ブックマーク / uumin3.hatenadiary.org (7)

  • uumin3の日記 - 騙されたら負けかなと思っている?

    私も誰かに騙されるというのは不快には思いますが、「騙される」ということに対して少々過剰な反応が多いのではないでしょうか? それは「対宗教」「対似非科学」「対アメリカ」「対中国」「対権力」「対マスメディア」…さまざまな局面で見られるように感じます。一見その立場が正反対のようでいて、実は「騙されないぞ」と過剰に構えているという点では同じような人たちが多くいるなあと。 これはその個別の問題、忌避の対象云々ではないところに何か同根のものがあると考えた方が面白いのではないかと思えてきています。 匿名ダイアリーでこういう記事がありました。 ■日人はなぜ「宗教に走ったら負けかなと思ってる」のか 日人に限った話じゃないのかもしれないけど、宗教という名前で一般的に連想されるのが、日常的な生活空間とは隔絶した“異界”の何かだった場合には、そういうことが起きやすいんじゃないかと思う。 逆に、実際にはまってい

    uumin3の日記 - 騙されたら負けかなと思っている?
  • 愛国心とかネオ・リベラリズムとか(書評) - uumin3の日記

    薬師院仁志『日とフランス 二つの民主主義 不平等か不自由か』光文社新書265(\740) 「政治について頭の中のごちゃごちゃしたところを一度はっきりさせたい」とか、「ほんとは右でも左でも主張はよくわからないしどこを応援するか考えたい」とか思っている人にお薦め。真剣にお薦めです。ばさっと明快に切っています。 まあ小気味良すぎるほど小気味よく書いているところがこのの最大の長所でもあり、もしかしたら短所でもあるかも(>強引にまとめすぎかも)しれないのですが、新書はこうでなくっちゃと思うのです。(小飼弾氏も「目からうろこ」と絶賛(笑)。ぼちぼちあちこちで評判になっていますね) たとえば愛国心や国家主義などについては、 フランスの1848年憲法は、民主主義を自由主義から解放する契機を体現している。そこには、「国家的支配からの自由=民主主義」という保守的な図式から、「民主主義=国家的支配への国民参

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  • 吉本隆明インタビュー「戦争について」 - uumin3の日記

    このインタビューは、『現代思想』1975, 4, VOL.3-4に掲載されていたものです(pp.15-29)。インタビューのお題は「歴史と宗教」。その中から興味深かった「戦争について」の項の4分の3ほどを引きます(pp.22-23)。 戦争について ――補足して伺いたいと思います。さきほどの内ゲバの問題で、身体と観念が共同性の構造においては転倒されているということを理解していないからそれがおこるのではないかと指摘されました。ところで、個人的に人を殺すのはいやであるから、戦争はいやだという論理がありますが、この論理も、同様に、共同性においては身体と観念が転倒されているということを理解していないといえますでしょうか。 言えると思いますね。もしも、人を殺すのがいやだから大量殺戮である戦争はいやだという論理で現実に戦争が消滅するなら、それは簡単な算術問題になりますよ。一プラス一は二という問題になる

    吉本隆明インタビュー「戦争について」 - uumin3の日記
  • 2006-03-07

    昨日は関東で春一番が吹いたそうですが、春一番、キャンディーズと連想して「春一番が〜♪」と歌ってしまうのは罠。それは「微笑がえし」(笑)。 雪が溶けて 川になって 流れてゆきます つくしの子が 恥ずかしげに 顔を出します もうすぐ春ですねぇ 恋をしてみませんか (『春一番』作詞作曲 穂口雄右) 私もこの週末に空き地でつくしの芽を今年初めて見て、春が近いことを実感したのですが、つくしといえば「つくしのおひたし」を思い出します。何年かバイトをしていた喫茶店のママさんにいただいたものでした。それまでつくしがべられるなんて意識していなかった私ですが、はかまをとりのぞいたつくしは意外にべられるものでした。結構ママさんには良くしていただき、お惣菜などおすそ分けしてもらったのでありがたかったです。 そのママさんは今の私より若かったのですが、当時の私には「おばちゃん」にしか見えず(笑)それでもその後結婚

    2006-03-07
  • uumin3の日記:なぜブログ論が流行るのか?

    私が最初に彼のサイトを見、名前を記憶したのは「関東大震災における朝鮮人虐殺」に関しての検証の記事においてでした。何年か前のことです。(関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?←ここをクリック) 今、上記のようにまとめられておりますので、その検証の後を辿るのは簡単なことだと思います。 もし、まだご覧になっておられない方がいらっしゃいましたら、時間がある時にでもぜひどうぞ。 俺は、資料のデータ的な不備を大目に見て、極力人数を多めに見ても、「1」のデータから「神奈川県」に相当する部分を抜き、「2」のデータから「神奈川鉄橋」を除いたものをプラスして、1200+700で、2000名程度が虐殺の正確な人数に近いと思います。 従って、たとえば教科書に記述する場合は、 関東大震災では朝鮮人が、日人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証

    uumin3の日記:なぜブログ論が流行るのか?
    gabrigabri
    gabrigabri 2006/03/04
    納得。“何故生きるのか”が人生論になるようなものですね。こう連想すると各々の答え(保留)しかないのだろうなとか。強烈な教祖でもいるのかは知りませんが。或いはそこの相似にブログ論の魅力があったりとか
  • 2006-02-26

    ちょっと昔書いたことをサルベージ 数年前から「差別主義者」という言葉をネットで聞くようになり、それ以来妙にひっかかる言葉だなと思っていました。まず「主義主張で差別する」ってどういうことなのかイメージできなかったからです。 身の回りの者を無差別に差別する、そういう唯我独尊の人が当にいるのかな、なんて見当違いのことも考えてしまいましたが、あまりにもよくこの言葉は聞かれました。自分のうちではこれを「差別者」と変換して読むようにしてはおりました。 その後、ああこれ(差別主義)はracismの訳語表現で、(差別主義者とは)racistのことを言っていたのかとようやく腑に落ちましたが、それにしても何か妙な感じがしないでしょうか? 私は何でレイシズムが差別主義なんだ?と今でも思います。 差別主義という差別が目的なものがあるわけではないでしょう。差別は、racismの結果として(場合によって)現れるもの

    2006-02-26
    gabrigabri
    gabrigabri 2006/02/27
    たまたま私も今日同じことを考えていました。訳語としてどうなんだろうと 追;日本の"差別"は人種じゃない場合もあるのでそこがぽこっと抜け落ちて結果的に違和感があるのかなとか思いました
  • uumin3の日記-他者を代弁する

    「あなた(お前)にはこの気持ちはわからない」という台詞があります。当事者でなければわからない、ある意味類型化を拒絶するような体験は確かにあるものと思います。でも、これは拒絶の言葉でもあります。あるいはこの言葉で理解ができないと離れていく人も多いかもしれません。それでも時に人はこの言葉を使いたくなります。 それはこの言葉が他者を拒絶しつつも、その壁を乗り越えて自分に近づいて欲しいという願いの表明であるからではないかと思います。 通常なら乗り越え難い「視点の違い」を強調し、殊更「他者性」を意識させた上で、それでも「あなた(お前)」に(通常の)自分を乗り越えて、自分を変えて、「私」の目線を理解して欲しいという願いがどこかにあると感じるのです。ストレートな拒絶という場合もありましょうが、当に「わかりっこない」と思う相手に来この言葉は言うだけ無駄ですし。 そのニュアンスがあるとすれば、この言葉は

    uumin3の日記-他者を代弁する
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