引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…
村上春樹のエルサレム・スピーチについて二件の電話取材を受けたと書いた。 電話取材というのはむずかしい。 30分ほどしゃべったことを5行くらいにまとめられているコメントの場合には、「言いたいこと」が活字になっているということはほとんどない。 私が「言いたいこと」というよりは記者が「理解できたこと」が書いてある。 場合によっては記者が「言いたいこと」が私の名前で書いてあるということもある。 たぶん読む方もそれくらいに割り引いて読んでくれるだろうから、あまり硬いことは言わないつもりである。 それでも、わずかな字数では意を尽くせないことがある。 私がそのとき言いたかったことをここに書きとめておきたい。 それは「壁」というメタファーについてである。 もっとも一般的な解釈は「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者と見立てることである。 もちろん、村上春樹自身もその解釈を否定しているわけではない。
特別編 「診察室には女医がいた。」 井上は、今でも医者になりたいと思い続けている。非常に丈夫な体をしていることが災いして、タフな食生活を数十年続けているから医院に行く原因ぐらい生まれてくる。というより、井上は自分を診断する医者の戦闘値、言いかえれば印象や空気、説得力や手際、サービスやホスピタリティーを診断するのが趣味だった。そんな医者マニアの井上が十年前に出逢ったのが、戦闘値の高い女医だった。 診察室には女医がいた。 約十年前、顔も頭も含めた全身にジンマシンが発生した時、井上はあたふたとして四条烏丸近くの医院へ行った。待合室にサラリーマンらしき背広姿の客が数人いて、ツイードのジャケットを羽織っていた井上は幾分浮いていた。他の客の視線を気にせずにブツブツだらけの顔でベンチに腰をかけ、ブックスタンドに手を伸ばして井上は驚いた。イタリアのヴォーグと週間ベースボールマガジンがあった。他にも雑誌はあ
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