たとえば、人が「私は映画が好きだ」とか言う時、そこには「面白い映画もあれば、つまらない映画もある。面白い映画を観たら心は踊るし、つまらない映画を観た時はとんだ無駄な時間を過ごしたぜと腹も立つ。そして私はそのうえで映画が好きで、これからも映画を観るのだろう」みたいなニュアンスが一定含まれているだろう。そしてこの前提は映画に限らず、小説にしても漫画にしても演劇にしてもお笑いにしても落語にしてもアートにしても今現在もそのような前提が一定担保されているだろうと体感的には思っている。 ブログもかつてはそのような存在であった。「一人の生身の人格が家でぼそぼそーっとだらだらーっと思ったことを書き綴って、それをインターネットを介して不特定多数の第三者に公開する」という一連の営みが、一つの表現様式として、その様式それ自体が愛されていた時代がたしかにあったよな、と僕は考えるのだ。 しかし、それはかつての話なの