数日前から田中純さんの『都市の詩学』を読みはじめている。 最初の何章かは、建築家アルド・ロッシを対象に語られるのだが、その内容が前回書いた「無意味」というnoteにリンクする。 「昨今の社会にとって意味あるものばかりを生み出そうとする傾向とは真反対の、そういう無意味化の操作は、人間よりも、機械や、自然が得意だ」と前回のnoteでは書いた。 それはロッシの建築的営みについて評した、こんな言葉に重なってくる。 ロッシが反復によって意味を消滅させた、無意味な建築は、馬鹿馬鹿しい「白痴の形態」がもつユーモアにより、乾いた笑いを誘い出す。ロッシの建築は、例えば、こんな外観をしている。イタリア・モデナにある墓地の納骨堂の建物だ。 「白痴の形態」と評されるのも頷ける、おそろしく、いろんなものを失った骸骨のような様相である。シンプルというには、捨ててはならない大事な部分まで削ぎ落とされている感を受けるので
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