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思想に関するfuruichiのブックマーク (2)

  • 井上哲士:義兄の葬儀/益川京大名誉教授にノーベル賞

    広島で義兄の葬儀。斎場から戻り初七日の法要まで済まして東京に戻りました。途中の新幹線で携帯が鳴り、ビッグニュースが届きました。京大名誉教授の益川敏英先生らがノーベル物理学賞受賞です! 未発見の「クォーク」の存在を理論的に予測した「小林・益川理論」が認められたもので、小林先生やお2人の先輩となる南部先生との共同受賞となりました。何年も前からノーベル賞候補に挙げられていたので、待ちに待った受賞です。 私の学生時代、学生自治会がとりくむセミナーの講師なども気軽に応じてくださっていたことを思い出します。世界的注目を集めていた益川先生が、素粒子研究には、弁証法的唯物論の物の見方が貫かれていることをいっかんして語ってこられたことは、科学的社会主義を学ぶ上で、とても励みになりました。 たとえば、1984年7月14日付けの「赤旗」では、みずからの研究をふりかえって次のように語っておられます。 「素粒子が、

    furuichi
    furuichi 2008/10/11
    唯物弁証法が役立ったというのは分かるような気がするな。
  • 「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去

    別に関係の無い話として読んでもらってかまわないのですが、「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」という論法への違和感について。 もちろん、虐殺という結果にいたった思想や体制はまったく擁護できないし、それは失敗であったと言わなければいけないと思います。しかしです。こうした議論の帰結は「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」になることが多くて、それにはとてつもなく違和感を覚えてしまうのです。え?それその思想を支持している人だけの問題なの?ということです。いやもちろん、その思想に対するつじつまを持ってない人はつける必要は無いわけですが、そうした思想が社会に浸透することを問題化するならば、誰もが責任が無い傍観者ではいられなくなるのです。つまり、ある思想のもとで多くの虐殺が起こっているならば、それは思想そのものに虐殺を引き起こしうる内

    「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去
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