宮行き普通電車(10両編成)の車掌から、「床下からの鳴き声が聞こえた」と運行指令室に連絡があった。 蒲田駅で駅員が車両を調べたところ、1号車の車両床下の機器の上に子がいるのを発見し、保護した。は黒色で、体長約20センチ。けがはないという。 JR東日によると、電車は蒲田駅に22分間停車し、午前7時半ごろに運転を再開。京浜東北線は上下線15に最大22分の遅れが生じ、約2万3千人に影響した。

  • 事故誘発したのは無謀自転車 大阪のタンク車死亡事故+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する通行人2名が死亡した事故現場。事故のきっかけをつくったとして自転車の運転者が起訴された=5月12日、大阪市浪速区(社ヘリから、門井聡撮影) 大阪市浪速区の国道で5月、急ハンドルを切ったタンクローリーが歩道に突っ込み、男性2人が死亡した事故。痛ましい惨事を引き起こしたきっかけについて、捜査当局は、直前に道路を横切った自転車が原因と断定し、車の運転手は処分保留とする一方、自転車を運転していた男を起訴するという異例の展開をたどった。歩道を歩いていただけの2人の命が奪われた事故の背景には、全国的にも目立つ大阪自転車マナーの悪さが浮かび、府警は取り締まりを強化している。 事故は5月12日朝、浪速区日橋東の国道25号で起こった。片側2車線(幅約25メートル)の信号のない場所を横切ろうと自転車が飛び出し、避けようとしたワゴン車が急遽車線変更。さらに、前方に割り込んだワゴン車を避

  • 模型作り“隠れ家”ガンプラ世代に人気 家族気にせず没頭+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    クリックして拡大するホビーコーナー「プラモデルの工作コーナー」。模型玩具店の一角に設置された、エアブラシ塗装などの設備が整えられたプラモデル製作コーナー。利用客は塗料のにおいなどを気にせずに製作に没頭できるとあって人気も上々=大阪市中央区南久宝寺町の「METAL BOX」(撮影・頼光和弘) プラモデルを作るスペースを貸します-。そんなサービスが、「自宅では家族に気兼ねして作りにくい」というモデラーたちの人気を呼んでいる。会社帰りに 大阪・堺筋町の繊維問屋街に昨年暮れオープンしたプラモデル専門店「METALBOX」。2階に工作スペースがあり、夕方になると仕事帰りの会社員らが集まってくる。 「自宅でプラモデルを作ると、塗装に使うシンナーなどのにおいが家族に嫌がられるという人が多い。気軽に模型作りを楽しんでもらおうと、このスペースを設けました」と炭田寛弘店長(37)。カウンター式の7席のうち4

  • 悲しみ紛らす飲酒は必要か 避難所を悩ます飲酒問題+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災の津波で被害を受けた岩手、宮城、福島3県の沿岸部で、避難所からの救急搬送が少なくとも2816人に上ることが17日、各消防部への取材で分かった。ストレスの多い避難所生活が続いていることも一因とみられる。こうした中、避難所での飲酒問題に関係者が頭を悩ませている。健康の悪化やけんかなどのトラブルを懸念し、禁止すべきだと指摘する専門家もいるが、避難所をまとめる自治体職員は「法的根拠もなく、絶対駄目とは言えない」と漏らす。 支援物資の中に 「ここではうか、寝るか、飲むしかない」。宮城県女川町の避難所で元漁師の50代男性は、バスで町に出た際に買った焼酎を、昼間から1人で飲むことがある。知人を失った悲しみを紛らすためでもあるという。 避難所を担当する町職員は、自暴自棄になりがちな男性に飲酒を控えるよう、医療チームとともに何度も伝えてきた。この避難所で心のケアを担当した医師は「難しい問題だ

  • 「もう限界。帰していただけませんか…」 自衛隊員ら襲う惨事ストレス+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災で被災地に派遣され、遺体の捜索・収容作業に当たっている自衛隊員や海上保安官、警察官の「心のケア」が課題となり始めている。これまでに1万人近い遺体を収容するなど奮闘してきたが、一方で凄惨(せいさん)な現場で受けた精神的ショック(惨事ストレス)から心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状を訴えたり、奇行に走るケースも出ており、各省庁では惨事ストレス・ケアに乗り出した。 「もう限界です。家に帰していただけませんか」 西日の部隊に所属する陸上自衛隊の30代の男性自衛官は、部下の切実な訴えに接するたび、心に重圧がのしかかる。 震災直後に被災地入りし、数十人の部下と続けたテント暮らしはまもなく2カ月を迎える。主な任務は沿岸部での遺体の捜索活動。これまでに数十人の遺体を収容、自治体などに引き渡した。 住宅のがれきの下では、全身に傷を負った親子とみられる若い女性と5~6歳ぐらいの女の子

  • 【東日本大震災】「ありがとう、台湾」日本の有志6000人、地元2紙に広告  - MSN産経ニュース

    「ありがとう、台湾」。東日大震災で多くの被災地支援を行った台湾に対し、日在住の「有志一同」約6千人が3日付の台湾紙、聯合報と自由時報の2紙に、日語を交えた感謝の広告を掲載した。 台湾に謝意を伝えたいとする女性デザイナーが短文投稿サイト「ツイッター」などを通じて広告を提案。約240万円の広告掲載料を捻出するため、1口千円の募金を呼び掛けたところ、1900万円以上が集まった。差額は被災地へ義援金として送るという。 台湾からの義援金は先月27日までに約55億5千万台湾元(約157億円)に達している。(共同)

  • 【東日本大震災】「わたしもがんばる」 女児の手紙が自衛隊員の心の支え - MSN産経ニュース

    東日大震災で被災した宮城県石巻市などで活動中の陸上自衛隊第14旅団(香川県善通寺市)の隊員が、津波で児童の約7割が死亡・行方不明となった石巻市立大川小の児童とみられる女児から捜索活動に感謝する手紙を受け取った。コピーが他の隊員にも配られ、心の支えになっている。 手紙は動物のイラストが描かれた1枚の便箋に「つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちがみんなしんでしまいました。じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります」とつづられていた。「日をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう」とも。広報を担当する伊丹秀喜2等陸尉(47)は「手紙に大きな力をもらった。気持ちに応えられるよう、一日も早い復興に力添えしていきたい」と話している。 旅団では手紙をコピーし、多くの隊員が財布などに入れて持ち歩いている。

  • Jパワー、水力パワー全開で電力を供給 - MSN産経ニュース

    電源開発(Jパワー)の北村雅良社長は28日、東京電力への供給を増やすため、保有する水力発電所を規定の出力以上で運転する方針を明らかにした。水力発電所は使える水の量が規制されているが、河川を所管する国土交通省との間で「水をより多く使い発電量を増やす方向で協議している」という。 2011年3月期連結決算発表の席上で明らかにした。Jパワーが東日で持つ水力発電所の出力は計170万キロワット。数%分の出力アップを目指す。 また、夜間に余った電力で水をくみ上げておき、昼間に放水・発電する揚水発電所(計370万キロワット)についても「東京電力の要請で、すでに水は満杯にしてある。いつでも電力供給をできる」としている。 揚水発電所のうち、震災でダムに被害のあったものも7月までに復旧するという。 一方、青森県で建設中の大間原子力発電所については工事を中断しているが、地元に安全対策を説明した上で近く工事を再開

  • 【東日本大震災】津波に強かった「1階吹き通し」再使用できるケース多く 建築学会報告 - MSN産経ニュース

    東日大震災の揺れや津波で被害を受けた建物を調べた結果、1階部分が吹き通しになった「ピロティ型」の建物が、津波に強かったことが、東北工業大学の田中礼治教授らの調査で分かった。沿岸部では、ほとんどの木造家屋が流失している一方で、鉄筋コンクリート構造の建物の多くが再使用できる状態で残っていることも判明した。 23日に大阪市内で行われた日建築学会の「緊急調査報告会」で報告した。 ●「ピロティ型」衝撃少なかった? 田中教授らは、仙台市など宮城県の沿岸部を調査。田中教授によると、津波で木造家屋が壊滅的被害を受けた地域でも、鉄筋コンクリートの建物は、基構造に大きな被害がなく、再使用できるケースが多かったという。鉄骨構造の建物も一部は残っていたが、基構造が変形し、再使用は厳しい状態だった。 1階部分が主に柱だけで構成されているピロティ型の建物が津波に強いことも浮かび上がった。堤防から数十メートルの

  • 【東日本大震災】丸1カ月「やっと一緒に」 石巻のおしどり老夫婦、遺体確認+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災で壊滅的被害を受けた宮城県石巻市で11日、老夫婦が念願かなわず、ともに変わり果てた姿で“再会”した。 だれもが認める「おしどり夫婦」。地震の直後、ガンの手術後に自宅で安静していたを夫が助けに向かい、2人とも津波に巻き込まれるという悲劇だった。この1カ月間、両親の行方を捜し続けてきた長女は「やっと一緒になれたね」と涙ながらに声をかけた。(市岡豊大) 津波に巻き込まれたのは、同市の無職、佐藤治さん(80)との英子さん(78)。長女の福井公美子さん(53)が10日、石巻市沖で震災直後に発見された遺体を英子さんと確認していた。さらに、自宅近くのがれきの下から10日に見つかった遺体が、治さんであることが11日に分かった。 地元の役場職員だった治さんと捕鯨会社社長の娘だった英子さんは、昭和31年に結婚した。治さんは料理上手な英子さんにほれ込んでいた。今でもお互いを「おさむちゃん」「えい

  • 【東日本大震災】「ひとりになっちゃった」家族4人失った自衛官、思い秘め任務 - MSN産経ニュース

    津波で家族4人を失いながら、被災地の駐屯地に寝泊まりして任務に没頭する44歳の自衛官がいる。がれき撤去など危険な任務に当たる隊員を後方支援する仕事に終わりはない。「これ着てますから」。表情を変えず、迷彩服を軽く触った。 宮城県内の陸自駐屯地。朝をめぐって口論になった(42)から「まだ怒ってる?」と電話があった。「怒ってないよ」。数時間後、大津波が沿岸地域を襲った。 すぐ緊急出動する車両や重機の準備に取りかかり、矢継ぎ早に指示を飛ばした。家に戻る余裕はまったくない。義父(76)を車いすに乗せてみんなで避難したはず。そう信じていた。 翌朝、出動中の車両を確認するため駐屯地を出た。家があった方向には何もなかった。 避難所名簿に名前がないことを知り「だめだ」と分かった。仕事の合間を縫って安置所や役所に掲示されたリストを見て回り、また任務に戻る。娘(14)の遺体と対面できたのは地震から10日後。

  • 南極の隕石から新種の鉱物 NASA邦人研究者発見 45億年前に誕生か - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する新種の鉱物の電子顕微鏡写真。暗く細長い領域の中で、矢印が示すやや明るい部分がワソナイト(NASA提供・共同) 米航空宇宙局(NASA)は5日、NASAジョンソン宇宙センターの中村圭子研究員がリーダーを務める研究チームが、南極で見つかった隕石(いんせき)の中から新種の鉱物を発見したと発表した。 隕石は太陽系誕生から間もない約45億年前にできたと考えられ、太陽系の成り立ちの解明に役立ちそうだ。研究には東北大も参加した。 研究チームは、1969年に日の南極探検隊がやまと山脈で発見した隕石を、NASAが保有する透過型電子顕微鏡を使って分析。 隕石の中に含まれている縦50ナノメートル(ナノは10億分の1)、横450ナノメートルほどの非常に小さな粒を詳しく調べた結果、硫黄とチタンの2種類の元素からできた独特の結晶構造を持つ新種の鉱物であることを突き止めた。隕石は火星と木星の間の軌

  • 福島原発監視のNHKカメラ 「30キロ離れて撮影」の仕組みは?  - MSN産経ニュース

    テレビの震災報道で、東京電力の福島第1原子力発電所を、30キロ以上離れて撮影しているNHKカメラが存在感を発揮している。テレビ中継車が現場に近づけない状況が続くなか、放水の様子や煙などをとらえ、緊迫する原発の現況を視聴者に伝えている。 NHKによると、映像はヘリコプター外部に取り付けられたハイビジョンカメラ(幅40センチ、高さ56センチ、重さ約47キロ)で、上空から撮影。最大84倍ズームで、ヘリの揺れを吸収する防振装置をカメラ上部に搭載し、「30キロ先でも固定して撮影したような映像が届けられる」という。さらにデジタル処理を施し、モヤがかかったような映像を鮮明にしている。 カメラは映像機器などを扱う池上通信機製(レンズは富士フイルム製)、防振装置は電子機器などを手がける日航空電子工業製だ。 NHKは、福島第1原発から5~6キロ地点に無人カメラを観測用として設置していたが、震災で電力がストッ

  • 「伝説の巨大カメ」捕獲、特殊部隊も参加 ベトナム - MSN産経ニュース

    ベトナムの首都ハノイにあるホアンキエム湖で3日、100歳を超える「伝説の巨大カメ」を捕獲する作業が行われた。捕獲は治療のためで、数千人が見守るなか、特殊部隊の兵士を含む数十人が参加して体重約200キロのカメを捕まえた。 国営テレビによると、このカメはこの数カ月で2度姿を見せたものの、甲羅や首、足にピンク色の部分が確認されていた。専門家によると、汚染の影響や釣り針による傷、小型のアカミミガメからの攻撃が原因として考えられるという。 専門家のHa Dinh Duc氏は捕獲後、「カメは概して健康で(状態は)安定している」と述べた。 科学者によると、今回捕獲されたカメは、絶滅が危ぐされている「シャンハイハナスッポン」との見方もある。 ハノイに住む78歳の男性は「(このカメは)国を代表していると言ってもいい。治療のために捕獲するのは必要なことだ」と話した。 ベトナムの言い伝えによると、15世紀に中国

  • 【東日本大震災】写真とメールが物語る、黙して語らぬ自衛隊員の姿+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災での自衛隊による被災者支援活動は「最後の砦(とりで)」である。隊員はその重みを感じながら黙々と働くが、肉体的、精神的疲労は日ごとに増す。身内に犠牲が出てもわが身を顧みず、被災地にとどまる隊員も多い。実績を声高に誇ることもなく、黙して語らぬ隊員の思いと労苦を隊員同士のメールや写真から検証した。(半沢尚久、《》はメールの文面、写真は陸上自衛隊提供) ■車座で痛みを共有 《海には数メートルおきにご遺体が浮いている》《幼い亡骸(なきがら)を目にすると、わが子とダブってたまらない》 地震に津波の被害が重なった大震災。遺体収容も自衛隊の重要な任務のひとつで27日までに4150体を収容した。写真は宮城県山元町で冷たい水に膝までつかりながら遺体を囲み手を合わせる隊員を写し出す。 日常的に遺体を扱う警察官と違い、慣れているわけではない。とりわけ、海に流された遺体と対面するのはつらい作業だという。

  • 【東日本大震災】校庭に日の丸、被災地応援 ロンドンの中学生 - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する25日、ロンドンの私立中学キングズカレッジ校の校庭で、赤と白の服装の生徒らがかたどった「日の丸」(共同) ロンドンの私立中学キングズカレッジ校で25日、東日大震災の義援金集めの一環として、被災地を応援する気持ちを示すため、赤と白の服装に身を包んだ生徒らが校庭で「日の丸」をかたどるイベントが行われた。 同校では普段、生徒は制服を着用するが、日の丸づくりのイベントのため、この日は私服での登校が許可された。生徒の母親らが作ったクッキーのチャリティー販売の後、200人以上の生徒が校庭で日の丸づくりに参加した。 白い服でイベントに参加したフェルプス君(12)は「被災した日人がすごく規律を保っているのが印象的だった。日人は必ず立ち直れると思う」と話した。(共同)

  • 【東日本大震災】「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる - MSN産経ニュース

    「津波の時は井戸に気をつけろ」。岩手県大槌町栄町の佐藤綾子さん(59)は二十数年前に近所の高齢者から聞いたこんな教えを覚えていて、津波から逃げ延びた。「昔聞いた話が当に役に立つとは」と先人の知恵に驚いた様子だった。(清作左) 佐藤さんは二十数年前、当時小学生だった長女(32)と、学校の学習発表会のために津波について勉強していた。 そのとき、明治29年に起きた明治三陸大津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた。「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする。井戸には気をつけて」と佐藤さんは振り返る。それ以降、「津波が来そうな時はとにかく井戸を見る」と肝に銘じていたという。 この知恵が今回の震災で生きた。揺れが収まった後、佐藤さんはすぐに自宅の井戸をのぞいた。「(井戸の水が)今まで見たことないぐらいに真っ茶色に濁っていた。これはまずいと思って、すぐさま逃げた」 自宅は津波に飲み込

  • 【放射能漏れ】「決死隊だ」 放水作戦敢行の警視庁機動隊員ら原発へ - MSN産経ニュース

    警視庁の幹部は「まさに決死隊だ」と声を振り絞った。17日に開始された福島第1原発への放水作戦。前日には放射線量が高いことを理由に、自衛隊がヘリコプターからの3号機への注水を断念したほど。建屋の穴から使用済み核燃料貯蔵プールに注水はできるのか。全国民が固唾をのんで見守った。 「操縦は警察官にお願いできないか」。16日、東電側からの依頼に警察庁と警視庁の幹部に緊張が走った。当初は高圧放水車を東電側に提供するだけだったが、東電の社員では操縦は難しいという理由だった。 原発の事態が緊迫化するなか、警視庁は急遽(きゅうきょ)、扱いに慣れた機動隊員を中心に十数人の部隊を編成し、福島に派遣した。ただ、作戦実行に向けて最も高い壁は隊員の安全確保。建屋からわずか50メートルと、ヘリよりも近づかなければならないのに安全は保てるのか。警察当局は「自衛隊でも東京電力でもどちらでもいい。とにかく一番いい防護服を」と

  • 【東日本大震災】15年間の引きこもり男性、自宅流出も避難せず奇跡の生還 - MSN産経ニュース

    岩手県野田村の海岸線近くに住む無職男性(48)は約15年間外出せず、引きこもっていた。自宅ごと流され、一時は死を覚悟したが奇跡的に生還、「幸運だった」と語った。 男性は母親(72)と2人暮らし。勤めていた東京の会社が約15年前に倒産。故郷に戻り、引きこもるようになった。「避難はおっくうだった」と男性。11日の激しい揺れの直後、「逃げなきゃだめだ」と何度も訴える母親の言葉を聞き入れなかった。母親だけが避難した直後、ドンという音とともに、自宅は流された。部屋の壁が崩れ、天井が落ちてきた。あっという間に胸まで水に漬かり、屋根の梁に手を伸ばし必死に抱え込んだ。わずかな空間で呼吸し、屋根ごと1キロ近く流された。 だが間もなく屋根は真っ二つに割れ、濁流の中に。ようやくビニールハウスの骨組みをつかみ、波に耐え続けた。どこにいるか分からなかったが、寒さに震えながら高台へ歩き、隣の久慈市の避難所に着き、母親

  • 【東日本大震災】孫のアルバム胸に抱え…遺体で見つかった79歳 - MSN産経ニュース

    大震災発生から5日目の15日、遺体で見つかった岩手県大船渡市大船渡町野々田、浜田勝太郎さん(79)は、大切そうに胸にアルバムを抱いていた。縦約40センチ、横30センチの冊子の中には、ベビー服姿の孫をうれしそうに抱き上げるスナップ写真などが貼り付けられていた。 津波で100メートル以上流された自宅の1階で見つかった。と2人暮らしだった。上の孫の紗帆里さんは中学2年生。下は小学4年生の光君だった。 救助されたによると、津波が自宅を襲った時、浜田さんも一緒に2階に逃げた。だが家族のアルバムを取りに1階に戻り、そのまま逃げ遅れたという。消防の捜索に立ち会った息子の会社員、浜田浩誠さん(48)は「当に孫が好きだった。だけど、ばかなおやじです」と声を震わせた。