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ブックマーク / chuukyuu.hatenablog.com (2)

  • (222)ディック・リッチ氏とのインタヴュー(4) - 創造と環境

    Wells Rich Green 社 共同経営者兼コピー・チーフ(当時) このインタヴュー記録は、ブーレン別冊『アート派広告代理店 その誕生と成功』(誠文堂新光社 1968.10.15)からの抜粋である。手元のメモをくって、昨日までの3回にわたって公開したものの2年前---1966年11月の渡米で行ったものとわかる。'66年といえば42年前だし、ウェルズ・リッチ・グリーン(W・R・G)社創業後の7ヶ月目である。リチャード・リッチ氏が忙しい中、よくまあ、時間を割いてくれたものと、いまになって感謝している---というより、同年輩の無名の日人コピーライターが、臆面もなくインタヴューを申し込んだものだと、内心、無鉄砲だった当時を振り返っている。のちには、親友の仲間入りしてくれたのだが。そのこととは別に『アート派広告代理店』でとりあげた8社の現在も、いつか報告する義務も背負っているとの感を意識して

    (222)ディック・リッチ氏とのインタヴュー(4) - 創造と環境
  • (4)オーバックスの広告(1) - 創造と環境

    DDBの創業時、バーンバックさんは、グレイ広告代理店でのオーバックスの広告をいっしょにつくっていたデザイナーのポール・ランド氏でなくロバート・ゲイジ氏をなぜ選んだかは、[第1部 DDBの誕生]の…、「考える友人…ポール・ランド」「選ばれたのは、ゲイジだった」 で解説しました。↑クリック ここでは、そのわけを、もっと視覚的に納得いただきましょう。 「オーバックスの服を着て街を行けば…」 というヘッドラインに、ランド氏がやったデザインは、ポンチ絵みたいなイラストレーションでした。 師・亀倉雄策さんが編んだ『ポール・ランド作品集』は不勉強で未見ですが、このオーバックスの広告をみて、思い出したのは、亀倉さんが昭和30年前後に毎月手がけていらっしゃった、いまはないゼネラル電機のハウスオーガン(電気店向けPR誌)の表紙でした。その後の骨太の作品(東京オリンピック・ポスタなど)からは想像もできない、ポー

    (4)オーバックスの広告(1) - 創造と環境
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