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ブックマーク / www.arclamp.jp (22)

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  • テクノロジーは世界をインターフェースする (arclamp.jp アークランプ)

    今年のデブサミでジョエルを押さえて満足度1位に輝いたのが石川初さん。主催側の岩切さん@翔泳社と賞状を持ってお伺いしてきました。1時間だけでしたが、いつでも石川さんの話は面白い。 そんな中で教えてくれたのが「テクノロジーは世界をインターフェースする」という言葉。 サーフボードユーザーという言葉はない。彼らはサーファーと呼ばれる。波を感じるためにサーフボードを使っているだけで、サーフボードを使うことが目的じゃない。 サーフボードは波をインターフェースする。 だから、ごてごてとデザインされていると分かるようなサーフボードは存在しない。サーフボードは波をインターフェースするために存在しているし、そのためにテクノロジーが使われている。 きっと人は世界のインターフェースを体感することが楽しいのです。山を登ることも、空を飛ぶことも、波に乗ることも、そうやって世界のサーフェースを超えていくときに体に感じる

    gitanez
    gitanez 2008/04/27
    「コミュニケーションも同じ。全てがするっとつながってしまうようではつまらない。」そうそう、これこれ。さすがyusukeさん、わかってらっしゃる。
  • 機能から関係へ (arclamp.jp アークランプ)

    建築には機能主義という言葉があります。 機能主義はモダニズム建築を代表する概念の1つで、アドルフ・ロース、オーギュスト・ペレ、バウハウスと言った名前が知られています。その次の世代としてはル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエといった名前が有名でしょう。 時代背景から考えてみます。ロースが1870年生まれでミースが1887年生まれなので、19世紀末から20世紀初頭にかけて盛り上がった言葉だと言うことが分かります。19世紀末といえば産業革命が落ち着き、自動車など市民生活に機械が入り始める時期です。フォードが、かの有名なフォード・T型を市販したのが1908年10月のこと。フォードがT型の開発でもっと注意したのがフォード・システムに見られるような大量生産に適応させた車である点です。つまり、19世紀末から20世紀初頭というのは「機械による機械の大量生産」時代の幕開けともいえる時期だったのです

  • 議事録を書くということ (arclamp.jp アークランプ)

    最近、やたらと議事録やコンセプトブックなどを書いています(その結果、ブログの文字量が減ってしまうのが僕の情けないところ)。当は議事録を書くコツを書きたいところですが、まとまっていないのでだらだらと。 議事録の宿命は全発言を書くわけではない、ということです。だから議事録を書くのは簡単ではありません。聞き上手だけでも書き上手だけでもだめ。まとめることが求められます。まとめるということは書き手の意図が含まれるわけです。 では、書き手はどのように議事録を記述していくのか。そのプロセスには分析、構築、表現という3つがあると思っています。 分析:会議の編集構造を理解する 議事録を書くのがうまい人は「議論している場の編集構造」と「議事録の構造」をきちんと使い分ける人です。ミーティングそのものをアジェンダを決めて構造的に進めることは重要ですが、そんなにきれいに話は進みません。その場だけが持つ話の構造

  • テクノロジーとデザインの境界線があいまいなもの (arclamp.jp アークランプ)

    Web2.0 Expoでベスト講演をあげるとすればチームラボの猪子さんによる「インターフェースデザインのイノベーション(テクノロジーとデザインの境界線があいまいなもの)」です。これはヤバイ。 以下、サマリ。 サーチやマッチングというテクノロジーがあるおかげで、Webにある情報はサイト内外の情報を動的に再編集して構成されるようになった。だから、そのリンク構造も動的。当然、サイトマップやきれいな階層構造なんて存在しない。 サイトの構造が動的なんだから、インターフェースも当然、動的だよね。逆にインターフェースが構造の動的さを引き出して魅力を出さなきゃいけない。 テクノロジー(構造)とインターフェースは切り離して考えることなんてできない。一体なんだよ。 いえーい!も、マイナビバイトも、SAGOOLも、Laboo!も、そうやって作った。 これって「インターフェースの革新の流」。すごい西洋的。iPa

    gitanez
    gitanez 2007/11/20
    そうそう価値は動きのなかにあるわけよ。すくなくとも日本では。でも、それには動くモノがないとダメってところが忘れられがち。一般人はそれでいいけど、デザイナーはそれじゃダメ。
  • 現象としてのアーキテクチャ (arclamp.jp アークランプ)

    僕たちは何を設計するのか―建築家14人の設計現場を通してより。最近ではルイ・ヴィトンの仕事でも有名な青木淳さん(Wikipedia)の言葉から。 ルイ・ヴィトンのようなブランドショップの場合、外装というのは非常に大きな要素となります。ですが、 外装が単なるパッケージ・デザインになってしまうことに、ものすごい抵抗感がありました。パッケージ・デザインというのは、表層が表層にとどまり、建築内部の問題には関係しないといったデザインのことです。<中略>でも、それでもそれを内部と、あるいは周辺外部との関係で成立させたかった。 この抵抗感から、青木さんは1つの結論を出します。 内部とか外装とかが、まず存在しているということを疑うこと、と。<中略>外装が事後的に立ち現れるようなあり方で存在することはできないだろうか この感覚を水と油の境界面にたとえています。 水と油の境界面は、水と油が接することの結果認識

  • 抽象化がもたらすリアル (arclamp.jp アークランプ)

    Inter Communication (インターコミュニケーション) 2007年 04月号 の特集は、「デザイン/アート 芸術と科学のインターフェイス」というもの。いくつか面白い記事があったのですが、抽象化がもたらすリアルみたいなことで思うことがありました。 まず、巻頭の茂木さんと山中さんの対談はそうだよねぇーの連続。山中さんはSuica自動改札機やCyclopsをデザインしたことで有名な方。 ところでヒューマノイド・ロボットを作るうえで、人間に似せていくほど不気味になってくるという「不気味の谷(Wikipedia)」という現象があります。山中さんは、これを「サイエンティストの傲慢」と切った上で次のように述べています。 彫刻を作るとき、睫毛を植えたり、髪の毛を生やしたりは普通しないですよね。なぜならば、そんなことをしないほうが美しく、よりリアルであることをアーティストたちは気がついてい

  • 門番を問いただす意味 (arclamp.jp アークランプ)

    先日の情動回路で登場されていた河さんに興味を持ち「哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題」を読んでいます。いくつか面白いトピックスがあったので備忘録の意味も含めて書いておきます。 カフカの小説「審判」に掟の門という短い寓話が出てきます。Googleしてみると出てきますが良さそうなものをあげておきます。3分で読み終わるので、ぜひ読んでみてください。 掟 の 門 非常に複雑な読後感を覚えます。いくつかのブログの書かれている感想を読むと「勇気をもって門に入るべし。それを妨げるのは自分の気持ち。無目的な遅延に意味はない」といういった論調が多いようです。確かに農夫は自ら待つことを選択しているように見えるのです。 門番を問いただすことに意味があるだろうか 河さんは「門番を問いただすことに意味があるだろうか」という投げかけをしています。仮に農夫が「どうして門が続くことを知っているのか?」

  • 編集指向アーキテクチャ (arclamp.jp アークランプ)

    arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ 妄想モードで。 オブジェクト指向の限界 そもそも、現状のオブジェクト指向は現実を表現するのに向いていません。 オブジェクト指向の原点は、世界はオブジェクトで構成されており、それぞれのオブジェクトが自立的に自己を表現しているというものです。しかし、現実の世界はそんなに単純ではありません。 単純な例であればデータ層に近いモデルとプレゼンテーション層に近いモデルがミスマッチを起こすことがあげられます。オブジェクトは絶対的な存在ではなく、受け取る人にとって微妙に定義が異なるものなのです。 これは人々が会社にいるときと家にいるときで振る舞いが変わることからも分かります。それは求められる役割が変わることでもあり、自らが態度を変えているからです。 AOPや動的言語のアプローチ

  • パターン化は世界を狭くし、そして爆発的に広げる (arclamp.jp アークランプ)

    非システム系の友人との会話で、僕の仕事を話していたときのこと。 僕がアーキテクトの仕事を「業務のパターンをみつけて、それをソフトウェア化する方法を考えることかな」といったところ、友人が「そんなことすると人間性がなくなってつまんなくなるのだ」とネガティブな反応。 いわく人間が持っている柔軟性や才能をあるパターンに押し込んでしまうことで人間の能力を制限しているのだと。そんなことするから世界がつまらなくなるのだとおっしゃる。なるほど。 僕もしゃくなので、思いつくままに「携帯電話は遠隔コミュニケーションのパターンを固定化したけど、誰も困ってないよ」と言い返してみました。 ソフトウェアのパターン化というのは、その代替された業務だけみていると確かに制限にしか見えません。融通が利かないというか。しかし、そうしたパターン化があることで情報の流通性が非常に高まります。これまでは自由なフォーマットで書いていた

  • 動的にも静的にも未来を考える (arclamp.jp アークランプ)

    arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ 某所でバックキャスティングという言葉が流行っているようで。(バックキャスティングのススメ、What's inspire me ?さんから未来を描く方法を教わりました。) バックキャスティングとは、スウェーデンの環境NGOであるナチュラル・ステップの創設者カール・ヘンリク・ロベール博士が提唱している未来予測の手法です。 氏によると、個人レベルでは皆がバックキャスティングを使っていると。 例えば、私たちは、新しい土地で仕事を始めることになったとすると、まず、最初に、どのような家に住むかその原則のレベルを明確にする。1.職場に近いところにあること、2.家族の人数に合った大きさの家であること、3.給料の中で支払える家賃であることなのだ。 それから、バックキャステイングをして、

  • 個の知覚変容 (arclamp.jp アークランプ)

    arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ なんか盛り上がっているので僕も。 匿名ではアイデンティティが持てない? 僕が大西さんのエントリ「2007年はコミュニティ復権元年?」に対して感じた気持ち悪さは匿名とアイデンティティの関係です。 大西さんは「匿名」という言葉を「実際の名前や居場所がわからない人」という捕らえ方をしていると思います。そうした人々は、 匿名であるために暴走し、節度のない怒りをぶつけ、さらに個人を攻撃して傷つけるといった行動にでる そして、それではアイデンティティが持てないと続けます。 人はコミュニティのなかでしか自分の顔を確かめることができないわけで、匿名であるということは個人としてのアイデンティティを持てないということであり、それを貫いて生きていくというのは辛い アイデンティティとはなに

  • デブサミ2007のシーズンです! (arclamp.jp アークランプ)

    arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ やって来ました、今年もデブサミの季節です。登録サイトからの申し込みが開始されています。来年2007年の2/14、15の二日間で、場所は目黒雅叙園。 さて、今年はコンテンツ委員として参加することになりました。テーマは「デベロッパーがビジネスを刺激する」。はっきり言って今年のデブサミは去年までとは大きく異なります。異なりすぎて、どーなっちゃうかわかりません(w。 どれもこれも面白そうなのですが、僕が関わっている講演を紹介しておきます。 ITアーキテクト大解剖 ITアーキテクトの仕事とは、適性とは、そしてキャリアパスとは。一線で活躍されているソフトウェアアーキテクトの萩原氏と建築家の大川氏をお招きし、『アーキテクト』の質を聞きながら、会場の皆さんと一緒にITアーキテクト

  • ロボットから考える、身体性としての構造が持つ意味 (arclamp.jp アークランプ)

    なにげなく季刊d/SIGN(デザイン) no.13の表紙を見たら「特集 ロボットのデザイン」の文字。おおっと思って著者人を見ると「國吉康夫+佐々木正人」ときたもんだ。ロボットの身体性でも語っているのかと思ったら、ある意味裏切られたような、でもすばらしい内容でした。 國吉康夫さんはロボットを開発しているわけですが、ロボットを作ること自体が最終目的というわけではなく、ロボットを作ることで人間の理解を進めることを目的にされています。早速ですが、國吉さんの研究室サイトにある「スクワット起き上りロボット」の動画を見てください(ページへの直接リンク)。 (画像はWebサイトより直接リンクで引用) このロボットは寝た状態から足を上げて、それを振り下げる勢いで膝を曲げたスクワット状態で起き上がりをします。動画をみてもらうと、すごく人間くさい。起き上がった瞬間にはゆらゆら身体を揺らして踏ん張っているのがわか

  • 日本の美意識 (arclamp.jp アークランプ)

    建築家であり、プロダクトデザイナーでもある黒川雅之氏による八つの日の美意識とデザインの修辞法 50keyworks。デザインの修辞法も帯は「日人は美意識に生きている」というわけで日人による日人の美意識の話。 黒川氏は美意識という言葉を使うに言った理由を 私は、日人が物事を判断する非常に大きな規範になっているのがこの美意識なのだということに思い至ったのです。すなわち、信念によってとか、神の思想に基づいてとか、哲学的視野からこれが正しいとか、善悪とかではない。もっともっと身体の感覚に近い、心地よさともいうべき美意識。ほとんど野生的、あるいは動物的生理が決めているということです。 そして日人は「美しさ・気持ちよさ」のために生きているのであって、神とか信念とか、そういうもののために生活を律するわけではないと。そのため日人は他者の気持ちよさを価値として認められるから「恥の文化」になるし

    gitanez
    gitanez 2006/09/15
    物は組織である。組織にはその構造がある。
  • 茶室とインテリア (arclamp.jp アークランプ)

    arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ の帯(もしくは袴、腰巻)には「日人は、なぜを脱ぐ!?」というわけで、日の暮らしの中にあったデザインを通じて、現在の建築を読み解くといった趣旨のです。 面白かったのは帯にある話で、ヨーロッパとの建築様式の違いを、 椅子の文化と座の文化の違い と指摘し、だからこそ日人がを脱いで椅子に座る行為を、 ところが履物を脱いで椅子に腰かけるというのは、よく考えるときわめて奇妙な行為です。来、を履いたままの文化だから椅子があるわけです。 と言います。なるほどぉ。こうした家具に対する違和感というのは僕らの中にもある気がします。例えば畳の部屋に置かれたタンス。この理由は、 明治以降の西洋化の一端として、「家具」という概念が格的に流入してきたとき、日人はとまどったはず

  • コンテンツ作成時間の奪い合いと編集者2.0 (arclamp.jp アークランプ)

    arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ 最近、メディアの方とお話をさせていただく機会が増えたり、CGM系の話を聞く機会があり考えることが。まだ、まとまりきっていないのですが、既に起きているのはコンテンツ作成時間の奪い合いであり、その競争に勝つためには編集者2.0が必要なのだろうと。 コンテンツ作成時間を奪え これはCGMのコンテンツを奪い合う、ということではなくてコンシューマーがコンテンツを作成(生成)する"時間"を奪い合う戦いです。 従来は欲望消費時間の奪い合いというのがありました。例えばガムの売上が減少している原因は携帯電話だとか。暇なときにガムを噛むのではなくて携帯を見る。テレビの視聴時間がインターネットに押されているというのは有名な話です。 同じようにコンテンツを作成する時間も奪い合いなんだろうな

  • 富の未来 (arclamp.jp アークランプ)

    フラット化する世界のあとは富の未来。ほぼ同じような内容ですがフラット化する世界がジャーナリズム的で事実から見地を導き出しているのに比べ、富の未来はもっと示唆的というか、感覚的というか、それに加えて事実が書かれており、さすがトフラーという感じ。「富の未来(原題:REVOLUTIONARY WEALTH 直訳だと革命的富)」というタイトルが示すとおり、次の世界の新しい富の仕組みを書いています。 時間の非同時化 僕自身も感じていることですが時間、空間、知識の意味はだいぶ変わってきています。例えば時間。これまでは時間の同時化が求められていました。特に工業社会以降の組み立てラインでは強い同時化が必要でした。 ある程度の同時化は、狩猟・採取民族が集団で働くようになって以来、いつも必要であった。歴史家のウィリアム・マクニールは、リズムに合わせた集団活動がどの時代にも同時化のために使われ、それによって経