タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/humon007 (1)

  • 【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~日清戦争・十五年戦争~ - 語られる言葉の河へ

    (承前) (4)「分島改約」という主権の放棄 (a)1879年6月、グラント・米国前大統領が清朝政府からの依頼に応じ、日清間の調停を行ってから事態は変化した。翌1880年8月18日から同年10月21日まで、北京で日清間交渉が行われた。 (b)琉球問題での譲歩、別方面での利益獲得・・・・をグラントから勧められていた日は、李鴻章の意向を探るべく竹添進一郎を事前に派遣。同年3月26日に竹添・李会談が実現した。竹添は口上書を提出した。 ①琉球南部諸島(先島諸島)が日を領有すると台湾中国の属国)を脅かそうとする勢いがあるように見える。李鴻章が争っている理由がここにあることがようやく分かった。 ②日に西洋と動揺の内地通商権を与えるなら、日も<琉球の宮古島と八重山島を中国の領土と定めて、両国の国境線を引いても構いません>【「日竹添進一郎説話」】。 ③李鴻章はしかし、②を「ドサクサ紛れの要求」

    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2013/02/07
    尖閣帰趨を一挙に解決したのは日清戦争ではない。終戦前に日本は尖閣諸島の編入手続をしている。 清国はそれにクレームをつける機会はあった。清末知識人の領土意識は「乾隆期の版図」。尖閣ははいっていない。
  • 1