タグ

ものづくりとlifeに関するgitanezのブックマーク (20)

  • 2009-08-15:西洋家具の美-18世紀の英国を中心に-: DESIGN IT! w/LOVE

    展示してあったものは18世紀の家具が中心で、なかには17世紀のものも混ざっていました。日でいえば江戸時代の前・中期にあたる時代のものになりますよね。 椅子やチェストなどは比較的保存状態もよいものでしたが、風雨にさらされたはずの扉などはだいぶ朽ちて装飾も削れていました。 それでも、それが味になるのが木材のよいところではないかと感じます。ちょっとわかりにくですが、このパンフレットに載った教会用ベンチなども装飾が削れかえているところが、非常によい雰囲気になっています。 日の古い家具や朝鮮・李朝の家具などのもつ繊細さはありませんが、逆にその幾何学的モチーフで形作られた佇まいには厳格な思考や信仰の積み重ねを感じさせる力強さがあります。 「西洋では英国のものを、東洋では朝鮮のもの」として、英国の家具を高く評価していた柳は、西洋の家具について次のように述べています。 「時代をゴシックあたりまで遡らす

  • うつわの裏の多様性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 以前、「模様を生む力の衰え」でも紹介しましたが、日の器のソロエは、ウェッジウッドの器のようにセットで文様すべてが揃うようにはできていません。一見揃っているように見えても文様も形もバラバラだったりする。松岡正剛さんは「不揃いなのにソロイになっている」という言い方をしています。そして、それが「日の方法の秘密」だともいっています。 ところが、それに続けて松岡さんはこうも言います。 「現在の日はこれがうまくできなくなっている。世界のスタンダードに合わせて、何もかも同型・同質に揃えようとしすぎているし、ミニマルなシンプル・デザインが流行して、文様の扱い方が超ヘタクソです」(『神仏たちの秘密―日の面影の源流を解く』)と。 多様性を失った生活環境僕はこの「模様を生む力の衰え」、

  • それでも、デザインの核は装飾である。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すこし間が空いてしまいましたが、「デザインは装飾である、デザインする人に必要なのは美的センスである」というエントリーを書いたら、「装飾はデザインという行為の一手段に過ぎない」とか、「こればっかりは聞き捨てならない。『装飾』という言葉は違うと思う」といった反論がいくつかありました。 まぁ、ちょっといきなりあれだけを読むと誤解されるかもしれませんね。 でも、そもそも、どうして「装飾」という言葉にそんなに敵対視した感情が起こるのかがわからず、ちょっとびっくりでした。なぜ「装飾」という言葉をそれほどまでに拒否し、「一手段に過ぎない」なんて地位に落とし込めてしまうのか。「装飾」というのは、そんなにも嫌悪の対象になるものであることが驚きでした。 デザインとは問題解決? はい。もちろんで

  • 在り続けてほしいもののために、自分ができること - 雪景色

    突然だが、Jリーグの清水エスパルスが好きだ。よく試合を観に行くようになったのは1998年ごろ。少ししてから後援会に加入して、以来ずっと後援会員だ。そんなに急激にのめりこんでしまったのか。もちろんとても好きだから入ったのだけれど、理由はそれだけじゃなかった。 エスパルスは、経営母体を持たない市民クラブとして誕生した。けれど97年、当時の運営会社エスラップ・コミュニケーションズの経営が破綻し、消滅の危機に陥ってしまう。それを知り、クラブの存続を強く願った多くの市民、サポーターが署名活動や募金活動を実施し、それに応えるように地元企業が資金援助を行なって、なんとか存続の危機を乗り越え、98年に株式会社エスパルスとして再生した。 そう、わたしがエスパルスの試合を観に行き始めたころというのは、クラブ消滅の危機を乗り越えたばかりの時期で、サポーターはクラブの経営状態に強い関心を寄せており、「また消滅の危

    在り続けてほしいもののために、自分ができること - 雪景色
    gitanez
    gitanez 2009/08/03
    よいものを残すためにすこしでも自分の力が役に立てたら―。
  • 在り続けてほしいもののために、僕ができること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1ヶ月近く前のエントリーですが、なぜか運よく僕の眼の中(RSSリーダー)に飛び込んできました。 きっと眼にするタイミングってあるんでしょうね。エントリーの冒頭の部分の清水エスパルスの話は前にも読んだ記憶があるので、そのときは残念ながら読み飛ばしてしまっていたのでしょう。でも、あらためて今日眼にしてみて、この最後の部分に共感しました。 伝統工芸の職人を取材する「職人の哲学」というシリーズをやっていた時、一緒に取材に行ったカメラマンさんが、こんなことを言っていた。 「ぼくが以前、一緒に仕事をしていた編集長は、職人のところに取材に行くと必ずなにかものを買っていた。そのことが、その伝統工芸を守ることにつながるとわかっていたからなんですよね」 わたしに向けて、ではなく、職人さんに対し

  • 眼の力、感性の声: DESIGN IT! w/LOVE

    昨日の「遠くの町と手としごと―工芸三都物語/三谷龍二」で紹介し足りなかった点をすこし。 眼の力について。 目利きがいかにものづくりを助けるかということについて。 そして、皆さんはものに触れた際の自分の感性の声が耳に届いているかということについて。 まず福井で建具屋さんをしていた横田さんという方の仕事について、著者の三谷龍二さんはこんな感想を述べています。 横田さんは勉強熱心で、作ることへの努力も人一倍なのですが、それにも増して、見ること、眼を鍛えることを大切にしている人だと思いました。お宅にうかがい、箪笥や匙のコレクション、愛用のメガネのコレクションなどを見せてもらいながら、古いものをよく見て歩いていて、古いものからよく学ばれている、と感心しました。 さて、ものを作っている皆さん、普段の暮らしでちゃんとものを見てますかー? 「古いものをよく見て歩いていて、古いものからよく学ばれている」。そ

  • 遠くの町と手としごと―工芸三都物語/三谷龍二: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『デザイン思考の仕事術』の出版から早1ヶ月が経ちました。ほんとにはやかった。 で、1ヶ月経って、僕自身が実感として感じていること。 あー、もう、デザイン思考とかについて語ることはないってこと。 それ以上に人間中心設計とかはもういいやって思ってます。内容はともかく、そのキーワードを使うのがもうヤだな、とw 仕事としては、もちろん今後も続けますけど、ブログに書いたり、に書いたりはもういいかな、と。「使う側の立場にたって云々」という話は、そろそろ僕以外の誰かが語る番でしょって思ってます。 あとは僕よりも優秀な皆さんにおまかせしましたので、よろしく! 若い皆さんでがんばってくださいw 僕自身はいまはそれよりも、実際に使う人の視点にたってちゃんとものづくりをしている人たち自身の生活

  • 2009-07-27:ふじ屋の手ぬぐい: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 白いのはほおずきの柄、黒いのはわかりにくいですがクジラの目を描いたものです。 いただいたのは、浅草にあるふじ屋さんというお店のもののようです。 浅草・ふじ屋 http://ryoma.cantown.jp/cgi-bin/WebObjects/Cantown.woa/wa/shop?id=98 いつもは、かまわぬのものを使っていますが、普段と違う柄の雰囲気で気に入りました。特に黒いクジラのほうは使いこんでいくうちに、どんな風に色落ちしていくのかも楽しみ。よいチョイスです。どっちが選んでくれたんだろ? ありがとうございます。 (あれ?でも、なんで僕の手ぬぐい好きを知ってたの?) 布ものには弱いですそれにしても、最近、自分でよくわかってきましたが、僕はとにかく布ものが好きなよう

  • 2009-07-26:藍染めをする: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、今日の二日間は、藍をつかった型染め体験をしてきました。 先週末以来(「2009-7-19:型絵染の団扇」、「2009-7-20:「型絵染の骨格 芹沢�_介の型紙」展」)、型染めに染まっているわけです。実際はずっと前から予約していたわけですし、自分でも家で藍染めのテーブルセンターなどを使っていて、ずっと関心をもっていたわけですけど。 昨日、日民家園に行ったのも、実はそのついでだったんです。 最初に藍染めの工程を紹介するビデオを見せてもらい、そのあと、実際の型染めの作業にはいりました。 型をつくる糊をおく染色する糊をおとして乾かす 大きく分けて、この4つの工程で型染めの作業を行いました。 型紙をつくる最初の工程は、型染めなので、まずは型紙をつくるところからです。 今回は

  • 2009-7-20:「型絵染の骨格 芹沢銈介の型紙」展: DESIGN IT! w/LOVE

    「型絵染の骨格 芹沢銈介の型紙」展 会場:静岡市立芹沢銈介美術館 会期:2009年6月6日(土)~8月30日(日) HP:http://www.seribi.jp/sub5.html 型紙:型絵染の骨格芹沢銈介さんについては、前に「芹沢銈介の文字絵・讃/杉浦康平」でも紹介しています。 そのでも芹沢さんの作品はみていますし、それとは別に芹沢銈介作品集も持っていますが、やっぱり実物は違いますね。印刷では表現できない、あたたかみのある紙や布にのった色の存在感が感じられて、よかったです。 今回の展示は、型絵染の人間国宝であった芹沢銈介さんの、型絵染(紙に染めたもの)や型染(布に染めたもの)の作品の文字通り型として使われた型紙とともに、それを用いて制作された作品を展示するというものでした。 紙に染める型絵染にしろ、布に染める型染にしろ、型紙は作品の骨格となるものです。 芹沢さん自身も「型紙は型染の

  • 2009-7-19:型絵染の団扇: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうですか? 涼しげでよいでしょう。 型絵染というのは、染色作家であった芹沢銈介さんがはじめた技法で、通常布を用いる型染めの代わりに紙を型紙で染めたものを指します。ちなみに右の写真にみえている藍の座布団が通常の型染めですね。 他にもいろんな絵柄のものがありましたが、この朝顔などが描かれたものに惹かれました。この絵柄は残り1つだけだったので買えてラッキーでした。 クーラーの利いた部屋で熱いお茶を飲みながらすごすのも快適なものですが、たまにはクーラーを消して団扇で涼んでみたほうが夏らしくてよいなと思っています。 あと欲しいのは風鈴ですね。これも探していますが、なかなかコレといったものに出会えずにいます。引き続き捜査中。実は簾もほしかったり。 なんでもないガラスのコップ。今日は、

  • 2009-07-18:ざるかぶり犬とエジプトのミイラ: DESIGN IT! w/LOVE

    今日は備後屋で買いましたが、このざるかぶり犬、もともとは谷中に店がある菊寿堂いせ辰という、江戸末期から続く江戸千代紙の版元がつくっています(もちろん昔は、いせ辰だけでなく、いろんなところでつくられていたんだと思います。なにせ、フォークトイですから)。 実は、ざるかぶりではない張り子の犬がいせ辰のマスコットキャラクター的にも使われていたりします。そちらの非ざるかぶりバージョンも備後屋に売っていました。 菊寿堂いせ辰: http://www.tctv.ne.jp/miyakyo/tenpo/kikujudoIsetatsu/index.html いせ辰では、千代紙だけでなく手ぬぐいや風呂敷も販売しています。 実は、ざるかぶり犬の下に敷いている小さなランチョンマットも、以前に、横浜の港が見える丘公園の近くのいせ辰・谷戸坂店で買ったものです。 この講演は、現在、ルーヴルDNPミュージアムラボで開

  • 2009-04-29:布地にこだわる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 手ぬぐいは使っているうちにやわらかくなる僕は普段、ハンカチ代わりに日手ぬぐいを使っています。 昔ながらの製法でつくられた日手ぬぐいは買ってすぐのころは固くて水分の吸収も悪いんです。それが使っていくうちに当にやわらかく心地よい肌触りに変わってきます。 自然の染料を使っている関係で洗うと色落ちすることもあり、手洗いしますが、そうやって水を通してあげることで生地がやわらかくなっていくのが手洗いしているとわかります。それがわかると最初はめんどうに感じていた手洗いも楽しくなりました。 いまは洗濯の際に柔軟剤を使ったり、もともとやわらかい手触りのものが求められたりする傾向があるように感じますが、来、丁寧につくられた生地というのは実は使っていくうちにやわらかく肌に馴染むようになっ

  • 備後屋: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 備後屋:http://www.quasar.nu/bingoya/ 備後屋は全国各地の民藝品を扱うお店。 場所は大江戸線・若松河田駅の河田口を出てすぐ。ローソンの横の白い建物。 扱う品は、陶磁器、染物、織物、竹工品、木工品、漆器、藁工品、金工品、紙工品、ガラス器、郷土玩具、民藝家具などです。どんなものかは備後屋さんのホームページの「売場案内」に写真がありますので参考に。 店内でも海外のお客さん向けの提案などがありますが、実際、海外の方への贈答品として使えば、きっと喜ばれるのではないかと感じる品物もたくさんあります。 いや、この品物の品格の良さであれば、日人でもある程度、物の良さを知った大人の方なら贈られれば嬉しいんじゃないでしょうか。僕だったらここの物なら大抵何をもらって

  • 手仕事の日本/柳宗悦: DESIGN IT! w/LOVE

    なんて淋しく切ないなんだろう。 このはかつて存在した日というものの遺書のようです。 そして、最初に書いておきますが、このはこの国でものづくりに関わるすべての人びとが一度は読んでみるべき一冊だと思います。 私どもは西洋でなした過失を繰返したくはありません。日の固有な美しさを守るために手仕事歴史を更に育てるべきだと思います。その優れた点をよく省み、それを更に高めることこそ吾々の務めだと思います。 それにはまずどんな種類の優れた仕事が現にあるのか、またそういうものがどの地方に見出せるのか。あらかじめそれらのことを知っておかねばなりません。このは皆さんにそれをお知らせしようとするのであります。 このに関しては1つ前のエントリー「模様を生む力の衰え」でもすこし取り上げましたが、以前に『工藝の道』を紹介した日民藝運動の創始者・柳宗悦さんが、大正の終わり頃から約20年をかけて日全国を

  • 模様を生む力の衰え: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 松岡正剛さんの『連塾・方法日1 神仏たちの秘密』を読んだ際に気になった言葉がありました。それは日が古来重視してきた手法である「アワセ・ソロイ・キソイ」のうちの「ソロイ」に関する発言でした。 「ソロイ」は2つのものを並べて組み合わせる「アワセ」によってできたものを揃えていくことを指しています。和漢朗詠のように漢詩と和歌を同じテーマで合わせるのがアワセ、それを揃えたものを一冊の『和漢朗詠集』にするのがソロイです。 古田織部の器と辻が花染めこのソロイに関して、松岡さんはこんな風に言っていました。 「ソロイ」といっても、ウェッジウッドの器セットのように文様がすべて揃うわけではない。日で初めて器に独自のセット感覚をもちこんだのは古田織部でしたが、五客の向付の文様が一見揃ってい

  • どうせ持つなら長く使えるものを: DESIGN IT! w/LOVE

    この一昨年の秋から履いているラッセルモカシンのゼファーブーツ(右)と、同じく一昨年の冬から着用のサンダースのカントリーブーツ(左)もそう。ガンガン履き続けたことで、だんだん味が出ていい感じに育ってきました。 FILSON ダブル・マッキーノクルーザーそれから、最近よく着てるのは、昨年末に買ったFILSONのダブル・マッキーノクルーザー。 巷ではよく、重くて着られないと言われてる代物です。確かに重いのは事実ですけど、着られないってほどではありません。 着はじめたことは生地が固かったんですが、1か月くらい経ってみて、だんだんと生地もやわらかくなってきて身体に馴染んできています。これも長く着続けているといい味が出てきそうだなと思っています。 ダブル・マッキーノクルーザーに関しては、FILSON創業者のC.C Filsonのこの言葉が有名。 "Might as well have the best

  • 言いがたいところの智慧: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 技術や手法の伝達ではなく、言葉として語って伝えることができない「智慧」の伝授ということを最近よく考えます。 まったく一介の隠居のおじいさんが語る昔話にすぎないのであるが、そこに長年の経験から得た、人間の真の「智慧」とも言いたいものがうかがわれた。能楽という一つの道に対するその盲目的な信仰は、思想的にも生活上にも、近代文明のもたらした不安な世の中には、何かしら羨ましいものにさえ思われてくる。 「梅若実聞書」は、白洲正子さんが自身の能における師でもあった二代目梅若実(五十四代梅若六郎)さんへの芸談に関するインタビューの記録として記したものです。その「はしがき」にあるのが上の言葉です。 この言葉に続いて、白洲正子さんはこんなエピソードを紹介しています。 私としては、曰く言いがたし

  • アナログな刺激のある暮らしに憧れて: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近ぼんやりと考えていることが2つあります。 このまま、いつまでも東京に住んでいてよいのか、もっと自然が多いところで暮らすことも考えた方がよいのか何か趣味でできるものづくりがしようと思うが何がいいかな という2つのことです。 前者はまだ先の話で、後者は割と直近の話かな。いまのところ、候補は水墨画か木彫りなんですけど。これはもうちょっとイメージを固めてからはじめようか、と。とりあえず、それまでは写真を撮ったり、絵を描いたりでつないでおこうか、と。 感覚を刺激するアナログな情報のある暮らしそんなことを思うのはやっぱり今の暮らしって感性を磨くための刺激が足りてないなってつくづく思うからです。このあいだ、京都に出かけて強烈にそう感じました。こりゃ、暮らしの環境と暮らしのなかの行動を

  • なんでもかんでも「仕事」に頼るのもどうか?と: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうして「自分の暮らしに興味がないんだから、人の暮らしの提案なんか、そりゃできないよなという話」にリンクが張られているのか、また、トラックバックされているのかわからないんですけど、それ以上にわからないのは、この部分。 最後の意味において「生活」と「仕事」の主格は逆転し、主役は「仕事」になっています。この点で、「なぜなら仕事のために人生があるのではなく、人生のために仕事があるのだから」の人とは真逆です。仕事が「糧を得る手段」だけでなく「自己表現の場」である人にとっては。 文中の「主格」は「主客」だと思いますがママ。 わからないのは、なんで「自己表現の場」が仕事になるという話がすんなりスルーされちゃうのかという点。それが昨日のエントリーの主旨でもあり、「仕事」に重きをおきすぎな

  • 1