タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

キャラクター論に関するgauquiのブックマーク (2)

  • 日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part2 | miki okubo

    2012年5月13日(世間は日曜日)、この日の朝は早い。京大の加藤くんの発表が午前10時、9時半には機材チェックで集合。 この日一番ドキドキしたのは、個人発表のレジュメが足りなくなって、ファミリーマートに走った時だ。準備しているうちに、要旨に載せた作品分析の内容が思いっきりはみ出し、やむなく長々とレジュメに載せた部分があったし、心を込めて作ったレジュメでもあった。それに、せっかく日で発表できる!!とワクワクやってきて、コピー代をケチってレジュメが足りないなんて、色々とおわってる(と思う)。せっかくファミマに行ったのに、ホワイトチョコ&クランベリークッキーを買い損ねたことには後悔の念が絶えない。 「なぜ人は外国のファッションに憧れるのか」は、二日目のシンポジウムのテーマである。コーディネートの高馬さんとは、スペインのコルーニャの学会で二人でフランス語で発表したという楽しい思い出がある。今回

  • Kendall L. Walton "Mimesis as Make-Believe :On the Foundations of the Representational Arts" - logical cypher scape2

    ウォルトンの「ごっこ遊び」論 小説や絵画といったフィクション作品=representational artsをごっこ遊びとして捉えて分析する。 まず、想像、特にごっこ遊び的な想像というものが取り上げられる。この場合の想像というのは自由奔放に思い描いてくことではなくて、取り決めに従うような想像。例えば、おままごとであれば、泥団子がごはんであると想像しなければならない。 このような想像しなければならないことを「虚構的真理」とか「フィクショナルである」とかいう。そしてこの虚構的真理を生みだすものを小道具と呼ぶ。 小説や絵画などは、そのような小道具の一種である。 そうした作品を鑑賞するというのは、そうした作品を使ったごっこ遊びに参加するということである。こうしたごっこ遊びへの参加という観点から、フィクション作品に対して覚える感情の問題や悲劇のパラドクスへの説明を与える。 また、こうした作品がどのよ

    Kendall L. Walton "Mimesis as Make-Believe :On the Foundations of the Representational Arts" - logical cypher scape2
  • 1