「私は日本の勝利を望んでいる。何故ならば日本は我々のゲームを闘っているからだ」 合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルト。 日露戦争が講和に至る過程 日本海海戦での歴史的大勝利や、旅順陥落など終始戦争を優勢にすすめていた日本でしたが、国力の面でこれ以上の戦争継続は無理だと政府は判断。 駐米公使高平小五郎を通じアメリカに対し「中立の友誼的斡旋」を申し入れます。当時の合衆国大統領ルーズベルトはこれを承諾。ここから日露の和平交渉が加速して行きました。そして日本全権を託されたのが時の外務大臣小村寿太郎。 実際日露戦争末期になると日本陸軍の戦力が到底長期戦に堪えられるものではなく、陸軍首脳や元老たちは戦争の継続が危険であると判断を下し、講和会議では絶対的必要条件以外は譲歩するつもりで、その他の条件については小村の外交的手腕することに決定。 しかしそんな陸軍の危機的状態など知るべき由もない世論は、勝
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