【パリ=林路郎】フランス・ブルボン朝を開き、「ナントの勅令」で名高いアンリ4世(在位1589〜1610年)のものと見られる頭部の鑑定を続けていた法医学者らのグループが15日、「本人と確認した」と発表した。 アンリ4世は、カトリック教徒に殺され、他の王と同じくパリ郊外のサンドニ教会に埋葬された。だが、仏革命後に反王党派勢力が棺を開けて遺体を庶民用墓地に放置。何者かが遺体をばらばらにした。 19世紀にドイツ貴族が保有し、20世紀初頭にはパリでの競売で落札されるなど“出没”を繰り返したが、死後、長期間が経過しているため、「本物」と信じる人はほとんどいなかった。 鑑定は、50年以上も所持していたという男性(84)が依頼した。頭髪や髭が残り、王が付けていたピアス跡が右耳にあり、暗殺未遂の刃物の傷跡が上唇部分の骨に残っていることが決め手となった。 アンリ4世は、宗教戦争で新教徒軍の首領として活躍した後