本日付けの日経新聞に「題目に託した祈りの詩篇」と題した記事があった。山折哲雄の一文だ。宮沢賢治は37歳で没した(1933年)。死後、常に携行していた大きなトランクの中から黒い手帳が見つかり、そこに書かれていたのが「雨ニモマケズ」であった。胸を病み、命のともしびが揺らぐ日々にあって、詩が生まれ得る事実に感動を覚える。詩の末尾にマンダラが描かれていることは以前紹介した。 ・雨ニモマケズ~宮沢賢治~ 青空文庫のテキストにはそこまで収められている。ところが山折によれば、手帳の3枚目にもマンダラがあるとのこと。更に20枚ほどめくったところに「雨ニモマケズ」と記されているそうだ。 なぜなら「手帳」を虚心に読んでいくと、その詩句全体が「南無妙法蓮華経」によって前後を護(まも)られているような形で書かれていることに気づいたからである。そこからは賢治の祈りの声がきこえてくるからだ。 山折は詩の前後で題目を唱