世界文学史上、奇書を探すなると真っ先にその名を挙げられるのが、十八世紀イギリス文学の精髄たる、ローレンス・スターンの『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見(以下、『トリストラム・シャンディ』)』である。 語り手たるトリストラム・シャンディの自叙伝であるという体裁にもかかわらず、脱線に脱線を重ねていつまでも話が進まない本筋、各巻の脱線ぶりをグラフのような形で表した部分、ページがまるまる白紙の部分、逆にまるまる真っ黒の部分、極彩色で塗り込められた部分(これは現在では白黒での採録で済まされる版が多い)――などなど、とにかく小説として史上最も型破りな作品として名高い。 ただ……これは、以前『ドン・キホーテ』においてなぜ風車の場面が名高いのかについて書いたときにも感じたことなのだが、『トリストラム・シャンディ』における破格の形式が名高いのも、要するに、通読した人がほとんどいないからなのではな
ヴァイドマンが頭を白くうやうやしい細布で包帯され、そしてさらに花のノートルダムの名前が知られた日と同じような九月のある日に、ライ麦畑のなかに墜落して負傷した飛行士といったいでたちであなたたちの前に姿を現したのは五時の夕刊だった。輪転機によって増殖された彼の美しい顔は、パリとフランスに、人里離れた村々のもっとも奥深いところ、城と茅屋のなかにまで襲いかかり、悲嘆に暮れるブルジョワたちに、彼らの日常生活のそばをうっとりするような殺人者たちがかすめていることを、彼らはブルジョワたちの眠りにまでこっそり持ち上げられ、何らかの専用階段を通っていまにもその眠りを通り抜けようとしているのだが、彼らに対するひそかな同意を示すように、階段は軋む音ひとつ立てなかったことを明かしているのだ。彼の写真の下では、その犯罪が曙光に輝いていた。第一の殺人、第二の殺人、第三の殺人、それは第六まであるのだが、それらの殺人は彼
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