元阪急監督の上田利治氏が死去 2017年7月2日5時50分 スポーツ報知 1975年、広島を破り、初の日本一となり山口(右)と抱き合って喜ぶ阪急・上田監督 阪急(現オリックス)、日本ハムなどで監督を務めた上田利治(うえだ・としはる)氏が死去したことが1日深夜、分かった。80歳だった。現役でのプレーは短かったが、コーチ、監督として優れた手腕を発揮。阪急では1975年から3年連続日本一に導くなど、黄金時代を築いた名将だった。 上田氏は徳島・海南高から一般入試で関大に進学。当初は野球を続けるつもりはなく、「法律の道に進もうと思って」法学部に入ったが、野球部には剛球で知られた村山実氏(故人)の球を受けられる人材がいなかったため、高校時代に捕手としてプレーしていた経験を買われて入部。黄金バッテリーが誕生した。 大学卒業後、1959年に広島入団。だが、右肩の故障などもあり、61年に現役を引退した。プ
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