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政治と文学に関するgarakのブックマーク (3)

  • エルサレム賞スピーチ、再び。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2009.03.22 エルサレム賞スピーチ、再び。 (6) カテゴリ:ヒラカワの日常 いま書いているの校正が、ほぼ終了した。 いくつかのトピックは、全面的に書き換えたり、 あるいは、まったく別のものと入れ替えたりした。 一冊の図書においては、<流れ>が重要であると考えて、 惜しいものもあったが、敢えて削除したのである。 削除したものの中に、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチに 関する文章もあった。 以前、ブログで書いたものと重複する部分が多いが、 書き足したところもある。 それをここで公表しておくことにしたいと思う。 政治的な現在、文学的な立ち位置 さて、村上春樹についての文章で書を締めくくろうとしていたとき、その村上春樹がエルサレム賞を受賞との報があった(二〇〇九年二月十五日)。このエルサレム賞受賞に関しては、賛否両論があった。イスラエルによるガザ攻撃の直後ということもあり、かれがど

    エルサレム賞スピーチ、再び。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
    garak
    garak 2009/03/24
    <政治的であること> <同時に経済的であること> <人間は誰もそれらから自由にはなれない。しかしそうであるがゆえに、政治的な力学関係や経済合理主義的な思想に回収されることのない「個の思想」の立ち位置を>
  • 壁と卵 - 内田樹の研究室

    村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチが公開されている。 非常にクリスプで、ユーモラスで、そして反骨の気合の入ったよいスピーチである。 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」 そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。 Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how r

    garak
    garak 2009/02/19
    <卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方><弱さは文学だけが扱うことのできる主題> 付け加えるならロック・ミュージックもまた弱さを扱える器のはず(本来は)。L.Reed,B.Springsteen,清志郎,Joy Division,Radiohead...
  • 村上春樹のスピーチ。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2009.02.18 村上春樹のスピーチ。 (53) カテゴリ:ヒラカワの日常 村上春樹のエルサレム賞受賞に関しては、賛否両論があった。たとえば大阪の「パレスチナの平和を考える会」は、かれに受賞を辞退するよう求めていた。 賞を辞退すべしの論拠は、この賞をスポンサーしているのがエルサレム市であり、エルサレム市長から賞が手渡されるその式典に村上春樹が出席することは、イスラエルによるガザ虐殺の犯罪性を隠蔽することに加担することになるというものであった。 勿論、村上春樹の小説や、洩れ聞こえてくるかれの言動から、かれがガザ虐殺(こう呼ぶべきものだとおもう)のような行為に対して同意を与えてはいないということは明らかである。だからこそ、市民運動の立場から見れば、その村上さんが、無辜の犠牲者の敵が贈る賞を嬉々として受け容れるべきではないということになる。 この賞が「社会における個人の自由」を標榜しており、

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    garak
    garak 2009/02/19
    <小説家の仕事とは、この中途半端さに耐えながら、敵の中に届いていく言葉を探すこと> 実にいいことを云う。春樹さんも克美さんも。
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