News Corp is a network of leading companies in the worlds of diversified media, news, education, and information services.
理化学研究所(理研)発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の網膜再生医療研究開発プロジェクトリーダー・高橋政代氏は17日、東京都内で講演した。その中で、高橋氏らの研究チームが先月、iPS細胞から作った網膜の色素上皮細胞を滲出型加齢黄斑変性の患者へ移植した世界初の手術にこぎ着けられた理由について、「きれいなiPS細胞とそうでない細胞を見分けるテクニカルスタッフの目が的確だった」と振り返った。今後、iPS細胞の大量生産につなげるためには、この“目利き”を育成していく必要があるとした。【丸山紀一朗】 講演する理研の高橋氏(17日、都内) 【関連記事】 iPS細胞で世界初の手術(2014/09/16) 「患者の皮膚から作った多くのiPS細胞の中には、きれいな細胞とそうでない細胞とがある。しかし、われわれのチームには長年の経験があるテクニカルスタッフがそれを見分ける目を持っていた。そこがポイント
1996年の国連人権委員会で、決議案を準備したのはカナダ政府である。委員会の本会議場ではクマラスワミ報告書を絶賛する政府発言が続いた。その後、NGOも続々と絶賛発言をした。その間、別室で決議案の準備が行われていた。カナダ政府の決議案、それに対する各国政府の意見が寄せられていた。ただし、そこにはNGOは入れないので、私は詳細を知らない。いくつかの政府から又聞きした程度である。 決議案は、最初は一括でwelcomeだったのを、日本政府があくまでも拒否した。そうなると、多数決で決めるか、それとも、表現を変えてコンセンサスを得るかの2つの選択肢になる。当時は、人権委員会ではコンセンサス重視であった。安保理事会なら、見解が分かれた場合に、最後は決議に持ち込んで、数の勝負になる。しかし、人権委員会は、特に90年代はコンセンサス重視であった。人権問題で、数で押し切るのは、それこそアフガンとか、イラクとか
武田薬品工業は、ミドリムシを使った食品やジェット燃料の開発で知られるバイオベンチャーのユーグレナと包括提携契約を結んだ。ミドリムシを配合したトクホ(特定保健用食品)や栄養機能食品などのヘルスケア食品、一般用医薬品などの共同開発を主眼とする。 その第1弾としてミドリムシに大麦若葉、アシタバ、ケールを配合した健康補助食品「緑の習慣」の販売を武田薬品が開始した。当面はタケダ通販ショップのみでの取り扱いで、初年度売上高1.35億円、3年後5億円を目指す。第2、第3弾の商品開発もすでに視野に入っている。包括契約の詳細は公表されていないが共同研究でもあり、ユーグレナの収益予想に大きな変動はない見込み。 いずれはアリナミンのようなブランド商品に 武田薬品のヘルスケア事業の売上高は728億円(2014年3月期)あり、その中ではごく小さなスタートだ。だが、「ミドリムシの持つ59種類の栄養素や、パラミロンとい
(CNN) 10万年前にオーストラリアに住んでいたカンガルーの仲間は、ウサギのような顔で、人間のように直立歩行をしていたことが最新の研究で明らかになった。 オンライン科学誌「PIOS ONE」に掲載された「絶滅したジャイアントカンガルーの移動」という論文によれば、身長は2メートル超で体重250キログラムという巨体だったため、うまく跳べなかったらしい。約3万年前に絶滅した。 研究チームを率いた米ブラウン大学のクリスティン・ジャニス教授(進化生物学)は「歩いていたのでなければ、あれほど体が大きくなるはずがないと思う」と語る。 論文によれば、骨を生体力学的に分析した結果、この巨大なカンガルーの仲間は2足歩行をしていたと考えられるという。 「生体力学的にみてゆっくり跳ぶのが不可能だったとすれば、大きな動物であればなおさら(普通のカンガルーのように4本の足と尾を使った)5足歩行をするのは容易ではない
続日本紀に書かれた記録 続日本紀 。日本書紀の続編のような、 大和朝廷オフィシャル記録 だ。 オフィシャル記録なので、この場所で飢饉が起こったので、米を分け与えたとか、この階級のこの人にこの役職を与え、この階級につけたとかの、大和朝廷の政治的な記録が、日記調で延々と書かれている。 大和朝廷内なので、外交以外の国外事情は出てこない。 ただ、読んでいくと1箇所、突然ワールドワイドな部分が出てくる。 それは、天平8年(736年)、 聖武天皇 の時代の記録。 中国は、唐の 玄宗 が皇帝の時代。最盛期の頃だ。 記載は2箇所に出てくる。 1箇所目は、 8月23日 遣唐副使・従5位上の中臣朝臣名代らが唐人3人・ペルシア人1人を率いて、帰国の挨拶のため天皇に拝謁した。 2箇所目は、 11月3日 天皇は朝殿に臨御し、詔して遣唐副使・従5位上の中臣朝臣名代に従4位下を授けた。死没した判官・正6位上の田口朝臣養
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く