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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (1,783)

  • マニエラ(技法)の核心 〜僕らは結局、自分たちのこれからをスケッチしながら作っている、この「世界史的な危機のさなか」において〜: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕らは常々「技法」というものをすこし表面的に捉えすぎるきらいがあります。 技法やメソッド、やり方あるいは考え方、それに思考術、また結果というより方法としての芸術というものに、まともに向き合い、それとじっくり語り合うことをしないまま、盲目的にそれに従ったり、それが使える/使えないといったまるで無意味で的外れな議論や批評を行ったりしてしまいます。 ▲アタナシウス・キルヒャー『大いなる知の術あるいは組み合わせ術』扉絵(『キルヒャーの世界図鑑』)より 「表面的に捉えすぎる」というのは、技法をちゃんと使えていないし、使おうとしていないという意味です。技法なのでそもそも何かを生み出すために用いる手段であるはずなのですが、よくある話で、手段が目的になってしまい、結果を出すためのものとして

    マニエラ(技法)の核心 〜僕らは結局、自分たちのこれからをスケッチしながら作っている、この「世界史的な危機のさなか」において〜: DESIGN IT! w/LOVE
  • 文書の形式で知をカタチにすること: DESIGN IT! w/LOVE

    それがはじまったのが17世紀頃だと著者はいいます(あー、またしても17世紀!)。 十七世紀になると、相続者が何らかの理由で個人の財産を売りにだす際に、財産目録は印刷されるようになってくる。このとき、目録はカタログとなる。 財産の目録は"相続者が何らかの理由で個人の財産を売りにだす"ために印刷され、複製されるようになるのです。 ここからより効率的に財産を売りさばくために、オークションを行うことに発展していくのは当然の流れといえるでしょう。 カタログを作ったから、展示がはじまった(その逆ではない)こうした出自をもつ美術カタログは、現在のように美術展覧会そのものをアーカイブする存在ではなかったし、それどころか、美術カタログが生まれた時点ではまだ展覧会というイベントも、美術館という施設も存在しませんでした。 特定の家の財産として室内に閉じ込められていた美術作品を、財産目録としてのカタログが外に開き

    文書の形式で知をカタチにすること: DESIGN IT! w/LOVE
  • 「考え方」について考えてみる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「考えるとはどういうことか?」それについて考えることが僕にはよくあります。 「考えるとはどういうことか?」と考えることで、何かを考えるための方法が明らかになることがあるからです。 だから、「考えるとはどういうことか?」を考えるのは、自分自身がうまく考えられていないなと感じるときや、他人がうまく考えられていないなというのを目の当たりにするときだったりします。 ▲この記事では、この2冊が登場するよ うまくいかないから、その理由を自省する。 それって何かを改善するためにはごくごく普通の行為だと思います。 それを踏まえると、考えることがうまくいかない要因の1つが「考えるとはどういうことか?」ということを考えようとしない姿勢にあるということもできるはず。自分自身の考えるという作業のや

    「考え方」について考えてみる: DESIGN IT! w/LOVE
    gitanez
    gitanez 2014/04/12
  • 発想力を高めるための数寄index化: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分の好みを知ること。 自分がどんなもの、ことにワクワクと心を動かされるかを知っておくこと。 うん。それってとっても大事。 ▲1つ1つに特徴がある、類似するものが並ぶ状況に、僕はワクワクします 自分自身の心が外界の刺激に対してどんな動きをするかということについて探求することは、このとてつもないスピードで情報が行き交い、イノベーションの進行で刻々と状況が変化し続ける世界において、意味のあることを成す上では何より大事なことだと最近ものすごく強く感じています。 自分がどんな物事にワクワクするか、自分の心がどんなとき/どんなことに反応するか。 そういうことを知ることが、どうして、いまの社会環境において大事になっているのか。 それは、自分の心と頭で捉える外部からの情報をいかに連動させ

    発想力を高めるための数寄index化: DESIGN IT! w/LOVE
    gitanez
    gitanez 2014/04/04
  • 無骨に、ゴリゴリっと。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 2週続けての積雪となった東京。 今朝も朝ご飯をべたあとさっそく、雪の積もった近所の細い路地を、人が通りやすい分だけでも雪かきしました。 長さにして、20メートルほどの距離を、まっすぐに30-40センチくらいの幅で道をつくっていきます。 雪かき用のスコップなど、うちにはないので、ちりとりで雪をかきます。腰を落としての作業になるので、結構な労働です。先週などは、積もってはまた雪かきという風に繰り返したので、次の日に腰から股にかけて筋肉痛になりました。 そんな記憶もあったけど、とにかくやらないと出かけるときに足下が悪いので、朝1にやらないとって思ってました。今日の雪は先週に比べて、湿気は多かったので、ちりとりではさらに大変でした。 けれど、雪の積もったなかに、グニャグニャとした

    無骨に、ゴリゴリっと。: DESIGN IT! w/LOVE
    gitanez
    gitanez 2014/02/16
  • ジョン・ラスキンの思想から「デザインの本来」を考え直してみる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、自分のなかで「デザイン」という言葉への捉え方が変わりつつあるのを感じています。 それもあって、もう1回、自分のなかで「デザイン」って何だろう?というのを勉強したり、整理しなおしたりしようとしはじめました。 「デザイン」という言葉への捉え方が変わってきているという点では、まず「デザイン」の起源を今までとは違った形で考え直したいなという風に思っています。その起源をどう捉えるかで、デザインという言葉の占めるものも変わってくると思うからです。 数年前からしばらく僕は「デザインの誕生」をルネサンス期以降と考えていました。 Oxford English Dictionaryに、英語としての'design'が初出したのが1593年。 その後、イタリアのマニエリスト、フェデリコ・ツッ

  • 月のクレーターは望遠鏡があったからといって見えるわけではない(想像力がなければ見えない): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いまホルスト・ブレーデカンプの『芸術家ガリレオ・ガリレイ』を読んでいます。 この、「【見る】ということとはどういうことか?」について非常に考えさせられる内容です。値段は高いし、分厚い一冊ですが、ぜひ一読をオススメしたいです。 読んでいて考えさせられるのは、描くことと思考することの関係性や、想像することと見ることの関係性です。 ガリレイが実際に手で絵を描くことで考え、頭のなかでしっかりと想像する=仮説をもつことではじめて誰もそれまで見ることができなかったものを見ることができたのだということが、このを読んでいくとわかってきます。 そこには描かなければ可能にならなかった思考があったし、思考をもとに想像しなければ目にすることができなかった事実がありました。そういうことをこの

  • 思考と視覚表現の共犯関係についての考察を続けよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の記事「多義から一義へ:絵から図が分裂した17世紀」で紹介したジョスリン・ゴドウィンの『キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢』を読み終えました。 図版と思考の深い関係性について自分が考えていることがどれだけ的を得ているかを知りたいという興味から17世紀ヨーロッパに目を向け、手に取ったでしたが、読み終えたことでよりいっそう思考と図版を含む視覚表現との関連性についての関心が大きくなりました。それでいまは、もっとこの時代の図像と思考の共犯関係を明らかにしたいという気持ちからホルスト・ブレーデカンプの『芸術家ガリレオ・ガリレイ―月・太陽・手』を続けて読みはじめています。 ホルスト・ブレーデカンプは、前に書評記事でも紹介した、キルヒャーと同時代を生きた年下の哲学者・数学者で

  • 多義から一義へ:絵から図が分裂した17世紀: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いま会社の班活動で「図」に関する研究活動をしています(会社で班活動って何?という方はこちらをご覧ください)。 上の写真のようにいろんな種類の図を集めて、それを分類したり、分類ごとの特徴を抽出したりしました。次のステップでは、自分たちでも図を使って自分たちの考えをうまく伝えられるようになることを目指して活動しています。 そんな班活動のために図を集める作業をしていた際、以前から気になっていたアタナシウス・キルヒャーのことがあらためて気になりはじめました。 お目当ての図を探そうと検索していると、やたらとキルヒャーの著作に掲載された図が出てきたからです。 それもあって、いまジョスリン・ゴドウィンの『キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢』を読みはじめました。読みながら、キルヒャー

  • 専門性と地図の時代の終わりに: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1962年発刊の古典的名著『グーテンベルクの銀河系』の冒頭、マーシャル・マクルーハンは『リア王』を引きながら、シェイクスピアがその作品の中で描いた17世紀初頭におけるスペシャリスト(専門家)の時代の到来について言及しています。 ただ王の名と それに纏わる形だけはこの身に留めておく、 が、統治の実権、財産収入、その他いっさいの大権行使は、 よいか、挙げてお前らの手に委ねるぞ、 宮殿の王座の間に集まった3人の娘達や下臣たちの前で、リア王はこう宣言し、自らの権力や財産を娘や下臣たちに委譲しようとします。 マクルーハンは、シェイクスピアが描いたこの権限委譲と領土の分配のシーンに、スペシャリストの誕生を読み取ります。 自国の地図を手にし、”よいか、私の治下の領土を3つに分けた”と口に

  • サン=レミ大聖堂とMummのシャンパンカーブやフジタ礼拝堂: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、ランスの街の訪問記の後編です(ノートルダム大聖堂や街の雰囲気を紹介した前編はこちら)。 サン=レミ聖堂内部 ノートルダム大聖堂を見学したあと、バスに乗って、さらにランスの駅からは離れた場所にあるサン=レミ聖堂へと向かいました。 サン=レミ聖堂サン=レミ聖堂は、11世紀初頭に建設が始まったバシリカ教会で、現在はノートルダム大聖堂やトー宮殿とともに、世界遺産に登録されています。 ファサード正面(左)と側面からみた聖堂(右) 教会の名前は、フランク王クロヴィスに洗礼をしたランス司教サン・レミに由来しています。 何度も修復作業が繰り返されたため、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式が共存したつくりになっています。 聖堂後陣 聖堂内部の雰囲気は、ランスのノートルダムとも

  • ランスの街とノートルダム大聖堂: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今回の旅では、ルクセンブルクやメスに行ったのとはまた別の日に、ランス(Reims)にも足を伸ばしました。 ランス(Reims)は、ローマ時代に遡る古い街で、下の写真のような3-4世紀のローマの遺構であるマルス門(凱旋門)も残っています。 マルス門 シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏では最大の都市で、パリからはTGVで45分ほどの距離にあります。 場所はここ。 大きな地図で見る 歴代のフランス国王の戴冠式が行われてきたランスのノートルダム大聖堂がある都市です。 ランスの駅を出てまっすぐ歩いていくとホテルやレストランが建ち並ぶにぎやかな通りに出ます。 その奥に、下の写真のようなプラス・デルロンのモニュメントが見えてきたあたりが街の中心部への入り口となります。 ランスの街の中心部に

  • メス(ポンピドゥー・センター・メスやサン・テティエンヌ大聖堂がある街): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の記事で紹介したルクセンブルクを楽しんだあと、TERで移動してフランス・ロレーヌ地域圏の首府である都市メス(Metz)にも立ち寄りました。 あまり馴染みのない地名だとは思いますが、最近ですと、2010年に開館したパリのポンピドゥー・センターの分館にあたるポンピドゥー・センター・メス(Centre Pompidou Metz)の設計を坂茂さんが手掛けたことで「メス」という街の名前を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。 メス駅 ルクセンブルクからはTERに乗って、上の歴史を感じさせるメス駅に降り立ちました。 メスの場所は地図でいうと以下の位置になります。 大きな地図で見る ルクセンブルクとは距離にして55km、TERに乗った時間でいえば約40分くらいの位置にあり、

  • ルクセンブルクという天然の要塞都市を訪れて: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、昨日の「クリュニー中世美術館を訪れて感じた僕らが知らないヨーロッパの中世」という記事でGW中のフランス旅行について書きましたが、そのうちの1日、TGVに乗ってルクセンブルクにも行ってきました。 アドルフ橋から見るルクセンブルクの旧市街 ルクセンブルクは古くから要衝とされてきた土地です。 この地の領主たちは現在の新市街と旧市街を分断する形で横たわるペトリュス渓谷に、上の写真のような堅牢な城砦を築き、その結果、樹々の緑と城や街が美しく調和した景観をもつ都市が築かれました。 アドルフ橋とペトリュス渓谷新市街と旧市街はペトリュス渓谷によって分断されているので、いくつか新旧市街をつなぐ橋がかかっています。 その橋のなかで最も有名なのが、下の写真のアドルフ橋です。 アドルフ橋 1

  • クリュニー中世美術館を訪れて感じた僕らが知らないヨーロッパの中世: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ブログの更新がだいぶ滞っていました。 その間のゴールデンウィークに、パリを拠点としてランスやメスといったフランスの都市と、ルクセンブルクを旅行してきました。 期間中、ルーブルやオランジュリーなどの有名どころだけでなく、ケ・ブランリー美術館やパリ工芸博物館、カルナヴァレ博物館、シテ科学産業博物館などの様々なMuséeを見て回ってきましたが、中でも今回訪れて一番感動したのが、クリュニー中世美術館(Musée de Cluny)でした。 クリュニーの美術館に展示されたさまざまな作品(それはまだ美術や工芸、商品などが分化する前の品)を目の当たりにして、あらためてヨーロッパ中世のおそろしいほどの深さに驚かされたのです。 このブログでもときおり話題にしてきたとおり、僕自身、もともとヨー

  • テーブルにのせられた家族というカタチを超えて…: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 多様性を許容できる社会にしたいと思う。 多様性が認められた環境で多様な者同士が関わりあうことではじめて、新しいものは生まれてくると思うから。 ▲山理顕『地域社会圏主義』より そのためには自分にないものをもつ相手を受け入れたり、いまないものを想像できる柔軟な発想が必要だと感じます。1つの標準的な思考や形式に偏りすぎることほど、新しいものが生まれてくる可能性を減少させる危険なことはないと思います。 そんなことを先日ひさしぶりに会った昔の会社の同僚と話すなかで、あらためて感じました。 「1つの家に1つの家族」をデフォルトとしない、住まい方や家族というあり方の多様性元同僚とは、働き方や住まい方を話題にしながら、もっと今ない形も含めて多様で自由な選択が可能な働き方だったり、住まい方

  • 未知を知へと変換する「生きた知識」のための劇場: DESIGN IT! w/LOVE

    17世紀に流行のピークを迎えることになる、驚異の博物館に関するこの定義は、16世紀の後半に書かれた、クヴィッヒェベルクによる『壮大なる劇場の銘または標題』(1565)の冒頭に示されたものだといいます。 そして、その比較的早い段階においてなお、この博物館が知識を手に入れることを目的とするものだということがはっきりと意識されていたことがわかります。 彼がこれを書いた当時、ヨーロッパにおける珍品崇拝の地理的広がりは、その150年後ほど秩序だったものではなかった。それでも、蒐集家たちは、共通の目的によって、国境を超え、個々の財力に応じて、「蒐集家の共和国」というべきものを形成していた。彼らは「すばらしい知恵と結びついた、世界に対する真実かつ独自の理解をすみやかに、容易に、安全に手に入れる」ために、世界を標化するという唯一の目的を共有していた。 ここで注目すべきは、当時の人々が、小さな部屋にさまざ

  • 実験の時代: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「実験の時代」です。 唐突に何なの?と思われるかもしれませんが、これまでにない新しいものを早急に確立していくことが社会課題の解決という面でも、ビジネス的な面においてもつよく求められる現在において、無数に考えられるアイデアのなかでどれが現実的に有効かを探り当てるためには実験的な姿勢が欠かせなくなってきているように思うんです。 ▲ベンジャミン・マーティン「卓上用の新しい電気装置」(バーバラ・M・スタフォード『アートフル・サイエンス』より) たとえば、ビジネスの領域においては、リーン・スタートアップが、マネジメントを従来のリスク回避指向のものから、できるだけ早く有効な解に到達するために小さなリスクは積極的にとって実験を繰り返す方向へとシフトさせようとしています。 リーン・スタート

  • 近代視覚表現技術とともにあった「想像力」の危機: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 視覚表現技術をどう進化させるか?という課題が、ひとの想像力をこの時代にあったものに拡張するうえで、重要なポイントの1つだろうという思いを最近より強く感じています。 そんなことをあらためて考えるようになったのは、前回の「反-知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する」という記事でも紹介した高山宏さんの『魔の王が見る―バロック的想像力』というのなかでこんな記述を目にしたからでもあります。 前回の記事中でも取り上げた17世紀初めのヴンダーカンマー(驚異博物館)の流行の時代を、高山さんは「想像力」の時代でもあると読み解きながら次のように書いているんです。 事物の集積に未曾有の関心をもった17世紀初めのそうした「エキセントリック・スペース」の流行を背景にしてみてはじめて、人間は自

    gitanez
    gitanez 2013/02/14
  • 反−知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 数ヶ月前から気になっていたことの1つは、自分でブログを書く際、どうも昔に比べて何を結論として言いたいのかを意識して書くことが苦手になってるという感じがしていることです。 何も言いたいことがなければそもそも書くこともないわけで、そこはとうぜん書きたいことがあるから書いているのですけど、でも、いまの僕にとって、その「書きたいこと」というのは間違いなく「結論」じゃないというところがちょっと問題なような気がしていたんです。 僕にとってはむしろ、ダラダラと書き連ねているその過程で書いているそれぞれが「言いたいこと」であって、何か1つの結論をいうためにそれらを書き連ねているわけではないんです。 だから、どうしてもいわゆる起承転結のような文章の構成で書かなくてはいけない動機がないし、そん