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lifeに関するgabariのブックマーク (141)

  • 卒業 - tapestry

    2013年12月末をもって、はてなを卒業しました。また、合わせて結婚生活からも卒業しました。 金曜日は、はてなの人たち有志が慰労会を開いてくれました。 はてなではいつもホストの役目で誰かを見送る立場だったので、自分がパーティの主賓なのが不思議な感じでした。四条御幸町のカフェは貸し切りで、ドアをあけると懐かしい顔が迎えてくれました。 幹事の労をひきうけてくれたid:chira_rhythm55の司会でパーティは始まり、id:jkondoが乾杯の挨拶と音頭をとって、id:nmyが作った342枚の写真からなる思い出のスライドショーを眺めながら、皆で呑みました。京都リサーチパークの4平米のブースで始めた2001年の創業期、東京へ移動しメンバーが増えた2004年、アメリカへ渡った2006年、京都に戻った2008年。大画面には懐かしいメンバーの姿やしなもんが映し出され、ネット上でユーザーさんを巻き込ん

    卒業 - tapestry
  • リアル世界にレベル上限はない

    http://anond.hatelabo.jp/20131212133805 オレは、小中高とそこそこくらいの勉強量で、現役で東大に入って、恥ずかしながら「オレは普通の人間と比べてレベルアップによるステータス上昇pointの高い優れた人間なんだろう。普通に努力を続ければ50歳くらいでレベルカンストしてスーパービジネスマンになってるはず。」と勘違いしてた。まあよくある「やればできる子」のスペック高いverみたいな感じ。 大学を卒業して就職してから10年くらい経つが、「ステータス上昇point」という考え方が大間違いだったことに数年前に気がついた。成長するやつと成長しないやつの違いって、「ステータス上昇point」じゃなくて「周りにいるモンスターの強さ(=経験値)」なんだわ。つまり環境。心身が壊れない程度に強い(=経験値が多い)課題に囲まれている環境。 オレは、両親兄弟の全員が旧帝大とかの高

    リアル世界にレベル上限はない
  • Outdoor-loving family shares 20 years of summer bonding

  • 名前はまだない。 どうかボクたちの娘を「モノ」扱いしないでください

    ※こちらの記事に温かいコメントを寄せてくださった皆様へ 励ましのお言葉当に有難うございます。皆様の励ましのメッセージはすべて目を通しておりますが、なにぶん大量に届いておりますので、すぐにお返事を記載することができません。落ち着きましたらゆっくりコメント返しをさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 (2013/08/09追記:コメントへの御礼はこちらに記載しました) 特に、ご自身も同じような辛い思いをされたのに私達の事を気遣ってくださった皆様におかれましては、最愛のお子様を失われた悲しみに耐え、その上でコメントを頂いておりますわけで、そのご労苦を拝察いたしますと、当に頭が下がる思いです。こちらからもお子さんが天国で安らかに過ごせるようぜひお祈りさせてください。どうぞよろしくお願いいたします。 (2013/07/23 一部追記) この記事の内容が役に立たなければ

    gabari
    gabari 2013/07/22
    パンフ見た限りでは、特に疑おうとは思わないな…
  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
  • 赤ちゃんが乗っていますのマークの意味を初めて知りました | かりんのひとりごと

    ‘baby in car’や‘マタニティママ’が乗ってます 車にマタニティマークをつけて走っていたらパッシングをされた。その後信号待ちで止まったら、後ろの車から若者が降りてきて暴言をはかれた、という内容。(詳細はリンク先でどうぞ) このスレを見て初めて車につけるマタニティマークというものの存在を知りました。今はそんなものがあるんですねぇ。正直これを読んだ時の私の感想は「妊婦さんか・・・でもだからなに?どうしてそれを車に張ってアピールする必要があるの?」と思いました。 同じく車についている「赤ちゃんが乗っています」のマークの意味も知らず、「赤ちゃんが乗ってるから危険運転をしても許してね」ってこと?とか、「赤ちゃんが乗ってるからぶつけたら死ぬ確率が普通の車より高いから私の車を避けて」ってこと?もしや妊婦様、子連れ様?と思っていました。 でもどちらにもそんな意味ではない当の重要な意味が

    gabari
    gabari 2011/08/13
    これは知らなかった…。大事なことでもあるし、みんなが知らないとなぁ
  • ごはんを作るのが使命 - kuroihikariの日記

    Love | 16:31 | 平日は、旦那の顔も見ない日すらある。だから、会えない時間に、私は旦那のために作り置く、晩ごはんを作る。これが、平日の間は、二人をつなぐ唯一の、とても大切なことだから。ご飯がなくなれば、子供もいない夫婦で一緒にいられる自信がない。いつも味噌汁ついてる。たった二人の家族なので、さびしい思いをさせぬよう、かわいい(または面白い)イラストつきのメモを、そっと晩ごはんにそえて、私は夜の仕事に出かけている。 男が嫁をもらうのはなんのためかというと、それは、カップラーメンでも、スーパーの味気ないお惣菜でもなく、自分が見つけ出し共に生活する女が、毎日自分のために、おいしいご飯を作ってくれる、そのために嫁をもらうのだよね? セックスとか、すぐ飽きた。同じ人とのセックスはマンネリで、当に大事に想ってる人には、セックスであれこれ無理な注文をつけることはしない… ありのまま、君らし

    gabari
    gabari 2011/07/21
  • 日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由

    僕はどのように日文化を発見したのか、どうやって日語を勉強したのか、なぜ日で働き住むようになったのかを今日紹介したいと思います。 どこから始めればいいのか悩みましたけど、「第一日目」からでもいいかなと思いました。この記事を幾つかのセクションに分けてみました。 一日目 どうやって日文化と出逢ったのか どのように日語を独学したのか どうやってお金を稼いだのか 人生の初めての目標 : ジャパニーズドリーム とどこでどのように出逢ったのか 日航空時代 : 初めてサラリーマンになった どうやって日に辿り着いたのか キャリアをどのように日でスタートしたのか ぬるま湯に浸かれると危険 アマゾン時代 どのようにアフィリエイト収入を稼いだのか なぜシアトルに引っ越したのか 副業は今の会社の始まり 第一日目僕はロンドンのイーストエンドで生まれ育ち、両親は中国系マレーシア人だ。幼かった頃は、両親

    日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由
  • 想像力を鍛える方法33個

  • ゲロを売り払えと上司はいった - Everything You’ve Ever Dreamed

    一瞬、耳を疑った。4月4日月曜日のことだ。何を言っているのかわからなかった。エイプリルフールは終わったんだぜベイビー、冗談は顔と上着だけ作業着を着た非常時コーディネートだけにしてくれよ、なんて軽口が出てしまいそうになる、そんな僕は品会社の営業課長。 エイプリルフールは終わっていた。冗談でもなかった。営業、運営、総務の三部長は僕に「例の事業を売れ」と言った。ウチの会社、まあ他のところもそうだろうがいろいろ問題や個人的にムカつくこともあるがそれでもまだ身を置いている大きな理由のひとつ、やりがいのある仕事のひとつにお年寄りや障害のある人向けの事、材の提供がある。例の事業が指しているのはこの仕事だった。 理由は他の仕事と比較してコストと手間がかかりすぎる、設定した数字が出ていないということらしい。実際、関わった人間の努力で数字は出ていた。対予算120パーセント強。それを武器に反論したが聞き入

    ゲロを売り払えと上司はいった - Everything You’ve Ever Dreamed
  • 綺麗な死にざま。もがけ、あがけ。 - Everything You’ve Ever Dreamed

    綺麗な死に方ってなんだろう?祖父が入院して以来そんなことを考えている。人によって定義は違うだろうけれど、おそらく、晩節を汚さず、とか、立つ鳥跡を濁さずといった言葉が指し示す潔いイメージなんじゃないだろうか。 年末に倒れ鎌倉の病院に入院した祖父だが、今は、お医者さんから親族に連絡するよう言われるほどの危ない状態から脱している。安定しているといっても、一時的なものであって、百歳という年齢から手術は出来ず、つまり治らない。死んでいく祖父を僕は見ていることしかできない。 祖父は延命を拒否した。祖父は覚悟を決めたのだと親戚一同誰もがそう思った。 状態が安定して心にゆとりが出来たのだろう、祖父が今まで僕が見たことないような暴れ方をするようになった。「俺は棺桶みたいな部屋でいたくない」。「外に出たい。由比ヶ浜を散歩したい」。「なんでこんなところにいなきゃならないんだ、俺は治ったんだ!」。僕は見ていないの

    綺麗な死にざま。もがけ、あがけ。 - Everything You’ve Ever Dreamed
    gabari
    gabari 2011/02/05
    うちの祖母は人に迷惑をかけるのが嫌で、意識のない状態でそのままか喉に管通して回復にかけるか迫られた。そんな状態を祖母は望まない「はず」だったが、僕らはそんな状態の祖母を見たくなかったのかもしれない
  • 思い出したこと - phaの日記

    昨日のコメント欄( http://d.hatena.ne.jp/pha/20110126/1296044441#c )の続きの話で。 僕は昔、内田樹さんのブログに影響を受けて半年ぐらいだけ合気道の道場に通っていたことがあるんだけど、そのときのことで思い出すことがある。自分より力の強い人に腕をぐっと掴まれて動けなくなったときに、それを力づくで振りほどこうとしたり抵抗しようとしてもうまく行かない。ではどうすればいいかっていうと、掴まれた腕はそのままにして自分の体をスッと相手の体の横などに移動させるのだ。そうすると立場が逆転して、相手の攻撃はこちらに届かなくなり、相手は腕に力が入らなくてこっちは力を入れやすくて、こちらが自由に主導権を握れるようになる。上手い人はそういう「どこに行けば自分が楽に動けるかという場所」が見えるようになるみたいで、先生がよく言っていたのは「力で対抗してはいけない。自分が

    思い出したこと - phaの日記
  • 爺ちゃんの旅立ちが近い - Everything you've ever Dreamed

    新年二日の100回目の誕生日に親戚一同集まってお祝いをやることになっていたのに直前に倒れるなんて爺ちゃん(祖父)これじゃまるで映画「サマーウォーズ」、ここは一族の踏ん張りどこじゃね?そんなふうに事態の深刻さがわかってなかった俺は気楽に考えていた。今朝、面会時間にあわせて病院にいった。祖父を見舞うためだ。100歳になろうとする祖父は植木鉢を持ち上げようとしたさいに不調を訴え、診察の結果、心不全、肝不全。そのうえ肺に水がたまっていて危険な状態。医者からは延命措置を取るかどうかを訊かれ、近親者に連絡をするよう薦められた。その祖父がちょっと暴れたらしい。それで心配になって俺は駆けつけたのだ。 「100年生きたから」とか「大往生」とか「今まで大病も大怪我もなしで万々歳の人生」とみんなが言う。そんな言葉は慰めにも救いにもならない。100年生きられる人はそう多くはないだろう。病気や怪我をしないで一世紀と

    爺ちゃんの旅立ちが近い - Everything you've ever Dreamed
  • 延命するか?と祖父に訊いた。 - Everything you've ever Dreamed

    三つ子の魂百までというが小学生のころ僕のまわりで噂されていた「死んだ人間は火葬されるときにショックで棺桶のなかで生き返るが気付かれずに焼かれてしまう」という話は、当時近所に住んでいた背の高い女の子が突然病気で亡くなってしまった事実によって補強・増幅され、考察や検証もされずに僕のなかでほとんど恐怖そのもののようになっている。自分の声が届かない、意思が届かない、暗黒の恐怖だ。今日、祖父に延命措置をとるかどうか訊いたとき、そんな恐怖に関する古いエピソードを思い出した。 祖父は年末に体調を崩して入院していたのだけれど、今日は点滴が外れ、ものがべられるほどに回復した。とはいえ心不全と肝不全を起こしている明治生まれの祖父の身体が過酷な手術に耐えられるわけもなく僕や親族はこのままゆっくりと弱っていく様子をみていくしかない。それが突きつけられている現実だ。ものがべられるようになった勢いそのままに僕を相

    延命するか?と祖父に訊いた。 - Everything you've ever Dreamed
  • 「災害の一日前に戻れるとしたら、何をしますか?」と被災者に聞いてみたページがすごい - リアリズムと防衛を学ぶ

    「一日前プロジェクト」をご存知でしょうか。たいへんいい企画だと思うので、ご紹介させて頂きます。「一日前プロジェクト」は地震、津波、豪雨などさまざまな災害に遭った方々に「もし災害の一日前に戻れるとしたら?」と聞いて、小さな物語を集め、発信し、共有するプロジェクトだそうです。プロジェクトが発信している物語、イラストは利用自由。企業の社内報や地域の広報にコラムとして掲載するなど、幅広く活用してOK、むしろドンドン語り継いで行こう、といういうものです。 被災者視線での短い体験談なので、読みやすく、いかにも身につまされます。このブログでは代表的なものをいくつか紹介させていただきます。ご興味をもたれたら、ぜひ元サイトをご覧になってください。 震災の前に知っておけば良かったと、今でも悔やんでいること 分かっていたけど、やらなくて後悔したこと ちょっとした備えで助かった 危機管理のリーダーシップ 被災時の

    「災害の一日前に戻れるとしたら、何をしますか?」と被災者に聞いてみたページがすごい - リアリズムと防衛を学ぶ
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    諏訪之瀬島(鹿児島県鹿児島郡十島村)2024.8 はじめに 1日目 中心部・ナベダオエリア 元浦エリア 2日目 元浦エリア・中心部 切石エリア 3日目 はじめに 前回の「フェリーとしま2乗船記」にも書きましたが、諏訪之瀬島に行ってきました。今回は、その諏訪之瀬島の記事です。 kakoyuu.hatenablog.com 諏訪之瀬島は…

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  • 生まれて初めて父の死因を知った。

    なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。 私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。 父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。 17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。 だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。 きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。 そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。 母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。 私は興味

    生まれて初めて父の死因を知った。
  • twitterで知り合った友人が亡くなった - Everything You’ve Ever Dreamed

    彼女とはツイッターで出会った。共通のフォロワーがひらいた飲み会で初めて顔をあわせた。二月の東京だった。彼女が、僕の日記(つまりここだ)が面白いと言うので、調子にのり、ああ、よく言われますと冗談のつもりで言い返すと変なものを見るような目をしていた。それが彼女との最初だった。そして、それが最後だった。彼女は死んでしまった。 訃報をきいてすぐに僕は彼女のツイッターのホームをひらいた。「つぶやき」は五月を最後に終わっていた。終わりのほうは体調不良をほのめかす発言の頻度が増えていた。僕はまったく気付いていなかった。彼女は、彼女の言葉、彼女に気付かないまま流れていく世界を眺めてどう思ったのだろう?そして、不安を感じさせる言葉のあいだあいだには、健康になりたい、元気な体が欲しい、という願いの言葉があった。 仲間たちと彼女の通夜に行った。ツイッターで出会い、インターネットの向こうで知らないうちに病に斃れて

    twitterで知り合った友人が亡くなった - Everything You’ve Ever Dreamed
  • Page Not Found | MUJI 無印良品

    お探しのページは見つかりませんでした 申し訳ありませんが、このページアドレスは存在しません。削除されているか、 アドレスが変更されているか、現在アクセスできなくなっている可能性があります。 Page Not Found We’re sorry, the page you’ve requested does not exist at this address. It may be deleted, changed its address, or unable to accesss right now.

  • ずっと、はてなに入りたいと思っていた - Money does not hurt your heart

    エンジニアとして働きはじめて、まだ10年も経っていないけれど、ちょうどいい機会なので、この機会に振り返っておこうと思う。武勇伝なんて派手な話は何もない地味なエンジニア人生だけど、自分が関わったものが誰かに使われているのを電車の中で見たりすると、ちょっと嬉しいです。id:naoyaさんや登大遊さんのように、カッコイイエンジニアになりたいなぁ、とあこがれます。エンジニアとしての転機皮肉なことに、エンジニアとして独り立ちしたな、と自覚するようになったきっかけは、リストラだった。それなりに大きな会社だったのだけど、事業部がリストラで解体されていく中で、若手の現場のエンジニアが減っていき、減ったエンジニア仕事をやらざるを得なくなった。事業部ごと解体されようかという勢いの中で、いきなりそれ新人の仕事じゃないだろう、という大きな仕事をふられて、右往左往して泣きながら必死で働いた。超神水みたいなもので、