僕の祖父、伊藤冨士雄は、大正時代に吉原などの苦界に身を沈めていた女郎たちを1000人近くも救い出した闘士だが、計算の力も強い人だったようだ。 そろばんをパチパチはじいているところへ『娼妓解放哀話』(中央公論社刊)の著者、沖野岩三郎さんが訪ねたそうだ。 「『何の計算をしているのですか?』と聞いたら、伊藤君はこんなことを言った。『実に驚いた話です。今まで僕のところへ女郎を廃業したいからと言って、救済を頼みにきた娼妓(当時は公認されていた売春婦、貧しいが故に親に売られた女たちのこと)の中の158人に樓主(娼妓を買い取った雇い主)に樓主との貸借関係がどうなっているかと聞いても、正確に自分の借金がどのくらいあるのか答えられたものはわずか70人だけでした(貧しいが故に小学校にもろくに通えなかった無学な女たちだった)。 この70人を廃業させたときに、詳しくその貸借関係を調べてみると一人分の前借金の平均は