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文化と俺の自分語りに関するgenovese33のブックマーク (2)

  • 1995年についての考察

    宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench 朝七時に目をさまし、いままで日の授業の準備をしていました。うーん、もっと語るべきことがあるんじゃないのか、先週、サブカルチャー論に来た方(学生ではない方)から頂いた『村崎百郎の』もじっくり読めなかったし、「90年代サブカル」については語ることがもっとあるはずだ。 宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench しかしながら、90年代に入ってサブカルチャーの世界というより演劇にばかり関わっていた記憶がある。その時代をたしかに過ごしたのだから知らないわけがないのに、遠くのものとして、その時代の「ある側面」を見ていたのだな。

    1995年についての考察
    genovese33
    genovese33 2011/01/22
    1995年は世間的には耳目を震わす出来事ばかりだったが、個人的にはどん底の年だったなあ。彼女に振られ、人生で初めて鬱を経験した年である。反面、パソコンに本格的に触れ始めたのもこの年だったりする。
  • 国母に群がるタダ乗りな人 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    国母の件について。 この話ってつまるところ、「公の場にはどんな服装が好ましいか?」という個人の価値観に集約されるのよね。で、個人の価値観故に人それぞれバラバラであり、それぞれが正しさを主張する。それぞれに正しいとすべき理由があり、その理由が正しければ、服装に対する結論=国母の服装アリナシも自動的に正しい。 でまた「正しい」と書いたけども、こんなのは個人の勝手なのよね。それぞれがどう感じているかというだけで。だからこそ価値観なわけだけど。この話の正しさは当人にとってのみ正しく、他人に対しては正しいとは限らない。他人の意見が正しいと感じる場合は、単に自分の価値観と同じであるか、似ているか、あるいはそういう思い込み・勘違い・とりあえずそういうことにしておけのどれか。 ま、要するに非科学の領域の話なわけね。反証可能性がない話。科学的検証ができない。再現可能性もないしね。類似の事例があった場合に同じ

    国母に群がるタダ乗りな人 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    genovese33
    genovese33 2010/02/16
    twitter上で「全力で応援します!」って言っちゃった自分もおそらくはタダノリ人間。アレはちょっと痛かったな。
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