首都ヴィリニュスからほぼ200キロ北、 ラトビアの首都リガへ向かう国道筋にそれはあった。 芝生の台地にこんもりと盛り上がった十字架らしい群れ、 それは遠目にも幻影を見るような異様な光景でもあった。 これぞまさしく「祈りの聖地・十字架の丘」。 リトアニアの国民はほぼ全数が敬虔なカトリック信者、 「十字架の国」とも呼ばれている。 その民族の、誠実な信仰心と、 芯の強さと内なる激しさが守り通した貴重な市民の遺産、 それがこの「十字架の丘」である。 そもそも この地に初めて立てられた十字架は14世紀? 但しそれは定かではない。 史実として語り継がれた伝説は、 200年前にさかのぼる。 リトアニアとポーランドの共同国家が分断され、 リトアニアがロシア領に併合されて以降、 この丘に多数の十字架が立ち始めた。 リトアニアは過去2度ロシア・ソ連に併合、進攻されている。