タグ

human centered designに関するgitanezのブックマーク (81)

  • ホメロスらの詩的作品が「ある特殊な状況のもとでのある特殊なできごと」であるのと全く同じようにユーザーインターフェイスとのインタラクションも同様にコンテクストに依存する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回「おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する」を書いたのが、7月6日の土曜日なので、すでに10日以上が過ぎました。ブログを書かない日々がどんどん過ぎ去っていくのを感じて、おやおやと思っています。 あいかわらず「声の文化」という僕たちにとっては非常にオルタナティブな環境に生きた人びとの思考に驚きを感じつつ、人ともの、あるいは、人と情報のあいだのインタラクションの可能性としては、印刷以降の視覚偏重思考を超えたものを「声の文化」的なところから考えることができそうだなと感じつつも、なかなかそれをこまめにブログを書いていくことができなくなっていて、ちょっ

  • 点の思考、線の思考: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 みなさん、思考する際に、静止した点で考えていないでしょうか。 動かない固定された何かを過程して話をしたり、最終的なアウトプットや結論ばかりを重視しすぎてはいないでしょうか。 思考の過程そのものが重要で、思考する過程を共有することが最終的な結論や定義を共有することよりも意味のあることだということに気付いてらっしゃるでしょうか。 行く川のながれは絶えずして機械やシステム、その他、人間がつくったモノが相手であれば、それでも構いません。しばらくほっといても、そうしたモノは変化しないのですから。いったん定義した機能や形態はそうとう時間が経たない限り変わりません。それなら静止した状態でモノを考えても困りません。 しかし、それが人間や生物なら違います。 この季節なら庭はちょっとほっておけ

  • 「ペルソナを使った人間中心のデザイン」というテーマでセミナー講師をしてきました。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日は、コプロシステム・商品計画研究所さま主催のセミナーで、「ペルソナを使った人間中心のデザイン」というテーマで講師をしてきました。 「ペルソナ」「デザイン思考」「人間中心のデザイン」をキーワードに、マーケティングの視点からデザインのお話をさせていただきました。 普段と客層の違うところでお話しするので、「デザイン思考」についてうまく伝わるよう極力噛み砕いてお話させていただきましたが、なかなか好評だったか、と。 お話した内容は、以下。(講演資料のアウトラインより) はじめに自己紹介①:株式会社イード株式会社イードで、人間中心設計のコンサルティングをしています。自己紹介②:情報デザインフォーラム情報デザインフォーラムのメンバーです。自己紹介③:個人での活動ブログや執筆、セミナー

  • グラウンデッド・セオリー・アプローチ―理論を生みだすまで/戈木クレイグヒル滋子: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 フィールドワークやコンテキスチュアル・インクワイアリーなどの質的調査(定性調査)で集めたデータをいかに分析するかは、人間中心のデザインを進めるうえでもひとつの課題です。 僕自身は、ワークモデル分析や、KJ法(発想法)を使って、質的データの分析を行い、そこで明らかになったユーザーの利用状況や潜在的ニーズをペルソナなどの表現方法を用いて使っています。 ただ、KJ法はやり方がブラックボックスになってしまっているところがあり、いまひとつ初心者にやり方を説明するのに苦労していました。 そんなこともあって以前から気になっていたのが、グラウンデッド・セオリー・アプローチという質的データの分析の方法。そこで戈木クレイグヒル滋子さんの『グラウンデッド・セオリー・アプローチ―理論を生みだすまで

    gitanez
    gitanez 2009/05/11
    id:fantoms さん、KJ法がピンとこないなら、グラウンデッド・セオリー・アプローチもおすすめしません。やってみてできないのは属人的かどうかではなく、どれだけ他者を想像することができかの感性の問題ですから。
  • 意味論的なデザインのアプローチへの転回: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「お客さんから逃げない」というエントリーに藤井さんからトラックバックをいただきました。 使う人とその物の関係で名前が「プール」「ボウル」と変わります。 さらにいえば、たとえ名前は相変わらず「プール」と呼んでいても、意味合いが変わります。 使う人とその物がその瞬間にどういう関係であるかによって、使われ方が変わる(場合によっては名前が変わる)と捉えるとおもしろいです。 アメリカの家庭の庭にある水のはいっていないプールを、少年たちがスケートボードの遊び場として使う場合、それは「ボウル」と呼ばれるそうです。 なんで、こんな話がでてくるかというと、先のエントリーで僕がこんなことを書いたからです。 使用する前にはまだ意味が生まれていません。ただ、使用の瞬間に突然、何もないところから意味

  • お客さんから逃げない: DESIGN IT! w/LOVE

    かつ、その意味というのは、人と物とのあいだに相互作用的に存在するのです。 読書というのは、読む前に何かが始まっていると思ったほうがいい。それを読書をするときだけを読書とみなしているのが、とんでもないまちがいです。 と、松岡正剛さんが『多読術』のなかで読書について述べていますが、これは単に読書に関してだけではありません。物を使用するという場合でも同じです。 物の使用というのは、使用する前に何かが始まっていると思ったほうがいい。それを使用するときだけを物を使用しているのだとみなしているのが、とんでもないまちがいなのです。 使用する前にはまだ意味が生まれていません。ただ、使用の瞬間に突然、何もないところから意味が生まれるというのでもない。使用する時点で人は自分が過去に利用してきた別の人工物と比較しながら、新しい人工物の意味を推測します。それが使用のスタートであり、物の意味のはじまりです。 意味を

  • 製品中心から人間中心のデザインへ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いま、あるUCD(ユーザー中心デザイン)プロジェクトコンサルティングをさせていただいています。それが結構おもしろい。 守秘義務契約があるので内容はいっさい書けませんが、いわゆるつくる物(商品)が決まっていて、それをUCDのプロセスでデザインしましょうという話ではなく、人びとが生活行動として行うある類型的行動(類型的行動というのは、たとえば散歩とか祭りとかを指します)をよくするためのデザインを考えましょうということでUCDのプロセスと手法をつかって進めているんですね。これがなかなかおもしろい。やりがいがあります。 最初の段階では何をつくるかは決まっていないんです。 何のためにつくるか、人びとのどんなシーンでの利用に役立つものをつくるかというスコープだけが決まっているところか

  • デザインの新しい基礎理論: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1つ前の「学問・職能領域のリデザイン」というエントリーで、「そろそろ格的に仕事のしくみにしても学問のしくみにしても近代以降のリデザインをはじめてもよいのではないか」というようなことを書きました。 そんな問題意識をここしばらくずっと抱いているわけですが、それを考えるうえで打ってつけの一冊を運良く手に入れられました。 クラウス・クリッペンドルフという人の『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』というです。 デザインとは物の意味を与えることである。 初版発行が2009年4月1日となってますので、出たばかりのですね。 僕自身、まだ読み始めたばかりですが、すこし紹介。 デザイナーはその職としての腕前を失ってしまったなぜ僕がこのを気に入ったかというと、クリッペンドルフの次のよ

  • 第3回情報デザインフォーラム「インタラクションデザインの未来」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今回は、基調講演に増井俊之さん(元アップルコンピューター)をお迎えしました。 以下のブログで詳しい様子は報告されていますので、僕はそのへんは割愛させていただこうか、と(ズルして報告をサボるわけです)。 総合学科「情報」日誌kojicozyの散歩日和Mode.ユーザデザインブログENJOY TOY AND DeSign情報デザイン研究室Smile Experience というわけで、以下、参加して刺激をうけて僕なりに思ったことをつらつらと。 ほとんど講演の内容とは無関係なので、あしからず。 僕自身の将来のあるべきライフスタイルを夢想する「インタラクションデザインの未来」でしたので、最初に僕自身の将来のあるべきライフスタイルということで考えてることを(未来ということばは嫌いなの

  • 人間中心設計プロセスとシックスシグマに共通する継続的活動の重要性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、ある企業の方々とお話しする機会があり、あらためて人間中心設計プロセスとシックスシグマのDMAICはおなじものだなという思いを強くしました。 その親和性に関しては、すでに2007年1月に「2つのデザインプロセス」というエントリーを書いていたり、同時期のデブサミ2007でも「Webサイトの提案に困っていませんか? ~ 経営課題とWebサイトをきちんとリンクさせる7 の手法 ~」というタイトルの講演で同じような内容でお話させていただいたりもしています。 ただ、昨日お話させていただいたあと、自分なりに気づいたのはいずれの活動においても継続性が非常に重要でプロセスを浸透させ、クローズドループシステムがまわるようにすることが最終的な目標なのだということでした。 今日はそのことにつ

  • 人間中心設計プロセスでの具体的なデザインへの落とし込みの技術に関する理解不足について: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日はちょっとショックなことがありました。 昔、僕がペルソナとシナリオを用いて要件を定義したWebサイトがようやくリニューアルされて公開されていたのを見つけたんですけど、こりゃ、ペルソナやシナリオを使ってモデル化したことがほとんど設計に反映されてないなと感じたからです。 ペルソナを用いるゴールダイレクテッドデザインのメリットは、利用者のゴールとコンテキストを理解し、また利用者の脳内モデルを把握することで、利用者の使いやすいデザインを実現することですが、今日見たサイトは、機能要件/コンテンツ要件のレベルはユーザーの要求は満たしているものの(それは僕がやったのでできてないとおかしい)、情報構造化や構造を具現化する視覚表現のレベルではまったくユーザー要求を考慮したものとは思えない

  • 漢字―生い立ちとその背景/白川静: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 当に人間について知りたければフィルードワークだけでは足りません。だって、フィールドワークできない場所でも人間は生きていたのだから。そう、もはや僕らが足を踏み入れられない過ぎ去った過去にも。 過ぎ去った過去における人間を知る(特に人間中心のデザインの観点から)という意味では、例えば、『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』で紹介されている深澤直人さんの「アクティブ・メモリー」という用語がおもしろいです。 アクティブ・メモリーとは、特定の個人における経験的な記憶を指すのではなくて、誰もが共通に知っているものの形を通じて身体に意識されないような形で残っている記憶を指します。例として出されるのは、毎日触っている電車のつり革の形は意識としてはよく覚えてはいなくても、ある日その形

  • WCMFエクスペリエンスセミナー「人間中心設計というイノベーションの方法」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 11月11日(火)のWILLCOMコアモジュールフォーラム・エクスペリエンスセミナーで、「人間中心設計というイノベーションの方法」と題した講演をさせていただくことになりました。 お話する内容はまだ完全に固まっていませんが、「イノベーションが必要なら、まずは中間地点を目指す」で書いた、 最終形が完全に見えているものしか作れないんだったらイノベーションなんて起こしようがないんですね。 完成形がみえるものは、きっといつかどこで見たことがあるもの完成形が見えていれば、それはどう実現すればよいかを考えればよいまだ見ぬ何かをつくる方法は、完成形が見えている状態のものづくりとは違う方法が必要で、どう実現するかの前に、何を実現するかを考える必要がある いまのデザインとか、ものづくりにおける

  • 形とはテクノロジーよりも人の機能についてくる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 PingMagの「マリアン・ベイリー:ヤマハの携帯電話楽器」という記事より。 どんな時も単なる技術的な問題ではなく、人間の行動、人間工学と音質を出発点とすることを心がけていて、そこから私たちのデザインに収まるような新しいソリューションと技術を、技術班に考えてもらっています。私の持論は、形とはテクノロジーよりも人の機能についてくるというものなのですが、人のニーズや行動に基づいた素晴らしいアイディアさえあれば、あとは技術がそれに追いつくまでの時間の問題なんです。 「形とはテクノロジーよりも人の機能についてくる」。僕もこの考えに基づいて発想しています。いや、別に逆の発想もあっていいんですよ。でも、これまではどちらかというとテクノロジードリブンなほうに偏ってるので、反対の発想もあっ

  • モノからモノが生まれる/ブルーノ・ムナーリ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 現在、「デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察」と題して、企画設計=デザインの方法についての考察を行っていますが、僕がこの考察をはじめたきっかけが、この『モノからモノが生まれる』です。 企画するのは、そのやり方を知っていれば簡単なことである。 問題の解決に至るための方法を知っていれば、どんなことも容易となる。生活のなかで出くわす問題にはきりがない。解決の方法を知らないために難しくみえる単純な問題もあれば、解決不能と思われる問題もある。 先の「デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(e.素材と技術)」でも書きましたが、デザインとものづくりは別物と考えるべきです。特定のものや商品カテゴリーと固く結びついているのは、ものを実現する職人やメーカー

  • 人間中心設計もやっぱり順序よく進めることが大事: DESIGN IT! w/LOVE

    ペルソナ/シナリオ法だとか、コンテキスチュアル・インクワイアリーだとか、ユーザーテスト法だとかを使ったISO13407に基づく人間中心設計プロセスで、デザインしているわけですが、ここに来てやっぱり大事なのは、きちんとプロセスどおり事をはこぶことだなというこです。 「ペルソナとISO13407:人間中心設計プロセスの関係に関するまとめ」というエントリーで、こんな図を使って人間中心設計プロセスを紹介しました。 最近感じているのはやっぱりはじめが肝心だなということ。「人間中心設計の必要性の特定」という最初の出だしのプロセスをきちんと踏んでいないと、あとあとデザインの輪郭がぼやけてしまう要因をつくってしまうことになります。 今回はこれまであんまり論じてなかった人間中心設計プロセスの最初の場面「人間中心設計の必要性の特定」のシーンについて考えてみようと思います。 人間中心設計の最初の一歩すでに「僕た

  • 3つの種類の「わかる」:「わかる」っていうのはどういうことなのか?:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、ふと疑問に思ったことがあります。 それは、「わかる」っていうのはどういうことなのか?ということです。 「わかる」っていうのにもいろいろあるなと思っていて、まずわかりやすいところからいくと「再認」や「再生」っていう意味での「わかる」がある。 1つ目の「わかる」:再認と再生「再認」は、例えば、ある商品を見てそれが前に見たのと同じ商品だと認識できることを指し、「再生」はその商品が属する商品カテゴリーについて聞いた際にその商品を思い浮かべることができることを指します。 前に「パースの記号学とホフマイヤーの生命記号論とブランドの関連性」というエントリーでも書いたとおり、この「再認」と「再生」に関しては、戦略的ブランド・マネジメントに関する著名な研究者であるケビン・レーン・ケラー

  • 僕らがユーザーテストをする理由: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうして世の中のデザインの現場では、ユーザーテストをやらずに開発者側の閉じた発想だけでデザインを完結しようとするんですかね? 前回の「ユーザーテストで作り手の思いこみ=デザインを破壊する」では、「ユーザーテストは作り手の思いこみ=デザインを壊すための手法」であり、「ユーザーの好みを知り、ユーザーの期待を知り、ユーザーの喜びを知るための手法」であると書きました。ユーザーテストをやらないデザイン・チームはまさに、ユーザーの好みや期待や喜びには関心がないんでしょうか。 また、ユーザテストは「互いに隔離されていたユーザーとデザイナーがユーザーテストを通じてコミュニケーションをとる」ためのツールであるとも書いていますが、ユーザーとコミュニケーションをとるのがイヤなんですかね。だとした

  • スキルアップと人間中心のデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の長文エントリー「カスタマイゼーションとデザイン、そして、コンテンツ」では、生活行動の階層構造とそれに対応したものの織り成す階層構造、さらには商品のデザインと比較すると明らかに人の生活行動の視点での配慮に欠けたWebデザインの欠点についての指摘をおこないました。 生活行動というマクロな行動そのものが階層化されているだけでなく、生活行動におけるごく一部の行為ですら、さらに細かな階層構造に分かれている。 例えば、コーヒーをつくるとか、車を運転する場合、それ自身独立に存在するいくつかのプリミティブな行為を組み合わせて、行為全体をつくっているようにみえる。例えば、まっすぐ腕をのばす。手を曲げる。手首をまわす。指を曲げる。そうした個々のミクロな行為の重ね合わせでマクロな行為はでき

  • 【レポート】スウェーデンデザインの真髄 - 人間中心のデザインとは (1) ユーザー視点をデザインに取り入れる | ライフ | マイコミジャーナル

    スウェーデン大使館は15日まで、スウェーデン製の製品を紹介する展示会「ヒューマン・ディメンション」を東京・六木のスウェーデン大使館で開催している。同イベントは"エンドユーザーにとって使いやすいプロダクト"をテーマにした内容で、デザイナーによる製品を幅広く展示。4日には展示会に先駆けて、スウェーデンのデザインや製品を紹介するセミナーが出展者らによって開かれ、日でも人気の高い"機能性"と"装飾性"を融合したスウェーデンデザインの真髄が披露された。 ステファン・ノレーン駐日スウェーデン大使は、展示会の開催に際して「スウェーデンのデザインは、シンプル、ナチュラルな形状で、日の"和"のデザインと共通点が多い。両国のデザイナーや製品が、すばらしい影響を及ぼし合うようなきっかけが作られることを望む」とコメントを寄せた。 4日に開かれたスウェーデン大使館内でのセミナー 世界中で年間80万個売れたと