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人生に関するgarakのブックマーク (9)

  • 羽なしテントウムシが誕生=世界初、害虫駆除に有用−名古屋大(時事通信) - Yahoo!ニュース

    名古屋大の新美輝幸助教らの研究グループは、羽のないテントウムシを世界で初めて作ることに成功した。害虫のアブラムシをべるため、テントウムシの一部は農業で利用されている。羽なしテントウムシが用いられれば、飛んで逃げなくなるので害虫駆除の効率が上がるという。 研究結果は21日付の英昆虫科学専門誌・電子版に掲載された。 新美助教によると、生物はリボ核酸(RNA)を介して、遺伝子から羽や手足を形成するなどの指令を出す。同助教らはテントウムシの羽を作りだす遺伝子を特定。その指令を運んでいるRNAを分解し、働きを失わせることで、羽なしテントウムシを作り出した。  【関連ニュース】 ・ 〔写真特集〕ミクロの世界 ・ 南北メダカの分岐、1800万年前=ヒトとチンパンジーより古く ・ 青森でも新型インフル=来日中のベトナム人高校生 ・ DNA1で解読可能=高速化、捜査に応用も ・ 論文優先

    garak
    garak 2009/07/21
    行動の自由はないが、食料には困らんぞ、ということかな。こういうニュースを単に「虫」の話と割り切って読めないあたり、人としてダメな部分に通じている気もするが。
  • ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性 - 内田樹の研究室

    午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。 村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。 世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。 いずれも人間にとって質的な営みである。 「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。 金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。 「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。 その基は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「えるものは何でもう」である。 村上春樹作品には「ご飯を

    garak
    garak 2009/06/26
    橋本治氏いわく<「現場に入ったら、まずゴミを拾いなさい」と即答された。 「プロデューサーの仕事はゴミを拾うことです。全部が見えている人間にしかゴミは拾えないのだから」> しびれるなあ。
  • HONEYEE.COM

    garak
    garak 2009/06/16
    孫引きだが、毎日のこの見出し。<人生は夕方から楽しくなる>いい文句じゃん。
  • Blueの雑記帳(2nd edition) 仲井戸CHABO麗市 monthly CHABO vol.11 CHABO SOLO 「COVER Night !!」 南青山MANDALA 2009.5.23

    幸運にも2日間とも見ることができました。 そこに居た200人にしか、感じられないフィーリングというものは、絶対にあるのです。 それでも4万2000人以上のファンたちにとって、 チャボの再出発を知る場が、ここのブログなどしかないのなら、書き留めておくしかないと思い、 Blueさんのを補足した形でリポートしたいと思いました。 Blueさんが、書いていらっしゃるので、蛇足かもしれません。 でも、取材上で今まで書けなかったことなどもあったので、それらを伝えることで、 何かしらをお届けできるとも思い立った次第です。 Blueさん、すみません、何度も登場させていただきまして(笑;) ただし、Blueさんもおっしゃってるように、忠実に書くことが、 そのまま現場の雰囲気を伝えることになるわけではないことは、 あらかじめご理解の上で、読んでいただけたら幸いです。 ◆◆◆◆ 開演。チャボの関係者も言ってました

  • Blueの雑記帳(2nd edition) 仲井戸CHABO麗市 monthly CHABO vol.11 CHABO SOLO 「COVER Night !!」 南青山MANDALA 2009.5.22

    仲井戸CHABO麗市 monthly CHABO vol.11 CHABO SOLO 「COVER Night !!」 南青山MANDALA 2009.5.22 清志郎がチャボを語る時、ファンとしての僕がそれを読んで、 " これはきついなぁ… " と思うことはこれまでに何度かあった。 それはそれで清志郎らしい面として納得して…ではあるけれど。 でも、チャボが清志郎を語るときのそれは、否定的であったり、マイナスなものであったり、 読んできつかったり悲しい思いを感じるようなものは、僕の知る限りは皆無だ。 僕等はたぶん " さみしさの入口 " な夜の曲り角あたりで出会った。 その夜のフィーリングは " 少年特有 " のものなのか、 " 特有な少年 " のものなのかはともかく、以後 " 僕等の日々 " な年月が始まった…。 思えば心の奥底に潜む、 様々な感情の叫びを " 唄 " というマジックで表

  • 永遠のバンドマン 湯川トーベン インタビュー2007 その音楽と人生  自由型の人生100 by フリースタイルライフ

    garak
    garak 2009/04/20
    <うちはなりゆきで家族になったからね(笑)今だに家族って何かわからないですね、バラバラだし(笑)ご飯を一緒に食べよう!とか全くないし(笑)><でも(略)それぞれが好きなことをやっていないと嫌みたいだね>
  • Bounce logo

    garak
    garak 2009/04/13
    ニック・ロウ万歳。昔、局で会えたとき、「What's So Funny 'bout Peace, Love and Understanding? って、いまでも思ってますか?」て訊いたら(青いなあ!)、一言「Sure!」と。いま思えばあれは流されたんだろうけど、この歌は普遍。
  • 140B劇場-京都 店特撰|特別編 「診察室には女医がいた。」

    特別編 「診察室には女医がいた。」 井上は、今でも医者になりたいと思い続けている。非常に丈夫な体をしていることが災いして、タフな生活を数十年続けているから医院に行く原因ぐらい生まれてくる。というより、井上は自分を診断する医者の戦闘値、言いかえれば印象や空気、説得力や手際、サービスやホスピタリティーを診断するのが趣味だった。そんな医者マニアの井上が十年前に出逢ったのが、戦闘値の高い女医だった。 診察室には女医がいた。 約十年前、顔も頭も含めた全身にジンマシンが発生した時、井上はあたふたとして四条烏丸近くの医院へ行った。待合室にサラリーマンらしき背広姿の客が数人いて、ツイードのジャケットを羽織っていた井上は幾分浮いていた。他の客の視線を気にせずにブツブツだらけの顔でベンチに腰をかけ、ブックスタンドに手を伸ばして井上は驚いた。イタリアのヴォーグと週間ベースボールマガジンがあった。他にも雑誌はあ

    garak
    garak 2009/02/16
    医院の待合い、診察室の女医、二度目の真智子、膝下のスクイズ外し、舌と生レバ、つまりは官能。……読ませるなあ。
  • エコ時代に飛躍する日本最後の“リヤカー職人集団”:日経ビジネスオンライン

    リヤカーは今から100年ほど前、オートバイのサイドカーと江戸時代からあった大八車をヒントに、日で開発された運搬用具だ。 第二次世界大戦後の復興期に需要が拡大し、東京の下町には専業メーカーが林立した。しかし、1960年代に入ると荷物運搬の主役の座を軽トラックやオート三輪に奪われ、需要は急減。隆盛を誇った工場も次々と閉鎖に追い込まれた。 そんな中、東京・南千住にあるリヤカーメーカー、ムラマツ車輌は、今も生き残っている。 今年で創業57年を迎える。年商は2億円で、在籍する従業員は職人歴20年以上の熟練工ばかり約10人。「この21世紀の時代に、職人をこんなに抱えてリヤカーなんてものをつくってるのは、日でうちだけだと思うよ」。社長の村松孝一はこう笑う。 屋台用や花屋向けなどさまざまな分野に残存者利益

    エコ時代に飛躍する日本最後の“リヤカー職人集団”:日経ビジネスオンライン
    garak
    garak 2009/01/20
    かっこええ。 >「しんどい、苦しい、貧乏。それでもやめない理由? こんな平和な時代に、そんな理由で商売を畳んだら親父に顔向けできないでしょ」
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