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クオリアに関するginyuuのブックマーク (29)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: グレン・グールドが、バッハのゴルトベルク変奏曲を弾く時間

    グレン・グールドが、バッハのゴルトベルク変奏曲を弾く時間は、その流れ自体が一つの奇跡のようだ。 アリアから始まり、30の変奏が挟まり、再びアリアで終わる。 生命そのものを象徴するように、最初があり、いろいろな変化があって、再び最初に戻る。そうやって、円環が閉じる。 この演奏において、グールドは、最後のアリアを弾き終わると、祈るように手を合わせ、やがてだらんと垂らす。その、まるで人類以前の人類のような振るまいを最初に目撃したとき、私の中を戦慄が走った。 そして、その戦慄は、今も止まない。 http://bit.ly/9f9HmI Gould plays Goldberg Variations var.26-30 & Aria Da Capo

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本語で表現している私たちは、いわば「ローカル・リーグ」の中で闘っているのであって

    が「ガラパゴス化」したことの一つの要因は、日が、それなりに住みやすい国だったということを意味する。国土は南北に長く、多様な自然を誇る。四季は変化に富み、国土はさまざまな産物に恵まれている。人口も多く、それなりに大きな市場がある。このような幸運な状況の下で、日国内で、日国内の文脈の下で努力を続けても、それなりに報われることができた。 「日語」の恵みも大きい。もともとの「大和言葉」に加えて、中国からの外来文化である「漢語」をたくみに取り入れた、すぐれた言語。もともと文字を持たなかった日人が、漢字を変形して「ひらがな」や「カタカナ」を作った。明治には、西洋の思想を取り入れて「自由」「哲学」「権利」「科学」などの「和製漢語」をつくった。その結果、自然科学や哲学、経済学、社会学といった近代的学問を、日語で行うことが可能になった。近年では、英語を中心とする外来語を、カタカナ表記で取り入

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫は、どこで何をしているのか?

    江戸時代には、身分制度が現代よりもきびしい形で存在した。福澤諭吉が、「門閥制度は親の敵でござる」という激しい言葉を残したように、親がどのような身分で、何をする人かということで、人に何ができるかということもほぼ自動的に決まってしまっていた。 志があり、学問も熱心に修めたのに、生まれのために取りたてられることのなかった自分の父親を思い、「門閥制度は親の敵でござる」と激した福澤諭吉の真情。咸臨丸に乗ってアメリカに渡った際、福澤諭吉は周囲のアメリカ人に「初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫は、どこで何をしているのか?」と聞いた。ところが、誰も知らないし、興味も持っていない。福澤諭吉は、大いに驚いた。 日では、初代将軍の徳川家康の子孫がどこで何をしているのか、誰でも知っている。江戸で将軍をやっている。しかし、アメリカでは、初代大統領の子孫に、特別なことは何もないらしい。このエピソードで、福澤は、

  • 茂木健一郎 クオリア日記: あの日と同じような気分がどこかになければ

    青春時代は、とにかく大量の文字を 書き綴っていたものだなあと思う。 インターネットの発達した今とは全く 違うと思うのは、 誰かに見られたり、公開されたりする ということがまずは考えられない という点である。 胸の中に熱いマグマがあり、 それが出口をもとめてさまよっている。 しかし、その結果吐き出されたものは、 とてもひとさまに見せられるようなもの ではない。 痛々しい。 しかし、あのような時代が あって良かったと思う。 古いノートの一つを見返していたら、 23歳の時(法学部に学士入学していた時) に書いた日記の断片のようなものがあった。 大学時代の親友、塩谷賢の人生の 転機に接して、深く心を動かされた ということが書いてある。 このメモを発見するまで、そんな ことがあったということを すっかり忘れていた。 人間の記憶などというものは、 そんな程度なんだろう。 1985年12月13日のノート

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 茂木には何にもないからなあ

    フセイン元大統領は自分は 現職の大統領であると主張しながら 死んでいった 正義だと言って人間がやっていることの 中には、随分残酷なことがたくさんあるんじゃ ないか。 イギリス、Channel 4のコメディ Peep Showの 第二シリーズの第二エピソードには、 ナチを信奉する人種差別主義者が出てくる。 主人公である優柔不断のマークは、 最初はふつうの男だと思って仲良くしているが、 そのうち、とんでもない差別意識を持った 男だということがわかってくる。 最後に、マークがチクって、 差別主義者はクビになってしまうのだが、 そのあっさりとした引き際に、 視聴者は、卑劣なのはむしろ「正義の味方」 だったはずのマークの方じゃないかと 思わされる。 フセインや人種差別が良いと言っている わけではなく、 ある一つの文脈に固執するところからは、 良質のコメディも、物のヒューマニズムも 生まれないと言い

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 巧みに隠されている

    ここのところずっと考えていることの 一つは、「起源問題」で、 一般的に重要なことは言を待たないが、 特に、なぜそれが「隠蔽」されているのか ということに関心がある。 『脳と仮想』でも書いたように、 ハリー・フーディーニが 脱出マジックを考えたきっかけは、 精神病院の閉鎖病棟の中で拘禁 された患者を見たことである。 感動的なエピソードだが、 エンタテンメントという枠組みの 中からは巧みに隠されている。 起源問題は、私たちを不安にさせる。 漱石の『門』の中で老師が主人公の宗助に 問う「父母未生以前の面目」。 自分自身の由来するところは、 もし直視すると たじろがずにはいられない なにものかをはらんでいる。 性的なことがタブーとされるのも、 わいせつということもあるが、 実は自分自身の起源自体にかかわる ことだから隠蔽しようとするのではないか。 起源問題は、もちろん、クオリアにもかかわる。 そし

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 不可能なるがゆえに

    東京芸術大学の図書館で 江村哲二さんと 音楽の話をした。 西洋音楽には、対位法や和声法 など、 さまざまな音楽理論があるが、 肝心な音楽の美しさや魅力についての 理論はなかった、と江村さん。 その美しさは、神からの贈りものであると 考えられてきたと。 解き明かすことが不可能がゆえに、 強く惹きつけられる、そのミステリー。 池上高志が、授業の中で 「科学の深遠な理論は、たいていの場合 不可能性の証明である」という趣旨の ことを言っていたことに重なった。 「偶有性を作り込む」という大切な キーワードが立ち上がった。 ゲーデルの不完全性定理、 すなわち、自然数論を含むような公理系が もし無矛盾であれば、その中に証明も反証も できない命題が存在するという定理も、また、 不可能性を突きつける。 筑摩書房の伊藤笑子さんや サントリー音楽財団の佐々木さんを交えて のランチ、 白のグラスワインの銘柄をソム

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 白魔術

    竹内薫の日記を読んで、イラン人の親子の 退去の問題について、何かコメント しようと思ったが、やめた。 竹内薫が、怒りを表明する。 わが親友に対する信頼が深まる。 最高裁判所、および件の法務大臣の判断は 私のコモン・センスと違う。 しかし、日の法の実務家にはそもそも コモン・センスを尊重する風土がない。 それにしても、最近の政治状況はどうか。 小泉純一郎首相の時には、 インテリの間でも支持する声が 聞こえたが、 今の首相を支持する人は周囲には ほとんど見られない。 政権から 伝わってくるのは、弱者や少数者に 対する想像力ではなく、 傲慢さと無知と偏見のいやなグルーヴ だけである。 これでは、まともな感性を持った 人が離れていくのは当然だろう。 ボクは白魔術の人間でいたいと思う。 モーツァルトのように、あくまでも ポジティヴな感情、志向性を発して 行きたいと考える。 Steve Jobsのス

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 四門出遊

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 歴史を忘れる者は

    羽生善治さんと対談する。 途中、柳川透が来た。 アメリカ行きの飛行機のチケットを 研究所に取りに立ち寄る時間がなくなって しまったので、 柳川に持ってきてもらったのである。 羽生さんの話が聞けるという「ボーナス」 付きである。 記憶の話が中心になった。 「羽生さんは、やはり谷川さんが最大のライバル という感じですか?」 「そうですね、何となく感性が合うというか、 他の人との間では起こらないようなことが 起こる、という感覚はあります」 「今までに、どれくらい指しているんですか?」 「そうですねえ、160局くらいでしょうか?」 「どんな感じで対局されているんですか?」 「今までにあったパターンは、二度と起こらないように 気をつけて打っているんだと思います」 「谷川さんと指した対局は、全て覚えて いるんですか?」 「それは、当然です。それで、前と同じパターン でやっているのでは、谷川さんと指して

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 思い切りgeekで、space cadetでいいんだけど

    時が経つにつれて考えることは いろいろ変わっていくけれども、 今、「人生の目的は何ですか?」 と聞かれたら、 「学習すること」 と答えるかもしれない。 open-endedな人間の認知過程には 終わりがない。 「気付き」のメタ認知を通して、 人間はどんどん変わっていく。 学習という視点から見ると、どんな経験も 楽しめる。 一生、完成型などない。 創造的と言われる活動分野においても、 99%は学習である。 残りの1%に独自性のインスピレーションが 宿る。 BBCのサイトで、A brief history of infinityという podcastを見つけた。 オーストラリアの物理学者Paul Daviesなどが 無限について語っている。 イギリスのこの手の番組の質は高い。 聞いていて齟齬がなく、気持ちが良い。 Part Iで、「宇宙はビッグ・バンによって 始まりました」 と言った後、 ぶっ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 珍しい魅力的なキノコ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 超絶技巧であることは間違いない

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 容易に見通すことのできない

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 人類の根源的なパッション

    『プロフェッショナル 仕事の流儀』 の収録は、 花火師の野村陽一さん。 野村花火の三代目として家業を 受け継いだが、 最初は技術もノウハウもなく、 その花火は「闇夜のカラス」 と酷評されたという。 それから奮起して 精進したが、 その道筋は並大抵のものではなかった。 花火は、技法を 自分の弟子以外には 容易に明かさない「秘伝」の 支配する世界。 野村さんは 自分で試行錯誤するしかなく、 大会で優勝するまで、 19年間は鳴かず飛ばずだったという。 その長い不遇の時代を どうして乗り越えられたかと言えば、 花火の虜になった、 魅せられたからとしかいいようがないと 野村さん。 火というもの、それが放つ光 に対する人類の根源的なパッション が、花火というものの背後にあるということが 納得できた。 有吉伸人チーフプロデューサー (ありきち)が、 「スタジオのドキュメントとして 出色の出来でした」 と

  • 茂木健一郎 クオリア日記: √2/4

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 魂の交わりと孤独をどちらも

    ふと思った。 朝から晩まで、「どの仕事のために 今これをやっているのか」と文脈付けられた ことばかりじゃないか。 文脈から自由な、勝手に魂が動き出すような 時間を確保しないと、やって られないと思って、即日実行したい! と思いながら歩いていった。 誰にも会わずに、一人で閉じこもるのは 得意なはずで、 どんな地下室の手記でも書いて見せるから、 さっそく・・・と思って予定表を見ると 何やらびっしり文字が書かれており、 真白き大地はどこにもない。 しかし、こういう時に現実とは異なる 仮想を想像することは昔から得意だったのであって、 空想の中ではコンサートをやめてカナダの 湖の畔に一人住むグレン・グールドである、 と思うことにした。 午前。 量子重力や情報幾何、ツイスターの 専門家であるDorje Brodyと、Julian Brody と会って議論した。 二人とも香港生まれでJulianなどは

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 空白の密度

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 調子外れ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 魂の清涼剤

    現代において、明示的な意味で 人類の知の全てを引き受ける、ということは とても不可能だ。 たとえば、脳科学という科学の一分野 だけをとってみても、 そこで得られている知見を全て フォローするなど、できる仕業ではない。 生ける百科全書派は存在しないのだ。 だから、世界全体を引き受けるという 作業は、「感情」の部分でやる しかない。 自分という存在が、137億光年の 大きさを持つ宇宙の中心にいるところを 思い浮かべ、 その時のうわーっという 感情を忘れずにいる。 世界の中に、ありとあらゆる知が 浮遊し、溶け合い、拡散していく様を 思い浮かべる。 そのような時にわき上がる感情を 忘れずに生きていることで、 専門バカにもオタクにも ならなくて済むのではないか。 そんな議論を、ここのところ「ちくま」の連載 「思考の補助線」上で展開している。 その「ちくま」担当の増田健史から留守電。 口調から、これは