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責任に関するgitanezのブックマーク (7)

  • 行動と責任:上とか下とかについて:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分が上だとか、他人を下に見ているといったことについて。 そういう風に考える場合に、「責任」ということをどう捉えているのかなと感じます。 上とか下とかいう場合、僕はそれには「責任」がついてまわると考えます。上のものは下のものは下に対して、何らかの責任を負う。それがない上とか下とかって話はありえないんじゃないかと思うんですよね。 成績の上下などのランキングは現在を何も物語らないもちろん、学校の成績が上だとか下だとかという言い方はありますし、何かしらの順位で上や下という話はありますけど、それとは別だと思うんです。 それは単にある評価基準に基づいた順位付けであって、ある人とある人を総合的に比べて上だとか下だとか言っているわけではないし、そもそもランキングの関係が、ある人とある人の

  • 悲観的な言い訳で自分をやさしく包んでいるくらいなら前を向け: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なんとなく昔付き合っていた彼女に言われたことを最近よく思い出します。 僕は昔から「文章を書く人」でしたが、20代の頃、付き合っていた彼女に僕の書く文章は「おもしろいけど、言い訳っぽく感じるときがある」と言われたんです。 その頃の僕にはそれがどの部分を指して言っているのか、ピンときませんでした。当然、付き合っていた彼女に言われたのですから、すごく気になったのですが、彼女も明確にどの部分かを言い当てることはできませんでしたし、僕自身、いくら考えてもどういう点について言われているのかがわかりませんでした。 言い訳=無責任に批判することでも、今ならそれがよくわかります。 つまり、それは周囲や社会などへの不満を他人ごとのように批判する点が、彼女にそう思わせたのでしょう。 このブログで

  • 企業への信頼、企業で働く人への信頼: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 魂はどこに? 人間は責任を持つ存在で、自分の運命の主導者なのだけれど、それはわれわれの質が実は魂だからだ、という人気のある考え方がある。魂というのは神様に属するなにやら非物質的な不死の代物で、それがいわば霊的な人形遣いみたいに、物質的な肉体に宿ってコントロールするのだそうな。 企業や企業で働く人は信頼できない?mixiでやってるコミュニティのほうで、口コミに関して意見を聞いているんだけど、それを読んでると、どうして今の日ってこんなに企業に対する信頼がないんだろ?ってことを感じます。 いや、企業に対する信頼もそうなんですが、企業で働く従業員に対する信頼がとても薄いのかななんて感じます。 自分もどこかの企業で働く従業員であるはずなのに、他社の従業員(例えば自分が行った店の店

  • 他人を動かすということ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨夜の名古屋最後の夜。 最後ということなので、いっしょに4ヶ月出向生活をともにしてきた同僚と、11時くらいから最後の晩餐をしました。 あまりむくわれない仕事を嘆きながら、彼が言ったこと。 他人を動かすということがわかってないよ。 そのとおりだと思う。同じ社内の人間であれ、外部発注先の人であれ、自分のあとに続いて仕事をする人のことを考えて仕事ができなければダメだと思います。 目の前に見えている人だけでなく、自分の目には映っていない人でも、プロジェクトの工程を想像すれば必ず自分のあとに動く人がいることはわかるはずです。 その後工程の人が自分の判断や発言で困ることがないか? そういうことを想像して自分の行動、発言に責任がもてない人はダメです。当にそういう人がいるとプロジェクト

  • 他者に対する想像力(ブログを書く上での責任): DESIGN IT! w/LOVE

    僕がブログを書くときに「あまり考えずに」書きつつも「何も考えずに」書いていないというとき、最低限、考えているのはこのことだったりします。 公開される文章なので、自分で書きたいことは書きつつも、やはり読まれる方の気持ちは考えて書くようにしています。 もちろん、どんなに視野を広く持とうと意識だけは高くても、想定できていなかった人の立場までは汲み取れず、他人を不快にしてしまうことを書いてしまうことは、僕にもあります。 でも、できるだけ誤解を与えないようにと思いますし、コメントやトラックバックでそうした点を指摘していただいた方には、できるだけ自分の側の足りなかった部分を認め、誤解を解いていただけるよう、補足を補おうと思っていますし、自分では少なくともこれまでそうしてきたと思っています。 それは責任であり、責任と呼ぶのは起こったことを他者のせいにするのではなく、自分の落ち度を事後的にでも認められる準

  • Web2.0的でない企業にはWeb2.0サービスはできない DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なんだかすごく当たり前のことをいうようですが、Web2.0的でない企業にはWeb2.0サービスはできません。 トラックバック、Ajaxによる画面遷移のないUIRSS(フィードやリーダー)、他サイトとのシンジケーション、ユーザーへの信頼、集合知の活用、などなど。どれ1つとってもマスプロダクトな世界でビジネスを展開してきた企業にはなかなか馴染まないみたいです。 自分たちがそれまで蓄えてきた常識をかなぐり捨ててでも、あちら側に馴染もうとしない限りは。 理解できないんじゃない。馴染まないんですよまぁ、馴染まないのはいいんです。それ(=Web2.0)がすべてじゃないんですから。 問題は、馴染まないならそういうサービスの提供はあきらめるべきだということを理解しないことです。 自分たち

  • 思考過程は作業過程 - アトムとビットの重なる場所: DESIGN IT! w/LOVE

    「read/write web.」の続編。 誰が見ても同じ情報はもはやこの世には存在せず、あらゆる情報が測定する側=読む側の創造性によって規定されることになる。 逆にいうなら、その世界では書くこと=測定することによってしか、読むことができないのだ。 なんて書いたが、「書くこと=測定する」という点は量子力学の「重ね合わせ」を前提にしている。 つまり、「測定前は、可能性を示した情報が存在する。そして測定後には、以前には存在しなかった明確で特定の1ビットの情報が作り出される」(ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー『量子が変える情報の宇宙』)わけで、アウトプットが出されるのは測定の時点であり、それは言うまでもなく、読んだ時点ではなく、読んだものを理解した時点である。 もちろん、厳密には、書かなくても理解できるのだが、それでも理解する際には、読んだものを一度、自分の中で反復する行為が脳の中で行われ

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